私家版ハイデガースタディー09 潜勢(二元論)に対する根源規定から現勢(同一律)の所在究明へ。

この私家版は、ツイッターしながらハイデガーを読むためのものだが、ハイデガーは未読者の方が読めていて雄弁だ、という現象が面白いので、そのまままとめている。未読者のハイデガーへの先入観は、ハイデガーの存在論を、デカルトが方法的懐疑した中世神学の存在証明(無限ループ)と混同する点だ。 特に、日本では戦前のハイデガー受容史が隠蔽されるためか、ハイデガーが批判した当のものである、心的実在や深層心理学、つまりデカルトの方法的懐疑の副産物である認識論や二元論や形式論が噴出してしまう。日本の戦後思想史の困難は、すべてこのハイデガーが批判した当のものが、不明になってしまうということに尽きる。 ハイデガーが戦前に超越論的=批判哲学であるのは、デカルト的方法が、心的実在という認識論の形而上学に陥ることを、形式的告示として方法的に退け、根源規定に言及するためだ。当然それは、自我とは時間である、というものだ。 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

まさにそれね。曖昧な言明なら黙するしかないということ。@inja650rr 要するに記述が曖昧であったのだと思います。神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。

2015-10-26 18:49:27
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri 要するに記述が曖昧であったのだと思います。 神の存在証明にしても曖昧であったからこそ、批判され。だからこそ教会から隠れる事が出来た。 非言明にこそ真意を隠す事ができ、故によく生きる事が出来るのかもしれません。

2015-10-26 18:39:29
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

空間と時間の止揚という交点は論理的に無でしかないが、良心と実践を一致させる好機=時間というのが有=言明性(言明すべきこと)なのでしょう。それは、あるものとしてのあるもの、あるいは、ありてある、という契約の記述の仕方に携わること、だからなのでしょう。@inja650rr

2015-10-26 18:34:15
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

良心が実践の目的(因果律)ではなく、時間的な現勢になるというのは、迷いがなくなることでしかないが、その誰にでも自明なことが、哲学的にはハイデガーが史上初だ、ということの意味だけが厳密に問題になるのです。twitter.com/sunamajiri/sta… @inja650rr

2015-10-26 18:27:08
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それが、アリストテレスの霊魂を二元論的葛藤に潜勢的に規定することから、現勢的に規定し直す根源の発見に至る。それはカイロスの非本来性ではなく、フロネーシス(実践哲学知)の良心への、史上初めての拡張である。もはや好機の実践が良心という真理(同一律)になったのだ。

2015-10-25 17:36:45
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それが、この前のシンポで登壇した古代哲学者の神崎繁氏のいう、葛藤から実践へ、という問題ですよ。フォアゾクラティカ以来、ハイデガーが初めて、実践と良心を時間的に一致させた、というのはそういうことです。twitter.com/sunamajiri/sta… @inja650rr

2015-10-26 18:20:14
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

先日のシンポは、第一部第二部とも、書籍『始まりのハイデガー』を、大御所が批判的に論評するという形になったのだが、まず第一部の神崎繁先生は、古典哲学からハイデガーのストア派~セム回避の意味を問うていた。bit.ly/1OPs9DD

2015-10-20 13:58:22
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

カントの動揺(図式性である超越論的構想力から弁証論への墜落)も、潜勢=動揺があるからですよ。つまり迷いとかパニックをハイデガーは現勢的=実践的でないと問題化する地平を記述しようとしているだけです。別に誰でも出来ることなんだが。@inja650rr 葛藤をしている

2015-10-26 18:15:47
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

たしかに、主著というだけあって『存在と時間』に出揃っているのだが、まだ決意性のままで、現勢的時間根源そのものが書かれていなかったり、脱超越論性である転回後が形式的告示されていなかったりするので、一冊では不十分。一冊でまとめておいてくれないと、持ち歩きに不便。

2015-10-26 18:01:55
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そこで本来性をいうハイデガーの用語と、そこからは非本来性とされる仏教の用語を一即多にすると、現代人という非哲学的な宗教人間、パニック人間が出来上がるということなのでしょう。@inja650rr 本来的な人間の在り方を見失っている~解脱とは本来的な人間に回帰する事

2015-10-26 17:56:36
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri 現代の人間とはもしかしたら、本来的な人間の在り方を見失っているのかもしれませんね。 だとしたら、解脱とは本来的な人間に回帰する事であるというようにも思えます。

2015-10-26 17:46:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それを言い直すと、解脱という境地が目的となる今の苦というのは、目的が今に一致していない因果律に過ぎず、その先には決定論しかないので、本来的な現勢的時間規定ではない、というのがハイデガーです。だから解脱のように非本来的時間で物語ることが、批判されているのです。@inja650rr

2015-10-26 17:42:59
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーでは、実践=当為、つまり今とは目的そのもなのです。今の後に目的があるのではない。目的が今の後に来るのであれば、それは潜勢的であって、現勢的今は苦であることになってしまう。それをハイデガーは実践的ではない、といっているんです。@inja650rr

