表象文化論学会第10回研究発表集会「アンドレ・バザンの現在」
- Cristoforou
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掘潤之さんのイントロ中。バザンの書誌情報。すごい数の映画評を書いたが、『映画とは何か』に入ってないようなのもいっぱいある。 #bazinrepre
2015-11-07 16:11:04私が昨日読んだやつ。新訳。ヴィットリオ・デ・シーカ論がはいっている。/『映画とは何か』(上) (岩波文庫) amzn.to/1NVuf3r
2015-11-07 16:13:47堀さんが訳したオーソン・ウェルズ論が近々出る。これは #bazinrepre たぶんシェイクスピア研究者にも関係あると思う。 /アンドレ・バザン『オーソン・ウェルズ』 amzn.to/1NVuj3k
2015-11-07 16:14:50#bazinrepre 70年代にバザンがナイーヴな経験主義として批判されたが、90年代くらいから再読。理論から歴史へ。
2015-11-07 16:16:10#bazinrepre アーカイヴ調査を通して、バザンの書いたもので知られていないものもいっぱいあることがわかってきた。
2015-11-07 16:16:44#bazinrepre 『偉大なるアンバーソン家の人々』(私これ見てないわ。見ないと)の、スクリーンプロセスを使わない場面。ガラスへの映り込み。
2015-11-07 16:23:11#bazinrepre バザンはウェルズをリアリズムの映画作家としているが、通常はリアリズム的な演出をする映画作家とは考えられない。バロック性がある。しかしバザンはこういうバロック性に注目していないわけではない。バザンのリアリズム理解とは?
2015-11-07 16:29:14#bazinrepre 『田舎司祭の日記』。ベルナノスのテキストの読み上げと映像が完全に分離している。俳優には演技をさせない。
2015-11-07 16:38:37#bazinrepre ブレッソンの手法。自分で言っているが、人間の動作は9割くらいは自動的なので思考とか意志とかがついてくるのは反自然的だとブレッソンは考えた。←私見:これ反メソード的じゃない?
2015-11-07 16:40:33#bazinrepre バザンのブレッソン論にある翻案映画一般についての議論。幼形成熟したものがさらなる進化を遂げるプロセス。演劇以上の演劇としてのオリヴィエの『ヘンリー五世』やコクトー『恐るべき親たち』。適応が可能なケース。
2015-11-07 16:47:33#bazinrepre 映画が最終形態ではない。テレビとかになりうる。←私見:これ、映画yが舞台になるとかいう最近のプロセスを切れなくない?
2015-11-07 16:48:40#bazinrepre エイゼンシュテインにとってのモンタージュはショットとショットじゃなくひとつの画面で生じているものだった。他の人のモンタージュ観には批判的。ここを探るとバザンとのつながりが見えてくるのではないか。
2015-11-07 16:53:53