番外・五百年前の神話

過去編
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とこ@幼神 @tokoshiratohime

番外・五百年前の神話 賽銭とともに投げられた人の願いを一通り書き終え野分大太刀之命は筆を置いた。 随分昔に末之青江を御神体として迎えたこの神は、元々は五百年前に現れた悪鬼悪霊を台風を起こし祓い清めた風神である。 彼がふぅ、と軽く溜息を吐くと参道に小さく風が渦巻いた。

2015-11-10 04:25:40
とこ@幼神 @tokoshiratohime

正徳5年、御蔭参りの流行より三年前のこと。時代は江戸、四百年続いた太平の世の中でも特に事件のないこの年に、彼の住まう野分神社は丁度造営五百年を迎えた。 これは野分大太刀之命に取っても大事な節目の年と言える。 何しろ千年待たねば会えない想い人を待ち続けて半分が過ぎたのだ。

2015-11-10 04:31:41
とこ@幼神 @tokoshiratohime

もう半分、とは決して思わない。 これだけ待ってまだ半分。 そう思うと眩暈がするような気がして彼は金色の目を伏せた。 こんな風に気が滅入る時は明るい弟に会うに限る。 宝物殿の入口に飾られた次郎太刀の顔を見ようと太郎太刀は本殿を出、 そして彼女に出会ったのだった。

2015-11-10 04:34:58
とこ@幼神 @tokoshiratohime

参道を少し歩いたところで思わずついたため息が突風になった。 「ひゃあっ」 何の前触れもなく薙いだ風に驚いた女子の声が聞こえた。 太郎太刀はなんとなくそちらを一瞥し、その姿を見て彼女の十倍は驚いた。 「…陽色、」 思わず、名前を呼んだ。 千年待たねば会えないはずの人が今そこにいた。

2015-11-10 04:38:33
とこ@幼神 @tokoshiratohime

違う、ここにいるはずがない。 しかし姿形がまるで同じだ。 いや、彼女は白子であるはずなのに目の前の女は黒髪黒目だ。 だけど、同じ魂の匂いがする。 ああ、陽色 「…もし、そこの貴女。名前は…」 「…?お陽(よう)です。」 きょとんとしたその顔の懐かしさに涙が溢れそうになる。

2015-11-10 04:43:18
とこ@幼神 @tokoshiratohime

間違いない。目の前の人は陽色の生まれ変わり、いや、陽色こそが、お陽の生まれ変わりなのだ。 愛しい主の前世に今、出会うことが出来たのだ。 それはまるで予期しない奇跡だった。 ふっと湧いた幸運に、けれど太郎太刀は彼女を怖がらせないよう静かに話を続けた。 もっと彼女と話がしたかった。

2015-11-10 04:46:44
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「お陽さん、ですか。神社に来るのは初めてですか?」 「はい、家がお寺の近くでしたので神社に来るのは多分初めてです。え、でも…何で分かったんですか?」 「参道は端を歩くものです。真ん中は神の通り道ですから。」 「え!?あ、すすいません!」

2015-11-10 04:50:30
とこ@幼神 @tokoshiratohime

首をかしげる仕草から慌てて袖で口元を隠す仕草まで記憶にある主そのものだった。 懐かしさを噛み締めていると、あれ、とお陽が声を出した。 「でも、神主さんも真ん中に立ってます。」 「…まあ、私はいいんです。」 「はあ、偉い神主さんなのですか?」 「そうですね。袴が白いでしょう。」

2015-11-10 04:55:48
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「袴が白いと偉いのですか?」 「一応この神社で1番偉いという事になっています。ちなみに二番目は紫です。」 ずい、と二本指を掲げるとほぁ、と感心したような声を出してお陽はえへ、と笑った。 「そうなんですね。あ。あの、よければ参拝の仕方を教えてくれませんか?」

2015-11-10 04:58:57
とこ@幼神 @tokoshiratohime

垂れ目気味の目尻だけがとろんと下がるその笑みが大好きだった。 それだけで小判を賽銭に貰ったような気分だった。 貴女の願いならどうぞなんでも叶えてさしあげましょう。 「ではまず来た道を戻りましょう」 「え?」 「御手水を素通りしないで下さい」 「あ、そこはお寺と同じなんですね。」

2015-11-10 05:02:41
とこ@幼神 @tokoshiratohime

それからお陽は頻繁に神社に遊びに来てくれた。 「元は西の方に住んでいたのですが先祖が昔この辺りに住んでいたらしく戻ってきたのです。…あ、もしかしたら私の先祖もこの神社に通っていたかも知れませんね」 お陽にしか姿が見えない私はこっそり彼女を内陣に入れたりして会話を楽しんだ。

