テクスト。大槻涼樹「TOKYO 非実在性少年」

どうも、振れ幅です。終末からガッツまで。 コミック『四ノ宮小唄はまだ死ねない』講談社『小説版 沙耶の唄』星海社FICTIONS。黒の断章/Esの方程式/人工失楽園/終末の過ごし方/蠅声の王/デッドエンド/Theガッツ!-マキシマム・マタニティ-/赤さんと吸血鬼/etc. abp soul inside.

ふたりとも働いていた。そして二人とも、とにかく家庭よりも仕事の人間だった。親同士すら、互いに無関心だった。母親はわたしが幼稚園にあがったあたりで仕事に復帰し、そのままわたしたちに視線を向けることはなくなった。
2010-03-11 14:30:49
朝、トーストと目玉焼き程度は作ってくれた。それが母の手料理のすべてだった。 夕食は取引先の人や同僚と食べる機会が多く、母の帰宅は遅かった。
2010-03-11 15:00:08
父親も同様に帰りは遅く、わたしたちの、家族としての集合は、起きてからそれぞれがそれぞれの場所に出かけるまでの、一日のうちのほんの一時間ほどのものだった。 わたしの場所は、最初から何処にも無かった。
2010-03-11 15:15:13
ただ、共働きだったことから金銭的な余裕はあったようで、わたしと姉の夕食代は毎日千円が姉に預けられていた。 従って夕食を作るのも本来は姉の仕事だったが、子どもの身に日々の千円はとても大きい。
2010-03-11 15:30:56
姉の重荷は、おそらくわたしだけだった。姉にとってわたしは、妹というよりは、可愛がる価値のない、だが世話を押しつけられた犬ようなものだったのだろう。
2010-03-11 16:15:02
やがてわたしも小学生になった。わたしは鍵を持たされなかったので、一人で帰っても家の鍵が開けられなかった。放課後はできるだけ教室や図書室で過ごし、姉が帰る頃を見計らって帰宅する。
2010-03-11 16:30:26
だが、すでに高学年の姉は食事の用意もせず、遅くまで遊び歩くことが多くなっていた。 姉が帰ってくるまで、よく近所の公園で時間を潰した。
2010-03-11 16:45:07
冬であまりに寒いときはコンビニに入ることもあったが、お金がないので客にはなれない。小学生のわたしには、気がひけて長居はできなかった。
2010-03-11 17:00:35
地面が荒れにくいように、公園に敷き詰められた粘土質の土は、冷え込むと冷たい。足の冷えにくい砂場か、腰の冷えにくい座部が木で出来たブランコが、わたしなりの居場所だった。
2010-03-11 17:15:16
だから、遊具の改善で突然ブランコが新しくなり、椅子部分がプラスチックになった時はとても淋しかった。 わたしは居場所をまたひとつ、失ったのだ。
2010-03-11 17:30:46
冬。いちどコンビニで、パートのおばさんが時折見かけるわたしを見かねたのか、肉まんをくれたことがあった。 わたしは恐縮しすぎて、萎縮して。感謝もうまく伝えられなかった。ひとしきり遠慮したあと、肉まんを受け取り、逃げるようにして公園へ向かった。
2010-03-11 18:00:05
少し冷めかけた肉まんは、でもとてもおいしくて。でもなんだか姉の識らないところで食べ物をもらったことがとても後ろめたくて。罪の味がしたことを覚えている。
2010-03-11 18:15:48
そのおばさんと顔を合わせるのにも気がひけて、しばらくはコンビニにも行けなかった。いつしかおばさんはパートを辞めたようで、二度と会うこともなかった。
2010-03-11 18:30:38
友達は、いなかった。知りあいはいた。そういった程度の、薄い関係性しか持てなかった。 だが周囲が思うほど、孤独だったわけではない。 なぜならわたしは、孤独がどんなものかを識らなかったからだ。
2010-03-11 18:45:13
金はあっても関心や時間の無い親。虚栄心と悪意で動いている姉。何も持たない卑屈な自分。 どれもが始めから“そうだった”ので、疑問をもったことはない。
2010-03-11 19:00:37
ノコは心強い味方だった。 公園でひとり、姉の帰りを待っているとき。 ノコは公園のなかを駆け回りわたしの目を楽しませてくれた。 温もりは分かち合えなかったけど、時折わたしの様子を気遣うように視線を上げてくれる存在。 それだけで、わたしはなんだか救われた気分になるのだった。
2010-03-11 19:30:44