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Bunzo @Kominebunzo
日本の航空工業がネジの締付けトルク管理に関心を持ち始めたのは意外に古く、デボワチン戦闘機やモーターカノンを弄り出した昭和十年頃。トルクレンチ類似の締付け工具が入って来ている。「戦前はトルク管理をしていないから」とは某エンジニアさんの筆が滑っただけ。とりあえず色々やってはいる。
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日本の航空技術史は設計者側からのどう設計したか、との回想中心で成り立っているので、製造現場がどう造ったか、といった生産技術的な要素が大きく欠けている。そのせいで解らなくなっている物事がたくさんある。
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例えば堀越さんは烈風の設計では零戦の時には考えなかった生産性を考慮したと書く。でもそれは設計者が新しい発想で設計に臨んだのではなくて、その頃の三菱名航がそのような機体開発を始めていたから。設計時から製造側からのチェックが入る時代になっていた。
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製造側の技師さんである平山鋲の平山技師は雷電について胴体が太く、外板が厚いので作業しやすく、このような機体が良い軍用機だと戦中に書いている。工作部が技術部に対して批評的に発言するようになって来ている事が、社内文書からも確かめられるようになるのがこの時期。
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戦時中の航空工業の作業員数は支那事変勃発時から概ね20倍位になっている。零戦や疾風を造ったのは新規採用の作業員で、現場十年の熟練工ではないことは明らかだけれどもそうした当たり前の話が通らないから色々と大変だ。金属製機製造の歴史は開戦時でさえたった数年だ。誰が熟練しているのか?
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汎用機とは何だか凄そうだけど工業高校にあるような普通のシンプルな旋盤のこと。これが戦争後期には単能きに置き換わる。ある加工専門の工作機械でいちいちセッティングしないで済むので徴用工でも女学生でも操作ができる。現場が状況に合わせて変わっていった。でなければ総動員は出来ない。
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戦時の航空工業を考える時に請負制度を理解しないと何も解らない。作業を一つずつ請負う親方と徒弟の集団が工場内にあったということで、これでは流れ作業も出来ない。戦時中にタクト方式の流れ作業が急速に普及したのは国策の力を借りて請負制度を圧倒できたから、という点も見逃せない。
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例えば今まで親方と子分が工賃を分配していた工場に大量の徴用工や動員生徒が入って来たらどうなるか。作業が細分化され音楽と共にラインが動くか、作業者が動くタクト方式の流れ作業が導入されたらどうなるか。 簡単には行かないけれども変化の波は親方達には抗い難いほどに大きい。
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「熟練工が徴兵されて」といった話は戦時動員の作業者に対する即成教育が間に合わない、という問題で、欧米諸国がとっくに解決していたもの。日本の戦争準備、産業動員体制の確立はそれだけ遅れていた。本気でやる戦争の支度が3年位遅い。
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90年代の多品種少量生産志向で全く影か薄くなってしまったトランスファーマシン。複数の工作機械を連ねて連続加工を行う自動車大量生産の象徴のような設備だけれど、日本初の導入は戦時中の三菱名古屋発動機製作所。 戦時中に既に熟練工を排除した自動化の流れが生まれていた。
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熟練工とは詰まる所、手作業の熟達した作業者のこと。現代の製造業でもこうした作業者にある加工が任されていることも珍しくない。けれども戦時下の急速増産は養成困難な熟練工を排除しないと成り立たない。作業を細分化、単純化して即成教育の臨時工が働ける設備にしなければ急速増産はできない。
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熟練工の操る汎用機から臨時工が扱う単能機へ、飛行機1機、エンジン1基ずつの組み立てからタクト方式の流れ作業に移行する動きを日本独特のものと思っては間違い。世界中がそう動いていたので、日本は全くの後追いで、どこの国からも警戒されることなど、無い。
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熟練工を排除しないと大量生産が成り立たないということが解らないな人が居るのかな。
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リベットを使う接合法よりスポット溶接の方が何だか合理的で進んでいる印象がある。雷電あたりから部分的に導入されているものの終戦まで電気溶接はあまり広がらない。その理由は「熟練工を必要とした」から。選抜した練習生に3年かけて習得させる工作法は戦時緊急増産には向かないとの判断だった。
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支那事変当時の戦闘機生産は週に1機完成するかしないか。これが熟練工時代の生産ペースで、一方、週ではなく日にに何機も完成させなければならないのが戦時下の増産体制。この二つの時期を混同して「日本の航空工業は」なんて解ったような話はとてもできない。
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「熟練工が組み立てた試作機は良かった」といった話はなかなか無くならない。試作番号が付いたエンジンを積んだ機体は即時発動機交換対象になる。交換部品が無かったり、不具合が改善されていないので安心して使えない。「試何号」といった番号は交換エンジンが到着次第、問答無用に降ろされる。
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戦時下で熟練工の大量養成が試みられた事例がある。それは厚木基地に隣接した高座航空工廠、秘匿名は空C廠。ここでは台湾出身の少年達を寄宿舎に集めて基礎教養から教えて将来、現場の中核となる作業者に育成する「学校」みたいなことをやっている。教育は熱心に行われたけれど「卒業者」はゼロ。
Bunzo @Kominebunzo
空C廠で台湾出身少年工が戦力化できなかったなら「高座工廠製の雷電」は誰が組み立てていたのかといえば、日本建鉄に民間委託されていた。あれこれと割と柔軟に動いているのも戦時下の航空機生産の特徴で、意外な企業が意外な方面で増産に貢献している。
Bunzo @Kominebunzo
熟練工という存在は日本では単なる手作業のエキスパートとして語られる事が多いけれども英国では職能別組合に加入している労働者を意味する。手作業には熟練しているが機械化された作業では臨時工と同等以下の作業者をどうやって製造現場から追い出すかが課題だった。
Bunzo @Kominebunzo
英国の職能別組合は中世のギルドを思わせる制度で、飛行機外板のリベット止め加工はボイラー工組合からだす、といったしきたりがあった。工場は勝手に臨時工を雇えないのだ。これがあらゆる作業に及ぶので手が付けられない。
Bunzo @Kominebunzo
飛行機増産の為に臨時工を雇い入れる際には臨時工3人に熟練工1人といった具合に職能別組合との少交渉が必要だった。臨時工を雇える事業所に熟練工はいらない。熟練工など、いなけれはいいのに!というのが企業の本音だった。

コメント

iga9984 @iga9984 2015年10月28日
「大量生産に熟練工は邪魔。」言われてみると納得だけど、この視点はなかなかもてなかった。

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