オメガさんによる南京事件の基礎。

より詳しく知りたい方は以下をどうぞ。 ・K-Kさんの南京事件資料集 http://www.geocities.jp/kk_nanking/ ・南京事件FAQ http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
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ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

twitterで南京事件のことをよく知らない人が多く、ほとんどが資料に基づいてないので、簡単ながら記します。南京事件の期間は大本営が南京攻略を命じた12月1日からカウントをします。中国の行政は市の下に県が来るので、南京城とその周辺部だけではなく近県6県も範囲に含みます。

2015-10-17 00:32:22
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

南京城と周辺部並びに近県6県は南京戦で新たに日本軍が獲得した範囲であり、日本軍は南京特別市郊外でも放火、略奪、強姦、捕虜&住民虐殺をしてその集大成が南京城内で行われたのです。だから南京戦が始まった日からカウントをはじめ、範囲を近県6県も含めるのです。

2015-10-17 00:36:44
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

南京城内の人口は南京市政府のデータによるとおよそ100万人であり、近県6県の人口は約130万以上であった。南京戦後、南京城内の裕福な市民は逃げ出したが、逃げ出せない人たちも多く南京市政府によると約50万から60万人おり、日本軍が南京城を包囲したために城内に逃げ込んむ人もいた。

2015-10-17 00:41:34
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

中国軍の総数は歴史学者の笠原十九司が南京戦に従軍した陳氏や文書を調べた結果、約15万人(5万人の非戦闘員を含む)対する日本軍は20万人と見積もられている。

2015-10-17 00:48:33
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

南京に便衣兵(ゲリラ兵)がいたと言う人もいますが、海軍省の役人の奥宮正武は南京城陥落直後に城内を訪問をした際に、南京に便衣兵はいなかった。中国軍兵士が軍服を脱いだのは助かりたいためであり、便衣兵と同一にするのは間違いだと証言しています。つまり、ゲリラはいませんでした。

2015-10-17 00:54:05
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

実際に日本軍は南京城内で中国軍の抵抗には合っていません。繰り返すが便衣兵はいなかったのです。

2015-10-17 00:55:40
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

南京事件の犠牲者数の参考資料となるのは死体の埋葬記録である。埋葬団体である世界紅卍南京分部会の統計データによると、1937年12月~38年2月までに1793体、城外38年10月までに41278対、合計48071体。また崇善堂の埋葬記録によると、

2015-10-17 01:07:28
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

城内で38年3月までに7549体、城外で38年4月104718体、合計11万2267体となっている。この二つの団体で埋葬された遺体は155000という数を根拠の一つとして、さらに他の証拠と合わせて犠牲者数20万と結論付けました。

2015-10-17 01:09:23
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

東京裁判後に新たな埋葬記録が発見された。紅十字会南京分会は1938年1月~5月にかけて南京周辺で22671体の遺体を埋葬。南京市衛生局も1938年~40年までに10794体の遺体を埋葬した。東京裁判が採用した世界紅卍字会+崇善会の埋葬数とこの二つを+すると、190461体となる

2015-10-17 01:16:01
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

これらの埋葬遺体数は一旦埋めたものを再度埋めなおしたために重複している可能性もあるかもしれないが、別の団体とか個人が埋葬をしたという資料も残っているし、日本軍ま遺体を埋葬したり揚子江に遺体を流したという証言もある。

2015-10-17 01:19:42
ヘンリー・クレイ @henry_clay2017

戦死をした中国兵よりも、捕虜となって殺害された兵士や一般市民も多く巻き添えになっており、南京事件の犠牲者数は20万人を超えると言うことができる(参考文献 藤原彰著「南京の日本軍P68~73)

2015-10-17 01:23:25