2015-10-26 17:37:33
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そうだと思います。迷いというのは、二元論的に潜勢して、死後の解脱を証明しようとして苦しむようなことです。そこでは解脱は境地のように目的化されている。それに対して、ハイデガーが現勢的規定から潜勢的規定を批判するのは、迷わないということです。@inja650rr

2015-10-26 17:37:21
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

はい、輪廻の解脱を目的とする教えであったとするのであれば、 本来的な人間の在り方とは、活きながら輪廻を解脱する事であり、 その見方からすると漏神通とは、形而上学を見抜く力であると考えます。 この考えではハイデガーと同様だと考えます。 twitter.com/sunamajiri/sta…

2015-10-26 17:34:12
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーをニーチェと混同すると、カントの潜勢的規定に戻ってしまう。予め輪廻から解脱しているという現勢的規定を、本来性として語るハイデガー的には、仏教もそうなりますね。@inja650rr twitter.com/inja650rr/stat…

2015-10-26 17:28:57
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーをニーチェと混同すると、カントの潜勢的規定に戻ってしまう。予め輪廻から解脱しているという現勢的規定を、本来性として語るハイデガー的には、仏教もそうなりますね。@inja650rr twitter.com/inja650rr/stat…

2015-10-26 17:28:57
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri では仏教的悟りとは、そもそも境地を示す概念ではないと考えると如何でしょうか? 時間軸に沿って常に涅槃寂静であろうとする事が仏教的悟りであると僕は考えます。

2015-10-26 17:25:27
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri では仏教的悟りとは、そもそも境地を示す概念ではないと考えると如何でしょうか? 時間軸に沿って常に涅槃寂静であろうとする事が仏教的悟りであると僕は考えます。

2015-10-26 17:25:27
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そこが決定的に違う。それでハイデガーが読めなくなるのです。ハイデガーが苦行のすべてを言い当てた上で、それを境地と語らないのは、霊魂は現勢的で不滅でもなんでもないからです。@inja650rr 現世に生きるという事は非本来的人間にとって「苦行」なのではないでしょうか?

2015-10-26 17:22:10
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri 現世に生きるという事は非本来的人間にとって「苦行」なのではないでしょうか? それが「一切皆苦」の言葉に込められているように思います。 つまり本来的人間であろうとする事により、苦は滅するのかもしれません。

2015-10-26 17:17:49
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーから見ると、カントもニーチェも(ニーチェ化した)仏教も、非本来的時間であるのは、それらが苦の輪廻からの解脱を、境地として語る苦行だからでしょう。境地とは非本来性です。本来的時間とは、証明を懐疑する明証なのだから、そうした苦行のことではない。@inja650rr

2015-10-26 17:14:39
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

これを昨晩見落としていた。ハイデガーの本来性とは、証明できないもので苦しむことのない明証性ということに尽きるが、それは境地というものではない。もっと端的に現勢的なものなのでしょう。@inja650rr twitter.com/inja650rr/stat…

2015-10-26 17:11:13
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri @J_J_Kant 永劫回帰とは正に苦の輪廻である事が鍵なのかもしれません。 ニーチェ曰く、永劫回帰の苦しみを乗り越えた先に超人の境地が有る。 それは死から目を逸らすことではなく正面から向き合う事であり、先駆的決意性と同意だと思うのです。

2015-10-25 20:02:39
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

弁証法は時空を同軸と捉えて交点的時間を止揚にする形式性に頽落するからね。ちなみに、存在と時間で「根源的時間」というのは、不可逆性と終末(決定論)で規定される通俗的時間に対立する地平として出てくる。SZ-426p@inja650rr pic.twitter.com/F5Ow3hRIvl

2015-10-26 01:45:25
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隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri 有難うございます(^^)/ ただ、ここで思うのは、 「精神が時間の延長=空間でないのだから、空間も物体の延長ではない」 だとしたら故に空間と時間は別軸で考えるべきなのではないかということです。

2015-10-26 01:17:21
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

精神が時間の延長=空間でないのだから、空間も物体の延長ではない、という言い方をしてもいいのかもしれません。本来的時間規定はカント書でより厳密化されるが、存在と時間第82節から最終節までを再読してみてください。bit.ly/1VwJ979 @inja650rr

2015-10-26 01:12:58
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri なるほど!!そうです。 この考え方は実にハイデガー的なのかもしれません(^^)/

2015-10-26 01:04:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

その延長と交点という時間の規定の仕方を、非時間的というのがハイデガーなのでしょう。@inja650rr 精神は時間の延長であり、物体は空間の延長であるとすると、僕は時間と空間の関係は等価であるのだと考えますが、その点については如何でしょうか?

2015-10-26 01:03:05
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

@sunamajiri 精神は時間の延長であり、物体は空間の延長であるとすると、僕は時間と空間の関係は等価であるのだと考えますが、その点については如何でしょうか?

2015-10-26 01:01:09
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