今鏡ワンドロ第11回 二条天皇・六条天皇 2015年10月17日(土)

二条天皇は後白河天皇の皇子ではありながら、美福門院に養育され、帝王の位に登りました。実父と反目しつつ、若くして世をさりました。その息子である六条天皇は幼児の時に即位し、父である二条天皇の崩御後、祖父である後白河院に高倉天皇を即位させるために無理やり退位させられた悲劇の天皇です。
0

二条天皇(1143―1165)

平安後期の天皇(在位1158~65)。名は守仁(もりひと)。康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。

近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の決まらないまま早世したとき、祖父鳥羽(とば)上皇、養母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))、関白藤原忠通(ただみち)らは、守仁を皇位につけようと画策した。しかし、父雅仁(まさひと)を差し置いて実現できず、1155年(久寿2)その即位(後白河天皇)と同時に皇太子となり、保元(ほうげん)の乱が後白河天皇方の勝利に終わると、父の譲位によって58年(保元3)即位した。

しかし、後白河上皇、信西(しんぜい)らの院政派と二条天皇らの親政派との併立は平治(へいじ)の乱に発展していった。

65年(永万1)6月皇子順仁(のぶひと)親王に譲位し(六条(ろくじょう)天皇)、7月28日死去。

墓は京都市北区平野八丁柳(ひらのはっちょうやなぎ)町の香隆寺(こうりゅうじ)陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』
https://kotobank.jp/word/二条天皇-109649

恋御歌の中に
いかでわれ人を忘れむ忘れゆく人こそかくは恋しかりけれ(風雅1343)

【通釈】どうして私があの人を忘れよう。私を忘れてゆくあの人のことが、こんなに恋しいのに。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nijou.html

六条天皇(1164―1176)享年13歳。

平安後期の天皇(在位1165~68)。名は順仁(のぶひと)。二条(にじょう)天皇の第二皇子、母は伊岐(いき)氏の娘。

父二条から1165年(永万1)2歳のときに譲られて即位。在位中は後白河(ごしらかわ)上皇が院政を行っていた。後白河は、病床にあった平清盛(きよもり)が死んだときに天皇支持派の勢力が策動することを恐れ、68年(仁安3)六条の位を奪い、自分の皇子憲仁(のりひと)親王(高倉(たかくら)天皇)を即位させ、六条を太上(だいじょう)天皇とした。

安元(あんげん)2年7月17日死去。墓は京都市東山区清閑寺歌(せいかんじうた)ノ中山(なかやま)町の後清閑寺陵。[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』
https://kotobank.jp/word/六条天皇-152652

うにぽちゃん @unipochan

二条天皇の絵を描きましたー ^ω^) 平治の乱・六波羅行幸のひと場面です。 見張りの目を欺く為に、女房に変装した二条天皇。 内裏を抜け出し、清盛のいる六波羅へやって来ることに成功しました ^ω^)v #今鏡ワンドロ pic.twitter.com/9zu1Y0Pg2L

2015-10-17 07:16:16
拡大
葉つき みかん @hmikann

「二条天皇」 『愚管抄』より「父子対決」マンガ描きました。 主催者なのに大遅刻です。 #今鏡ワンドロ pic.twitter.com/khI7Xr8OCE

2015-11-03 17:00:46
拡大