2015年11月10日

渡邊芳之先生ynabe39の「そんなの自由でも表現でも権利でもないからいくら制限してもなんの問題もない」というようなものをどんどん増やしてしまうことには反対である。

自分は「自由でも表現でも権利でも公共の福祉の観点から最小限の制限を設けることはできる」と考えるので、制限したり規制したりすべきものを自由や表現や権利から除外する必要はないと思う。 同時に、どんなにひどいことで明らかな被害者がいるという理由であっても、なにかを制限したり規制したりすることはつねに「自由や表現や権利の制限」であるから、慎重であるべきだし最小限であるべきだと思う。
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

 

渡邊芳之 @ynabe39

「自由だったらいっさい制限してはいけない」「表現だったらいっさい制限してはいけない」「権利だったらいっさい制限してはいけない」と思うから「そんなの自由ではない」「表現とは呼べない」「権利というほどのものではない」と言って制限しようとする。

2015-11-10 06:10:00
渡邊芳之 @ynabe39

「自分たちは誰かの自由や表現や権利を制限しろと要求しているのではない」と言うために自分たちが「悪であり制限すべきだ」と思うものを「自由ではない」「表現ではない」「権利ではない」と言うのはおかしな話だ。

2015-11-10 06:12:49
渡邊芳之 @ynabe39

自分は「自由でも表現でも権利でも公共の福祉の観点から最小限の制限を設けることはできる」と考えるので、制限したり規制したりすべきものを自由や表現や権利から除外する必要はないと思う。

2015-11-10 06:15:45
渡邊芳之 @ynabe39

同時に、どんなにひどいことで明らかな被害者がいるという理由であっても、なにかを制限したり規制したりすることはつねに「自由や表現や権利の制限」であるから、慎重であるべきだし最小限であるべきだと思う。

2015-11-10 06:18:21
渡邊芳之 @ynabe39

「そんなの自由でも表現でも権利でもないからいくら制限してもなんの問題もない」というようなものをどんどん増やしてしまうことには反対である。

2015-11-10 06:20:11
渡邊芳之 @ynabe39

と、起き抜けにまた同じことを繰り返し書きました。

2015-11-10 06:20:56
Dr. RawheaD @RawheaD

@ynabe39 その方が、いちいち自由だとか表現だとかの定義を変えることなく、「公共」の在り方の変遷に従って制限を設けたり解除したりできて一貫性を保てますね。

2015-11-10 06:22:12
渡邊芳之 @ynabe39

これも繰り返し書いているように、自分は差別表現やヘイトスピーチを法的に規制することには基本的に賛成だけれども、それは「公共の福祉に基づいた表現の自由や権利の制限」であるから最小限であるべきだし、規制されるものを自由や表現や権利の範疇から除外しようとすることには断固反対。

2015-11-10 06:24:58
渡邊芳之 @ynabe39

まったくそうで、「公共の福祉」のほうが変化すれば制限されるべきものも変化する、というのが現にいま起きていることである。

2015-11-10 06:30:50
渡邊芳之 @ynabe39

「個人の自由だから他人に口出しされるいわれはない」みたいな考え方がいけないのだと思う。自由であっても、というかむしろ自由だからこそ他人からじゃんじゃん口出しされるというのが現実だと思う。

2015-11-10 06:33:35
Dr. RawheaD @RawheaD

@ynabe39 恐らく先生の仰る通り、例えば「表現の自由の絶対性」という考えが前提にあり、それと整合性を取るための苦肉の策として恣意的な制限を設けるんだと思います。この話題に限らず、絶対的な、あるいは普遍的な善(悪)に対する思い入れが強い人が多いという印象です。

2015-11-10 06:37:31
雑兵A @_zhy_a

@ynabe39 「権利のインフレ化を防ぐ必要性」とか「表現の自由は表現を批判する自由=クソを投げ合う自由を予定している」とかいくつか論点が思い浮かび、たしかにそういえば2年前にも同じことを話していたことを思い出しました。 togetter.com/li/492210

2015-11-10 06:38:00
渡邊芳之 @ynabe39

自分は同じことを繰り返し言っているだけである。

2015-11-10 06:43:57
渡邊芳之 @ynabe39

現代の「責任」の考え方でいえば、個人が自分の言動に責任を持つのはそれが「自由意思」によると思われる場合だけで、自由でないことは個人の責任ではない。むしろ自由だからこそ他人に文句を言われるのである。

2015-11-10 06:47:14
渡邊芳之 @ynabe39

脳に電極を埋め込まれて遠隔操作でひどいことを言わされている人は「自由ではない」ので、その発言の責任は本人ではなく操作している人にあるし、文句を言われるのも操作者である。しかし操作者の脳にも電極が埋め込まれている場合は....

2015-11-10 06:51:20
しまでん⛄ÿú*゜@5G済 @SHIMADEN

@ynabe39 「そんな電極を不注意にも埋め込まれたお前の自己責任だ」、的な石も飛んできそうです。

2015-11-10 06:53:29
トップろ @toppuro

@ynabe39 「私が酒を飲むのが個人の自由だからこそ他人からじゃんじゃん口出しされている」という現実に美しく着地しました(笑)

2015-11-10 07:00:43

コメント

あきやすみ @dandonban 2015年11月11日
「自由だから責任を伴う」を進めると「自由を制限する人は、制限された人達に代わって責任を担う」という事になるのかな?例えばある表現を禁じようとする人は、その表現が失われる事による文化的損失を受容し、時には償わなければいけなくなると
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大國/おおくに(Yosh)[メイン] @Yosh0092 2015年11月12日
ううーん、正しいけど特段目新しくない、普通の見解のような。これが「素晴らしい」「目から鱗」的に扱われるほど日本の人権意識は薄いのかなと思うと寂しい。
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