深夜のぐだぐだヴラドおじさま史覚書
WEB資料の紹介から
『De la Vlad Tepeo la Dracula vampirul』 cabinetuldeistorie.files.wordpress.com/2015/01/101420… 朝つぶやいたけど再掲~ヴラドの治世や伝承を絵で解説している絵本です。マーチャーシュの政治パンフ木版画とかも載ってるよ。PDFなのですぐ読める
2015-10-25 00:10:13ラドゥ美男公は時のスルタンのお気に入りで、ギリシア文化に傾倒したメフメトの寵愛を受けていたというので、イケメンだったんだろうなと
2015-10-24 23:56:26コンスタンティノープルの陥落で勢いづいたメフメトがワラキア付近も脅かした、というのでそのあたりの絵もある。攻城櫓や破砕槌の描写がイメージどおりで楽しかった
2015-10-25 00:15:06そうそう、串刺し刑の方法もイラスト付きで分かりやすい。受刑者を地面に寝かせて、女陰または肛門に杭を打ち込み、まだ息があるうちに男たち数人がかりで立てる。縄がけの突起物の描写も、文面で見るより写実的な挿絵のおかげで本当に分かりやすいんですよ。詳細は拷問史に詳しくあるのでそちらを
2015-10-25 00:25:21この辺りから脱線してぐだぐだヴラド三世史
軍楽隊の太鼓の地響きと、ワラキアのソレより立派な軍馬。あと傭兵部隊の戦象など?もいたりして、とにかく重量感と威圧感が強かった。科学技術ももちろん最新のものなので、ワラキアでは用意できない大砲などの重火器も大量にあったわけですよ。それになにより、兵力は何倍もあったわけだ
2015-10-25 00:29:54それで、その不利にも程がある戦争の中、ツェペシュは一度はスルタンの寝所まで攻め入ったんですよ。だがあと一歩及ばなかった。その後は串刺しの森で威嚇し、そのすぐあとにハンガリーで幽閉です
2015-10-25 00:32:03メフメトは自分の兵たちで作られたこの串刺し林を見て「私は人間ならば恐れないが、悪魔は別だ!」と恐れ、攻め入ることをやめたと言われているとか。ギリシア文化に傾倒していた彼の衝撃は強かったよう。兵の士気にも大変なダメージを与えたそうな
逃げ帰ったスルタンが立てたのが、ヴラドの実の弟ラドゥ美男公。メフメトのお気に入りのヤツですよ。ヤツは地主貴族を味方につけて、疲弊した兄を追い落とし、ハンガリーに逃れたヴラドはそこでマーチャーシュに逮捕されてしまった。
2015-10-25 00:34:23このときのヴラドの罪状は、「オスマントルコと通じ便宜を図った為」ですよ大体。この、文字通り命をかけて戦った男が、スルタンと懇ろの弟が野放しになっているのに逮捕されるというのか!っていうね。ハンガリー側は自国を守る為にも仕方がなかったんだけれども。お隣の国だし仲はよくない。
2015-10-25 00:35:59その後は推して知るべしといった感じで。幽閉時のヴラドは、それでもマーチャーシュの出席する宴に参加したり、客将として指揮を見たり、賓客扱いだった。ハンガリーもトルコ側との交渉の際にはヴラドを側に置き、「あの恐ろしい悪魔は今もハンガリーの庇護下で生きている」と脅しに使ったりもした
2015-10-25 00:40:00あの当時マーチャーシュやヤーノシュやシュテファンなどの綺羅星たる傑物揃いでやっとトルコに抗していたのも不思議だよなあ。100年に一度の逸材があの東欧の狭い国々で同時に存在したんだよなあ
2015-10-25 00:42:13で、幽閉から脱したヴラドは地主貴族の裏切りによって死んだとされている。ヴラドの死は幾つか伝説があって、トルコ人斥候のふりをしていた時に誤って味方に殺された〜というのもあるけどこれは信憑性が低いみたい。
2015-10-25 00:44:20ただヴラドの死後、彼が苛烈に抗したおかげで、オスマンの属国と化した後もワラキアは自治を認められたんですよ。そのおかげで現代のルーマニアがあると言っても良いためか、近年ではルーマニア国内での評価が大変高くなっている
2015-10-25 00:45:43ルーマニア暗黒時代の90年代頃のチャウシェスク政権下では、救国の英雄としてヴラドを槍玉にあげたんだったなあ、んで、その時に研究も色々と進めて、資料を沢山出してくれたわけだ…あの暗黒時代…
2015-10-25 00:48:06そう、で、ルーマニア国内での評価は高いんだけど、ドイツ人からの評価は凄く低かったりする!これはヴラドが治世当時に、領内で幅を利かせて暴利を貪っていたザクセン系の商人を駆逐する政策を打ち出したり大量に串刺し刑に処したりしたからみたい。
2015-10-25 00:50:53それに加えて、ヴラドを逮捕したマーチャーシュ王。この人がヴラドを逮捕後に、当時確立された「活版印刷術」を駆使して、大量にヴラドの悪業を印刷し、有る事無い事書き連ねて「ヴラドは悪魔!キリスト教の敵!」みたいに流布した所為もあったり
2015-10-25 00:52:23↑逮捕を正当化するためには必要なことだったようです
そうそう、このマーチャーシュの政治パンフレットによって、「串刺し林の前で食事をするヴラド」だの「貧者を生きたまま焼き殺しただの」「娼婦をさいなめるのを楽しんだ」だのという誇張や嘘を含んだ伝説が多数生み出されたんだよなあ
2015-10-25 00:56:55ヴラド自身知っていたかどうかすら怪しいよねその政治パンフレット。当時幽閉されていたんだから外部の情報はそんな入ってこないと思うんだけどどうなんだろう。幽閉時のヴラドの詳しい生活などについては不明なところが多いです
2015-10-25 01:01:25