江戸時代の剣術 講武実用流が稽古に使った大太刀?木刀について

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武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

一刀とか二刀とか重いだの軽いだの言うとる奴は榎本鐘司先生の「幕末剣術の変質過程に関する研究」を読むがよい。窪田清音の弟子、戸田氏が用いた厚さ約2㎝、総長約140㎝、総重量約9㎏のキチガイ居合刀が出て来るから。

2015-10-19 08:35:38
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今、故あって平山行蔵の講武実用流について調べている。流れとしては田宮流ー関口流ー渋川流ー講武実用流とつながっており、講武実用流で用いられた刀は田宮流、関口流とも共通点があるように思う。ちなみに窪田の師匠である平野は別系の武藤に渋川流を学んでいる。

2015-10-19 08:42:28
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講武実用流の平山行蔵の四天王随一と言われるのが、後に呑敵流を起こす吉里呑敵斎信武。肖像画が残っているがなんかおかしい。近世の人間にしてはガチムチ筋肉野郎過ぎる?いやいや、そこではない。刀が馬鹿デカ過ぎる。これ嘘でしょう? pic.twitter.com/S7zGfD5mBc

2015-10-19 08:47:18
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そんなこと思ってた時代が私にもありました…。同門の下斗米秀之進(相馬大作)が使っていた刀がこちら。下段は脇差ではなく定尺の刀。上段が講武実用流仕様。 うんうん…って、ふぁ!? blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430/5… pic.twitter.com/8RAqUmqO1x

2015-10-19 08:52:09
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リンク blogs.yahoo.co.jp 第17回大旅行その103(二戸市・二戸歴史民俗資料館2) ( 自動車 ) - よねちゃんの車中泊旅行記 - Yahoo!ブログ 2011年5月1日(月) 今、岩手県二戸市の二戸歴史民俗資料館にいます。 展示室に入りました(写真①)。詳しく見ていきましょう。 平山子龍の書です(写真②)。全く知りませんでしたが、江戸幕府の幕臣...
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こちらが講武実用流の木刀。え?右側は普通の木刀です。講武実用流は左ですよ!!左!!なめないでください!! 重いとか軽いとか、長いとか短いとかこれ見ても言えるんですか!! blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430/5… pic.twitter.com/mPRdjRkVBF

2015-10-19 08:56:15
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こういう人が普通に生きてたのが近世という時代です。普通の木刀なら普通にペン回し出来たでしょうし、普通の刀なら包丁くらいにしか感じていなかったんじゃないかとさえ思います。こういう人達が言う「脱力とか」「重いもの軽く」という表現を現代人の感覚で受け取ってはいけないと思うのです。

2015-10-19 09:03:59
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まあ、「さーちあんどですとろい」「 常住戦場」「剣術とは敵を殺伐する者なり」と言い放つ平山行蔵てんてーが「脱力」だの言うのかは甚だ疑問ではありますが。

2015-10-19 09:07:37
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ちなみにこの刀と同じ長さの刀をあつかう流儀がこちらになります。近世に実際に使われた刀が現存していたのでその調査の一環で講武実用流も調査しています。平山行蔵が有名な割には全然研究されいないようです。まぁだから私に話が来るんですけどね。 pic.twitter.com/6RXWSTXTFm

2015-10-19 09:48:33
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ガッツさん仕様なら直心影流の振り棒もなかなか捨てがたい。ちなみに平山行蔵は新陰流系の柳生宗矩の高弟・木村助九郎友重を祖とする運籌流剣術の四世でもある(ちょっと事情が複雑だが割愛)。なので直心影流と親戚関係にあると言えなくもない。 youtu.be/0qFLjwLLf4U

2015-10-19 10:01:56
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リンク m.youtube.com YouTube
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「こんな刀に短刀でどうやって対応すんねん。」って意見がありましたが、短刀も重ね(厚さ)を増した分厚い特別仕様を用います。そんで普通に考えたら比較的身幅の細い物打や切先を抑えにいくと思うでしょう?違います。キチガイは長刀を破壊するべく鍔元に切り込みます。ソードブレイカーのそれです。

2015-10-19 14:02:58
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ちなみに槍の話も目に入りましたが、穂先がスコップみたいに幅広くかつ、平面部分が血抜き(と軽量化?)のためにえぐれた方形槍とか笹穂槍というキチガイ槍も実在します。ヒャッハー!! finesword.co.jp/sale/touken/ht… pic.twitter.com/s8NqUPO4xn

2015-10-19 14:19:32
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リンク www.finesword.co.jp 日本刀販売品 袋槍 無銘
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@hot_0210 (゜゜) 逆に、普通に使ってる木刀がすこぶる華奢に見えてくる不思議。

2015-10-19 15:03:29
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こんなの使う奴は一握りしかおらんやろって意見もあったけど、平気平気って言っていざ、戦場で目見えた時がまさにこの構図なんだよね。実際にへーきへーきって考えてた武士もいたし、相対することを考えた武士もいたと思う。それを考察するのが歴史。 twitter.com/kawamurakeishi…

2015-10-20 23:15:37
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平山行蔵は幕臣で講武実用流は門弟千人を数えるまでに膨れ上がるんだけど、あまりにも活動が目に余るのでテロを恐れた幕府により道場は解散させられることになる。まぁ、実際に門弟から生まれたテロリストが紹介した相馬大作というね… 相馬大作事件 ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8…

2015-10-21 07:17:33
リンク Wikipedia 相馬大作事件 相馬大作事件(そうまだいさくじけん)とは、文政4年4月23日(1821年5月24日)に、南部藩士・下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)を首謀者とする数人が、参勤交代を終えて江戸から帰国の途についていた津軽藩主・津軽寧親を襲った暗殺未遂事件。 秀之進の用いた別名である相馬大作が事件名の由来である。杜撰な計画と、事件前に裏切った仲間の密告により、津軽寧親の暗殺に失敗したため、秀之進は南部藩を出奔した。後に秀之進は幕府に捕らえられ、獄門の刑を受けた。 弘前藩主・津軽氏と盛岡藩主・南部氏の確執は、戦国時代の末期か