【足柄】昭和11年ジャン・コクトー来日と「飢えた狼」【愛宕】
- hirataitaisho
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※注意 本稿はジャン・コクトーが日本で見た軍艦が「足柄」ではない、という検証であって、「飢えた狼」のニックネームが「足柄」のことであることを否定するものではありません。
重巡「足柄」のニックネームといえば「飢えた狼」。 1937年(昭和12年)ジョージ6世戴冠観艦式に参列した際、イギリス人から言われたというこの評が、嫌味なのか褒め言葉なのかについて色々取り沙汰されている。 #まとめ用 pic.twitter.com/m1NDw8oiFS
2015-10-21 23:34:13そのうちの「褒め言葉」であるという説の根拠として、フランスの芸術家ジャン・コクトーが来日(昭和11年5月)したときに「足柄」を見て、その機能美を絶賛したというものが挙げられ、Wikipediaの「足柄」の項目にもしっかり載せられている。 #まとめ用
2015-10-21 23:36:11自分もそのことについては全く疑ってなかったのだが、たまたま調べる機会があってやってみたら、実はコクトーが見たのは「足柄」ではなく「愛宕」だという結論に達したので、ここでまとめる。 #まとめ用
2015-10-21 23:38:041936年5月16日 ジャン・コクトー来日
ジャン・コクトーは1936年(昭和11年)の5月16日、客船「鹿島丸」で神戸港着。そこから陸路、京都などを巡って陸路で関東へ行き、22日に横浜から離日している。 この期間中、軍艦を見る機会があったのは16日の神戸入港時である。 #まとめ用
2015-10-21 23:40:49そんな訳で、5月16日に神戸に「足柄」が居たら「足柄」なんだろうとアジ歴で海軍公報を開いてみたら、コレである。(海軍公報 昭和11年5月16日 C12070356600) #まとめ用 pic.twitter.com/qSGCPaxK6V
2015-10-21 23:42:335月16日、神戸の在泊艦は潜水艦の伊1・伊2・伊3。( )内は建造中の艦。大阪まで拡大しても水上艦は加古・白雲・白雪。巡洋艦は加古だが、この時期の加古は大修理か何かをしていて、各国大使館に「加古はいま礼砲が撃てないんですんません」のお詫びが伝達されてたりする。 #まとめ用
2015-10-21 23:45:32で、肝心の「足柄」は何処にいるかというと、5月16日は長崎在泊。 「足柄」は昭和10年秋の大演習後、第二予備艦に指定されて母港の佐世保へ帰投。12月15日は長崎へ移り、修理・整備に入っている。 #まとめ用 pic.twitter.com/DcUgjFaaOr
2015-10-21 23:49:04昭和10年12月28日 礼砲不施行の件(C05034084900) 在京、英、米、佛、獨、伊、中国大使館附武官宛 拝啓 帝国軍艦羽黒及ビ足柄ハ本年十二月中旬ヨリ長崎港ニ錠泊ノ為 羽黒ハ明十一年三月中旬 足柄ハ五月下旬迄 禮砲ヲ施行シ得サル状態ニ有…(後略) #まとめ用
2015-10-21 23:51:25「足柄」の佐世保・長崎在泊は、航泊日誌(C11084019100)(C11084019300)にもしっかり記録があり間違いない。よってこれにより、コクトーが来日時に「足柄」を見ていないのは明らかである。 #まとめ用
2015-10-21 23:54:125月19日コクトー取材記事
そもコクトーが日本の軍艦を見たというのは、この訪日を記事にした昭和11年5月19日の東京朝日新聞に拠るようだ。 #まとめ用
2015-10-21 23:55:44「神戸に入港した時日本の軍艦が入港して居たが色といひ形といひ實に立派な堂々たるもので世界の何処の港に持つていつても日本の軍艦だとわかる特異性がある」 (東京朝日新聞5月19日夕刊「横浜着のコクトオ氏 “80日世界一周を賭けて飛出す” 伊達な弥次喜多行」より) #まとめ用
2015-10-21 23:58:19コクトーはここで単に「日本の軍艦」としか言っておらず、艦名を挙げていない。 つまるところ、後の戴冠観艦式における「足柄」のエピソードと、戦前に日本の軍艦を見たことがある外国の著名人・コクトーの話が混同され、コクトーが「足柄」を賛美したという話になったのだろう。 #まとめ用
2015-10-22 00:00:195月16日 重巡「愛宕」
ではコクトーが見たという「日本の軍艦」は何なのか。 もう一度海軍公報5月16日の記事を見ると、重巡「愛宕」の15日神戸発・横須賀へという項目がある。 #まとめ用 pic.twitter.com/xRQeNP24gM
2015-10-22 00:06:16「愛宕」はこの年のはじめ第二艦隊第五戦隊へ配置されていたが、3月に予備艦に指定されて修理・整備。5月10日、三重県四日市市での博覧会に参列することになり、横須賀を出港する。(四日市市艦船派遣の件 C05034860400)(愛宕日誌 C11084065900) #まとめ用
2015-10-22 00:08:23「愛宕」は5月11日から13日まで四日市滞在。13日夜に四日市を発し、翌14日昼に神戸入港する。海軍公報では取材が追いつかなかったのか、13日・14日・15日の「愛宕」はいずれも「航海中」の項目に載せられているが、 #まとめ用
2015-10-22 00:10:26愛宕日誌(C11084065900)の記録を追うと、「愛宕」は14日のうちに神戸へ入港し、15日は丸一日、神戸港で滞在している。 #まとめ用 pic.twitter.com/ZhlSFnbubb
2015-10-22 00:13:49さてコクトーの乗船「鹿島丸」が神戸入港した16日朝、神戸港内に居る海軍の艦艇は、16日付海軍公報に拠れば潜水艦3隻(ほか建造中潜水艦3隻)。そして愛宕日誌には「0755鹿島丸入港」の記載が出てくる。 #まとめ用 pic.twitter.com/dlD86SWF1c
2015-10-22 00:16:39「愛宕」はこの日の昼、神戸を出る。海軍公報では「神戸発横須賀へ」となっているが、実際には宿毛で演習をしている連合艦隊のところへ向かったようだ。 #まとめ用 pic.twitter.com/wXkN6NJQu5
2015-10-22 00:19:43以上、昭和11年5月16日朝に神戸港へ入ったジャン・コクトーが見た「日本の軍艦」は、重巡「足柄」ではなく重巡「愛宕」であろうと結論する。 まさかの伊号潜水艦ではない限り。 #まとめ用
2015-10-22 00:21:47とはいえ、ジャン・コクトーが生涯一度も「足柄」を見ていないとは断定できない。冒頭の検証人レポートにもあるように、コクトーが観艦式に来た「足柄」を書いた記録があるかもしれない。 今のところはひとまず、コクトーが日本で見た軍艦は「足柄」ではない、ということである。 #まとめ用
2015-10-22 00:26:00