- azarashi_salad
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[【あの日あの時、民主党政権がやったこと】第4回市民科学者国際会議:谷岡郁子(書き起こし)] azarashi.exblog.jp/21792209/ 今日初めて動画を見たが、あらためてテキストを見て心から「情けない国だ」と思った。
2015-10-31 22:37:36みなさん、こんにちは。谷岡です。本当に、今、宍戸さんから重いお話を伺いました。私は、ああ、あの時ああだったのだ、その日私は何をしていたのだろうかと思いながら、お聞きしていたところです。 twitter.com/azarashi_salad…
2015-10-31 22:40:25で、昨日から始まりました、この会議、今日の午前中の。本当に、招待して頂いてよかった、本当に多くを学んだと私自身が思っている。その中で、いかに情報を握っている人たちが、「リスク・コミュニケーション」等と称して、いわば、隠してあげるのは親切だからよ、みたいな形がある。
2015-10-31 22:40:49都合の良い国民に、都合の良い行動をとって貰いたいがゆえに、操作がされる。そして、本来の加害者であるところの人たちではなく、お互いが、被害者同士で、お前が加害者だというような形の構造へ、押し込められていく。こういうトリックと言うものの状況と言うのが露わになっていたと思います。
2015-10-31 22:41:02私は当時、民主党の議員で、与党の議員でした。多くの状況、多分、皆さんとは違うところから見ている立場にありました。大きく見てみれば、多分共犯の1人であったろうと思います。その共犯の1人であったことが「子ども被災者支援法」というものを作るうえで、とても重要でした。
2015-10-31 22:41:15原発事故が起こった時に、ものすごいショックを、当然、皆さんと同じように、受けました。よく友達の議員たちと、話し合っていたのです。使用済み核燃料ってどうなるのだろうね。やっぱり、いろんなことで、チェックをしたり、或いは、燃料換えたりする度に、作業の人たち被曝するんだわね。
2015-10-31 22:41:27でも、それは、どうも大きな「パンドラの箱」に見えました。これ開けてしまうと、議員生活、他のことなど多分考えられなくなる。高校の無償化ということを手掛けたり、私は、若者たち、教育と言うことを、私は教育者としてやってきた中から、それを政治家としての仕事としたいと思って。
2015-10-31 22:41:38実は、頭の隅で気になりながら、原発と言う問題を取り上げてこなかった。それがゆえに、あの事故が起きた時、ああ、私は何ということをしたのだと言うよりも、何ということをしなかったのだ。なぜ、うすうす気が付いていながら、声を上げようとしなかったのだという思いに強く駆られました。
2015-10-31 22:41:48そして当たり前のことですが、私たちが全く声を上げていなかった結果、何の準備もありませんでした。何かをやろうにも、そのベースになる法律がどこにもないという状況でした。
2015-10-31 22:42:18しかしながら、「操作」、ある人々による、「ある種の操作」、「ある方向への操作」というものは、かなり早い段階から、今考えてみて、あったと思います。
2015-10-31 22:42:27例えば、秋になってからしか、私たちには知らされませんでしたが、あの当時、いち早く、実は、チェルノブイリの例に倣って、チェルノブイリ・ウクライナでは、保健省の指示に従って、何千台ものバスを導入して、子どもたちを避難させたと。そのことを伝えた副大臣がいました。
2015-10-31 22:42:42官邸でそのことが話し合われました。そのことは、私は当人から聞いたのだから間違いありません。でも、官邸では、1人の大臣を除いて、関係の大臣、総理を含めて、この、「バスで子供を運ぶ」ということは賛成されませんでした。
2015-10-31 22:42:51他にやらなきゃいけないことがたくさんあった、ということと同時に、とにかくパニックにしたくない、という強い思いがあったと思います。
2015-10-31 22:43:08東北自動車道を含めて、ほとんど、あの津波で寸断され、あの地震で寸断されて使えなかった状況の中で、ややこしくしたくないという思いはあったのかもしれませんが、でも、それは却下されたのです。
2015-10-31 22:43:16つまり、その時に、私はそんなことを考えている余裕はなかったのだと与党の議員として思っておりました。あまりに強烈な状況で、陸の孤島が、海の中の孤島に、津波でなってしまって、どこにどれだけの人が、避難していて、どんな病気を持っているのか、一切分からなかった。
2015-10-31 22:43:26一週間、二週間とそういう状況が続きました。何千カ所、何万カ所と言う避難所に対して、私たちは十分な情報も持っていなかった。どこに何を運んだらいいのか分からないような状況がありました。その訳の分からない混乱の中で、きっと誰も「子どもを運ぶこと」など考えなかったのだと信じておりました。
2015-10-31 22:43:54秋になって、そうではないことを知りました。話し合ったのです。話し合って「子どもの安全」を棄てるという決意を政府自身がしたのだということを知りました。
2015-10-31 22:44:05これは、私にとって、痛烈な、与党の議員としての打撃になって、その当時から、ここには居られない、共犯ではいられないという思いがあって、いずれ、その後、私が民主党、この「子ども被災者支援法」といわれるものを通した後、出るきっかけになっていたように思います。
2015-10-31 22:44:17みなさんは、どうお考えになっているか分からないのですけれども、例えば、今、申し上げた「バスの問題」。そういうところがある、一方で、スピーディがどこかにあるはずだよと15日ぐらいになって、誰か、議員が言い始めたのですね。そういうことを知っていた人がいた。
2015-10-31 22:44:27それまで、スピーディがあるということは誰も何も言われなかった。で、モニタリングを早くしなきゃいけない、何とか情報が欲しいと言っても、私は、文部科学関係の議員であった訳ですけれども、いくら言っても。
2015-10-31 22:44:50随分、いろんな文献をその後読むことになりましたから、何週間目かに、早くストロンチウムを測ってくれ、ということを私はずっと言い続けて、最後までずっと、それを言い続けました。
2015-10-31 22:45:02いまだにストロンチウムと言うものを測っておりません。測るのが難しいことは知っております。しかし、あの最初の1ヶ月間、2ヶ月間、その余裕がなかったとしても、3年半経って、この科学技術大国において難しいということは言われていますが、不可能だということは言われたことは一度もありません。
2015-10-31 22:45:29現に、ストロンチウムが東電の水の中に残っていることは、東電がちゃんと測って分かるわけです。測る方法がある訳です。しかし、環境内にどれくらいあるか、子どもたちの周りに、どれくらい取り巻いているか、これが、骨や歯に入ったら、そこからは出てこない。
2015-10-31 22:45:42昨日、小出先生は、セシウム137が一番問題なのだと仰いましたが、多分それは正しいのでしょう。でも、私は、女性の立場として、子どもの母の立場として、常に思うのは、やはり、成長期の子供の骨に入り、歯に入るかもしれない内部被曝の恐れのあるストロンチウム。
2015-10-31 22:45:53そして、一度入ってしまったら、セシウムと違って体外に出すことが、ほぼ不可能であるストロンチウムというものは、大変恐ろしいと思っておりますし、これを測らなきゃいけないということは、ずっと言ってきました。しかし、いまだに測られておりません。
2015-10-31 22:46:03