『レードル大佐事件』紹介 ― 第一次世界大戦直前のオーストリア・ハンガリー帝国軍諜報部機密漏洩事件の顛末

しゅにっつぇるの歴史創作小説『レードル少佐』Kindle版販売開始に伴い、この小説の背景となったオーストリア・ハンガリー帝国軍諜報部の実際の事件の顛末をご紹介します。
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しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

20世紀初頭のウィーンを舞台にした拙作『レードル少佐』のKindle版販売を開始しました。もちろん、さかきさんのカバーイラスト付きです。紙媒体発表時の内容紹介はprivatter.net/p/862470、電子書籍販売ページは amazon.co.jp/gp/product/B01…

2015-11-03 08:24:26

「レードル」って…誰?

@KokeWye

しゅにっつえる文庫『昨日の世界』シリーズ第一弾です。レードル少佐ってだれ?というところから入る方もいらっしゃるかと思いますので、しゅにっつえるさんから改めて「レードルさんて、誰?」についてツイートしていただきましょう。

2015-11-03 21:01:45
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

はい、お答えします!アルフレート・レードル(1864-1913)は平民出にもかかわらず、オーストリア・ハンガリー帝国軍の諜報部にあたるエヴィデンツビュローの副部長にまで上り詰めたエリート将校です。ただ彼には裏の顔がありました。彼は墺洪軍機密を伊・仏・露に売却していたのです。…

2015-11-03 21:21:15
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…彼の裏切りの原因は、いわゆるブラックメールのためと長年言われてきました。彼には同性愛傾向があったからです。ところが最近の史学書では同性愛を原因とした脅迫などはなく、彼は自分の愛人をつなぎとめるため、自らの生活を贅沢にするために、進んで情報を売っていたことが明らかにされています。

2015-11-03 21:21:30
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

嬉々として軍の機密情報を売り払う情報部将校…このとんでもない行動が露見するまで、なんと5年もかかりました。この事件は墺洪軍組織の腐敗を露呈しただけでなく、やがてはじまる第一次世界大戦とそれに続く帝国の崩壊を予見させる、ひとつの時代の「終わりの始まり」を象徴するものとなったのです。

2015-11-03 21:22:14

 以下は2015年5月後半、レードルの命日に合わせて行った「キャンペーン」連続ツイートです。オーストリアで『レードル事件』と言えば最も有名な彼の生涯最後の一日、1913年5月24日の出来事について、ウィーンの古地図を用い、文学や当時の社会事情などの話題をからめ、5回に分けて語りました。


第一回 墺洪軍将校と「名誉」のサーベル

しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

そろそろこの右の人物(のモデルとなった実在の人物)であるアルフレート・レードル(1864-1913) の命日が近づいてきたのでキャンペーンを始めようと思います。何のキャンペーンだ。 pic.twitter.com/hLNl7dJAU7

2015-05-21 07:24:45
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しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

これは1955年のオーストリア映画『Spionage』での1913年5月24日の晩のシーン。史実では墺洪軍機密情報売却の引責自決を強要する際、武器を誰も持っていないということが判明するというお粗末な1幕がありました。…が、ちょっと待った。みなさん身体の左側に何を携えてますかと。…

2015-05-21 07:24:56
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…そういうツッコミを入れたいところなんですが、このサーベル、はなから斬るための武器という認識はないんですよね。将校にとっては号令時に必要な指揮棒であり、名誉の、そして力の象徴としてのみ存在しているという認識だったのだろうと思うのです。

2015-05-21 07:25:15
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

そう考えると、『ラデツキー行進曲』第三部でトロッタ君が金貸しカプトゥラークに対し、壁にかけてあった将校サーベルを抜いて彼につきつけるというシーンの尋常ではない様子と意味がより分かってくると思うのです。…あれ?レードルの話をしていたはずなのに、何故またラデツキーに…。失礼しました!

