- Lynette_Ellils
- 2644
- 6
- 3
- 0
自党の政策を批判する学者はTV局に圧力をかけて出演させず、他党の口座通帳を奪ってそこに入る公金は自分のもので、お前らにはぜったいに渡さないと言ってはばからない。目を疑うほど傲慢で暴力的な大阪維新の会の反法治主義的姿勢を見ていると、ナチスが現れた時はきっとこうだったのではと思う。
2015-10-18 10:15:29法治を嘲笑うべき足かせ、鼻で笑って早々に捨て去るべき桎梏、と簡単に言い切れる人々。凍りつくような言葉で相手を刺し貫きつつ、それを笑いでくるむ物言いこそが頭の速さだと思っている人々。そしてそうした政治家たちが中心を占めている勢力。その勢力の伸張を手を叩いて応援する人々。
2015-10-18 10:27:18ナチスの時代には〈政治の美学化〉が未曾有の市民的危機を招いたが、大阪維新の会を見ていると同様の事態が進行しているように思う。ただそれはナチスのようなギリシアを範と仰ぐ古代ヨーロッパ的美学性に基づいてではなく、「MANZAI」のような80年代以後のサブカル的なもの。
2015-10-18 10:32:23西洋美学がナチスによる収奪から大きな打撃を受け、その後に現在にいたるまでその傷跡から免れないでいるように、関西のお笑いの文化も大阪維新の会によるこの政治的収奪から立ち直るまで、長い時間がかかるのではないか。いや、まだまだ現在進行中なのであろうが。
2015-10-18 10:35:44政治のバラエティ化の結果、番組中で社会に対して物申すというのを芸風にしてしまった芸人はひどく面倒なことになっている(もしそれを「芸」と呼ぶならば、なのだが)。大阪だと、「たむけん」や、元新喜劇の座長(名前忘れた)がそうだけれど、東京だと爆笑問題なんかがそうだろう。
2015-10-18 17:16:31面倒なことになっている男の一例を挙げておこう
@yeuxqui 「右も左もぶっとばせ」というフィクションを維持できなかった。橋下徹というひとが、テレビから「出てきた」ものだから、テレビの中立性という「フィクション」が色あせたものになってしまったからだ。ダウンタウンやビートたけしですら、この状況の変化にまだ気づいていない。
2015-10-18 17:22:12