皇帝フリードリヒ3は無能だったか? +ハプスブルク家雑記まとめ

出典は「ハプスブルク家の皇帝たち」など 雑記なので繰り返して書いてるところ、関係ない話(皇帝選出についてや金貨など)がああります、読みにくくてすみません。
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(フリードリヒ3世とアルブレヒト5世にまつわる雑記)

各国の王侯情報紹介 (from はくえー:西方元老院)@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

ひとりの男が、救世主と思われたその男が、あまりに長く退屈な治世を送ったために帝国の再興が果たせなかった。 それを追憶して、「フリードリヒ朝」…いややっぱないわこれ。

2015-12-09 13:06:37
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フリードリヒ3世が無能無能いわれたのは、「17歳から戦場に立ち続け、ユダヤ教徒・フス派・オスマン帝国を相手にし続けた武断派のアルブレヒト5世」に比べて、またアルブレヒトが早世してしまって「偉大な皇帝フリードリヒの名を持っているからこそ期待していたのに」という落胆もあるのでは、と。

2015-11-16 05:30:44
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ゆえにアルブレヒトと比較され、フリードリヒは無能とされた。 逆にまたアルブレヒトも「苛烈公」と言われながらも、比較されて英主とされた。 のでは?

2015-11-16 05:31:49
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「ラディスラスのハンガリー王戴冠に、フリードリヒの弟アルブレヒト6世も参上し、「あわよくば後見を」と兄と争う野心を見せていた」

2015-11-16 05:35:00
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「結果アルブレヒト無領公も後見として選ばれ、ハンガリー諸侯はこの野心を露わにする男を警戒してラディスラスをフリードリヒの管理下に置かせることにした」 そしてアルブレヒト6世の家督分割要求、と…

2015-11-16 05:37:56
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「皇帝戴冠のために赴いたフリードリヒ3世はヴェネツィアからガラスの献上品を受けたが、金銭難により黄金を欲しがっていたのでわざと手を滑らせて割った。ヴェネツィア側も大いに呆れながら今度こそ所望の金製品を献上した」 ええ…

2015-11-16 05:45:42
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「またローマでの戴冠には、「歴代皇帝の慣習通りに金がばらまかれること」を期待して民衆が押し寄せ周りに集まってきたが、フリードリヒ3世の場合は蹴散らそうと実力行使して死傷者がでるほどの混乱が起きた」 ええ…

2015-11-16 05:47:45
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「少年ラディスラスがフリードリヒ3世の手元を離れたとき、ハンガリー諸侯は彼に「シュタイアーマルクの染み」を洗い落とすと沐浴をさせた…ウィーンでは凱旋として市民から「早世した有徳の王アルブレヒト5世の後胤」と熱狂的に迎えられ、庶民好みの武勇さを持ち合わせないフリードリヒは不人気…」

2015-11-16 05:54:16
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「ついたあだ名が「どん亀」「木偶の坊」「昼行灯」「大たわけ」「肥満王」「大愚図」など 罵詈雑言はバラエティに富んで…」 あっはい

2015-11-16 06:02:11
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「(フリードリヒ3世は)野蛮な侵入者(トルコなど)から自分の領地を守ることよりも、霜から自分の植物を守る方に関心を持っていた」

2015-11-16 06:15:47
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「フリードリヒ3世は聖地守護者の使命を感じてしばしばエルサレムを訪れ…」

2015-11-16 06:18:39
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「しかしフリードリヒ3世は、同名のフリードリヒ2世以降で最も皇帝権威が高まった(恐らくイタリア半島で)」とある辺り、やはり無能ではなかったのではないか。 慣習とはならず忘れられたところも多かったローマ戴冠の形式手順について「意味を再発見・あるいは考え出して儀式構造を再建した」

2015-11-16 06:26:00
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またこのローマにおける戴冠儀式は、フリードリヒ3世以後のオーストリア大公即位式において類似が見られ影響を与えることになった、とも。

2015-11-16 06:27:29
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「(前に戴冠したのが19年前のジギスムントなのに)戴冠においてカール大帝の聖衣が使われたのは数百年ぶり」とあるあたりが、再発見による儀式構造の再建の一例だろうか。

2015-11-16 06:30:05
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「フリードリヒ3世は教皇権と帝国の間の平和を達成した」 「フリードリヒ3世の治世が1453年、あるいはその少し後で終わっていたなら、彼は皇帝権力という建物を苦心して再建した偉大な皇帝というヴィジョンで見られたことであろう」

2015-11-16 06:36:21
各国の王侯情報紹介 (from はくえー:西方元老院)@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

しかし実際には退屈するほどあまりに長い治世。ゆえにその評価は打ち消された。 これは、この皇帝フリードリヒの時代が「帝国が再興できうるチャンスを持った最後の時代(以降は宗教改革などが起こったため)」であり、それをこの、しかも53年にも渡って帝位を独占したためである、と。

2015-11-16 06:38:27
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しかし、「そのような後ろ向きな評価は危険な傾向」と記す。 ゆえにフリードリヒ3世は「多くの歴史家が考えたような、目も当てられない失敗者ではなく、将来のハプスブルク家権威の偉大な設計者であったのであろう」

2015-11-16 06:41:05

+こっから主に補足や感想メイン

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