2015-05-21 07:25:31

※『ラデツキー』
 =ヨーゼフ・ロート(1894-1939)作の長編小説『ラデツキー行進曲』のこと。ソルフェリーノの戦い(1859)から第一次世界大戦までのトロッタ家三代記を描いた、オーストリア・ハンガリー帝国軍を扱う文学の「聖典」とも言える小説。邦訳は平田達治先生による名訳が岩波上下巻で出ています。

 オーストリアでは何度か映画化されていますが、1995年に公開されたテレビ映画版(監督・アクセル・コルティ)が考証から台本まで行き届いた名作です。日本では公開されていないのが残念無念。

しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

そうでした、この将校サーベル=名誉と言ったら、まず第一にシュニッツラーの『グストル少尉』を出さなくてはいけませんでした!この独白型短編の発端となる出来事は、コンサート会場のクロークで言い争いになったパン屋の主人に、このサーベルの柄を押さえつけられて悪態をつかれたということでした。

2015-05-21 08:58:19
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…その突発事態に対してグストルがその場で何も出来なかったということが「将校としての名誉が傷つけられた」という認識として、果ては自死を選ぶべきかという考えにまで至ってゆくという、いかにもシュニッツラー的展開の有名な短編です。ここでもサーベルは将校の名誉の象徴として機能しています。

2015-05-21 08:58:31
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

オマケとして、このサーベル=名誉にまつわるドイツ語の語彙には、以前もご紹介しました ihn beim Portepee fassen(彼の名誉に訴える)という成句があります。この成句、逐語訳すると「彼のサーベルの緒を掴む」になるのです。サーベルそのものを掴むのではないのですね。

2015-05-21 09:08:51

第二回 古地図で見る新陸軍省と中央郵便局

しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

アルフレート・レードル(1864-1913) 命日キャンペーン(戦役の意味ではなく)第二弾。レードル最期の一日のウィーンでの動きを古地図を使ってみてみましょう。1913年5月24日(土)早朝、当時プラハ第八軍司令部に配属されていたレードルは、運転手付き自家用車でおよそ6時間掛け…

2015-05-22 06:41:30
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…ウィーンにやってきました。宿泊場所はヘレンガッセのホテル・クロムザーなのですが、今日はその前に、この日の午後遅く彼が訪れたフライシュマルクトの中央郵便局を地図で見てみましょう。この地図は1907年のものなのですが… pic.twitter.com/CoCksmAlfl

2015-05-22 06:41:58
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しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

分かる人なら観た瞬間に「これは1913年以前の地図だ」と気づくポイントがあります。それは右側の三角州にあたる部分「Neues Kriegsminist.」という白い部分。実は陸軍省は1913年5月にこの場所に引っ越してきます。だから1907年の段階ではまだ工事前の更地なのです…

2015-05-22 06:42:15
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…従って1913年5月24日にはここが陸軍省で、ロンゲ少佐が「ニコン・ニツェタス捜査本部」を置いている情報部もこの中。そしてレードルが「ニコン・ニツェタス」の偽名で現金書留を受け取りに行ったのが画面左側のHpt.Post(中央郵便局)。…

2015-05-22 06:43:09
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

…なんと目と鼻の先、直線距離にして250mの場所だったのです。それなのに初動が遅れ、彼が現金を受け取った直後、窓口とその付近で捜査官が「ニコン・ニツェタス」を取り逃がすという事態が起こりました。…というところで続きはまた明日。

2015-05-22 06:45:20
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

(そもそもニコン・ニツェタスっていうのがオーストリア・ハンガリー帝国軍情報の漏洩者としてのレードルの偽名だという話をしてないからなんのことやら分からんか!中央郵便局にはその情報に対する報酬が入った現金書留を受け取りに行ったのです。何故本人が行くか!という疑問については又の機会に)

2015-05-22 06:54:08

第三回 中央郵便局からホテル・クロムザーへ

しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

アルフレート・レードル(1864-1913)命日キャンペーン、第三回。今日も古地図で100年と少し前のウィーン散歩に出かけましょう。1913年5月24日(土)午後、ウィーン、フライシュマルクトの中央郵便局で情報売却の報酬が入った封筒を受け取ったレードルは、タクシーに乗りました

2015-05-23 06:31:26
しゅにっつぇる (和名:揚げたビーフ) @schnitzel_san

目的地はこの地図の青◯で示したホテル・クロムザー。宿泊先です。最短距離を考えると約1.3Kmですが、当時タクシーが止まっていたとしたら郵便局からはおよそ200m先のローテントゥルム通りでしょう。そこまで早足で行って残りは1.1Km… pic.twitter.com/yRnfdPuKc6

2015-05-23 06:32:15
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