ウイーンの人々は、ひとつの目で涙して、同時にもう一方の目で微笑む、というのを聞いたことありますが、これが実にウイーンの音楽の感じを表しています。悲しみと喜びと、一種の諦めのようなものが分かちがたく結びついている。
2011-01-14 08:32:27@nobuyamamasu ツェムリンスキー、シェーンベルク、マーラーと今弾いているところですが、もうすぐ新演出『こうもり』の稽古が始まります。ウイーンづいています。
2011-01-14 08:46:13@nobukoyamaguchi なんでウイーンという町には、長期間にわったってあれだけすごい音楽を生みつづけたのでしょう。やっぱりヨーロッパ東・西、南・北の交差路で文化的交流の場だったのでしょうか。
2011-01-14 08:51:15@nobukoyamaguchi 例えばウイーンには北方的な対位法の世界と、南方的な「歌」の世界が見事に融合しているような気がします。
2011-01-14 08:54:42歌劇《ばらの騎士》第1幕で元帥夫人はこんなことを言います。Ein halb Mal lustig, ein halb Mal traurig. Ich kann halt meine Gedanken nicht kommandier'n (続) @nobuyamamasu
2011-01-14 09:03:47@nobuyamamasu ウインナワルツ。実際弾くと譜面を追うだけでは明らかに何かが違う感じになるのですが、その何かを具体的に表現できなくて、カルテットのファーストでワルツのみひたすら弾き続けるという本番を若いときやったんですが、あれは居心地が悪かった。何をやっても嘘っぽくて
2011-01-14 09:04:04(承前)半分愉しくて 半分哀しくて / 自分の思いを 操れないの 哀しみと喜びと諦め、全て語り尽くされてます。
2011-01-14 09:06:45@nobukoyamaguchi (ワルツ)分かります。最近は少しは感覚でつかんできたような気がしますが、なかなか体に定着しない。ウイーンフィルとかが弾いているのは、文句なしに楽しめるのですが。ドイツ人もどこまでつかんでいるのか?ちょっとダサい感じがする。
2011-01-14 09:09:19@nobuyamamasu ウイーンの血、と言えば身も蓋も無いんですが、その当時日本の学生をやってた私には、その壁が超えようのないようなものに思えました。ドイツ人のワルツも日本人のワルツぐらい「違うもの」でしょうね。
2011-01-14 09:12:38@dhirose ありがとうございます。 なるほど!この歌詞はそのものですね。まさに!ウイーンの人は無理に自分の感情を定義しないで、中間色、感情の濃淡を楽しんでいる、ということでしょうか。
2011-01-14 09:12:43@nobuyamamasu ウィーンでは、そういう生の感情をダイレクトに表現することが「野暮」でもあるんでしょうね。だからこそ、オックスがあの世界では嫌われ者になってしまうわけで。そして、そんな心の機微が多くの人の琴線に触れるからこそ《ばらの騎士》が名作たりえてるわけで。
2011-01-14 09:33:10なるほど! RT@dhirose @nobuyamamasu ウィーンでは、そういう生の感情をダイレクトに表現することが「野暮」でもあるんでしょうね。(中略)そして、そんな心の機微が多くの人の琴線に触れるからこそ《ばらの騎士》が名作たりえてるわけで。
2011-01-14 09:36:37@nobuyamamasu @dhirose オクタヴィアンにしろマルシャリンにしろ、劇中、心が揺れているわけですね。その「揺れ」が心地良い。最終幕にいたっても、まだ、どこか完全に割り切れてない。当人もわからない。
2011-01-14 09:40:34.@nobuyamamasu マルシャリンの心の内は、ロッテ・レーマンが自著『歌の道なかばに』で、これ以上ないまでに適切に語り尽くしています。是非ご一読を! http://amzn.to/f0NrYZ
2011-01-14 09:44:10