渡邊芳之先生ynabe39の「最近でこそ変わってきたが大学の「語学の先生」というのは長年にわたり「その言語の文学や歴史の研究を専門にする人」であって言語教育専門家ではなかった。」
千の風になって。
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
スポーツができる人間は、もとよりスポーツができるので、それができない人間が全く理解できないのだ、という話を先日見た。そうだろう。なぜボールを思うままに操れるのかなんて、それがうまい人は言語や理屈の外で把握しているのだから、説明や指導なんてできるわけない。
2015-11-05 12:17:51「カウンセリング」なんていうのももともとは「天才なら自然にできる」ものだったのを分析して言語化して初めて教えることができるようになったのである。もちろんその「分析」をやったのは天才じゃない人たち。
2015-11-05 12:22:17
地方中小大学でも数学の授業は開講されているが,担当している人は統計や疫学,あるいは情報処理を専門とする人が多く,純粋な数学プロパーの人は多くない。
2015-11-06 08:16:20心理学だったらどんな地方小規模大学でも「心理学」の授業は心理学の専門教育を受けた人が教えているから,もし(当分はありそうにないが)有名大学の心理学科がどんどん廃止されるようなことがあっても心理学プロパーの働く場所はそれなりに残る。
2015-11-06 08:20:25数学のような基礎科目というのは「みんな勉強しているんだから専門家でなくても教えられる」と思われやすいし実際それなりに教えられちゃうのが厄介だと思う。
2015-11-06 08:21:33@ynabe39 僕が学部生だったときのクラス担任は、教養の語学担当でしたが専門は生成文法でした。後から知ったんですが。
2015-11-06 11:17:38最近でこそ変わってきたが大学の「語学の先生」というのは長年にわたり「その言語の文学や歴史の研究を専門にする人」であって言語教育専門家ではなかった。
2015-11-06 11:22:25「英文学者でなく英語教育者を採用しよう」ということになったら「高校の英語の先生をやりながら大学院に行って学位を取った人」ばかりになった。
2015-11-06 11:24:37@ynabe39 そういえば高校の古文の先生(女性)が、「やっぱりうるわしの源氏物語で学位をとるのよおおおお(とは言ってない)」と晴れやかな笑顔で1年で退職して博士課程に進みました。…無事とれたのかなあ?
2015-11-06 11:31:19「高校の英語の先生をやりながら大学院に行って学位を取った人」がみんな英語教育で学位をとるわけじゃないんで,うちのT先生なんかたしか「蠅の王」の研究で博士号を得ている。
2015-11-06 11:34:57