ディズニー映画における『親』なるものの変遷

ウォルト時代から『アナ雪』までのディズニー映画における「親」の描かれ方に関する私見です。『ノートルダムの鐘』『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』について語っている部分が多いです。
塔の上のラプンツェル ノートルダムの鐘 ディズニー 魔法にかけられて アナと雪の女王
morisato_snow 3919view 3コメント
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コメント

  • 奥山犛牛 @bogyu 2015-10-19 23:23:11
    私にはエルサとアナの両親は娘を「女らしさ」という型にはめようとしているように見えた。たぶん、その「型」が何かは見る人によっていかようにも取れるもので、エルサが禁じられた魔法は同性愛の暗喩だという意見すらあった。
  • 森野智子(本名ではなくHNです) @morisato_snow 2015-10-21 08:35:24
    コメントありがとうございます。確かに、その見方もありますね。と言うのは、実は『Let it Go』の前半の歌詞って、「理想の娘、理想の花嫁」になるためには自分らしさを殺さなければならない苦悩を歌ったムーランの『Reflection』に雰囲気がよく似てるんです。 同性愛のメタファーとして見る場合は、エルサにに関して男性とのロマンスが全く描かれないことを証左とする考察が多いようですね。
  • 森野智子(本名ではなくHNです) @morisato_snow 2015-10-21 08:37:21
    ただ、何にしても王様と王妃がエルサの「自分らしさ」を抑圧したのはあくまで彼らが何らかの固定観念に囚われていたからであり、本人たちはエルサによかれと思ってやっていた。少なくとも、フロローやゴーテルのような打算は全くなかった。なのに結果を見れば問題の原因はほぼあの人たち、なんですよね。

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