2015-11-11 01:00:51
とこ@幼神 @tokoshiratohime

流行病で親を亡くし遠い親戚を頼ってこの地に来たこと。親戚は豆腐屋を営んでいてその手伝いをしていること。神社はお得意先の料理屋に豆腐を運びに来るついでに来るのだということ。「でも、手伝ってるとは言え私が出来ることはたかが知れているのです…いずれはどこかへ嫁に出なくてはいけません」

2015-11-11 01:05:26
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「…貴女はそれを望んでいるのですか?」 「…分かりません、でも…」 「それなら、うちで働きませんか」 「えっ」 「あ…」 思わず言ってしまってから大きな声が出たことに自分でも驚いた。 「その、私はこの神社で1番偉いですから、貴女がよければ口を聞くこともできます」

2015-11-11 01:09:34
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「神主さん、祭壇のお掃除が終わりました!次は何をすればよろしいですか?」 翌月からお陽は私付の巫女としてこの神社で働くことになった。本物の神主…そもそも神主などという職業はない(寺でいうお坊さんのようなものだ)のだが、宮司が二人いると思われても困るので私だけが指示を出すことにした

2015-11-12 01:49:31
とこ@幼神 @tokoshiratohime

宮司にはいつも通り夢でのお告げによりお陽の世話をするように言ってある。お陽は食事や風呂などの生活は他の人間とともにし、仕事の指示だけは私に貰って生活していた。 不思議なもので、お陽はそのことについてなんの疑問も持たなかった。

2015-11-12 01:52:31
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「神主さんは特別な修行をなさってるから一緒に食事を取らないのですよね。」 …どうやら宮司が上手いこと誤魔化したらしい。お陽はこの状況を疑うことなく、楽しげに神事をこなしていった。 神無月さえなければずっとこうしていられるのに…しかしそうすればこの神社も危うくなる。

2015-11-12 01:55:02
とこ@幼神 @tokoshiratohime

「私がいない間は宮司に仕事をもらうのですよ」 「はい…ひと月は寂しいですがお待ちしております」 紅葉を見てはお陽の赤い袴を思い出しつつ、渋々出雲へと旅立った。

2015-11-12 01:57:43
とこ@幼神 @tokoshiratohime

出雲に通い出してもう五百年、いや、太郎太刀として熱田神宮にいた頃も含めれば1300年以上にもなる。時間と空間を越えて存在する四次元存在の神であるが故に、出雲に行けば長年の知り合いなど数え切れぬほどいた。神の中には運命が見えるものも少なくない。

2015-11-19 01:48:52
とこ@幼神 @tokoshiratohime

そのうちの一人に頼んでお陽の運命を視てもらった。 「…そうですか。ありがとうございます」 予想していた答えにただ目を閉じると、私は静かにその場を去った。 今生で彼女と結ばれる事はない。 やはり私が彼女を娶る為にはお陽が死に、陽色として生まれ変わった後に太郎太刀として出会う他ない。

2015-11-19 01:51:38
とこ@幼神 @tokoshiratohime

整然と並んだ無数の灯が水面に映って倍の数となる、池に面した廊下でふと立ち止まった。 果たして私は彼女の死に耐えられるだろうか。 お陽を見送りその後さらに五百年。 彼女を待つ事が出来るのだろうか。 縛り続け留めずに、解き放つ事が出来るだろうか。

2015-11-19 01:54:30
とこ@幼神 @tokoshiratohime

刀のうちで誰よりも大きな手を握り締めて開いてみる。彼女をどこにもやらない力は既に十分過ぎるほどある。 しかし彼女との別れに手を振る勇気など… その時ポチャンと魚が跳ねた。 は、と気付いて波紋を見れば、ちょうど60年前にもその光景を見たように思う。

2015-11-19 01:59:17
とこ@幼神 @tokoshiratohime

六十年ごとの遷宮、五百年ごとの転生、何度でも繰り返す輪廻 止めどない思考を断ち切り私はその場を離れた。 「宮司様、おかえりなさいませ!」 「ただいま戻りました。」 一月経って神社に戻るとお陽が嬉しそうに迎えてくれた。 彼女を軽々と抱きかかえ頭を撫でる。 それがただ、五年続いた。

2015-11-19 02:02:32
とこ@幼神 @tokoshiratohime

実に呆気ないものだった。 彼女は親戚の申し出で嫁に行ってしまった。 結納を上げ子供を産み、老いて寿命を迎え あっという間に死んだ。 人の身の一生など私には一瞬だ。 離れた後も何度も参拝に来ていた彼女の魂を天へと送ると、私はまた神社に戻った。

2015-11-19 02:12:53
とこ@幼神 @tokoshiratohime

戻って、歩いて、部屋に帰り、そこからしか見えない神池に突き出た廊下の手摺に両手をついた瞬間わっと 泣き崩れた。 澄んだ池の底には様々な藻草が多い茂り、幾重にも重なった深緑が水底を覆い隠している。そんな事も分からなくなるほど私の落とした涙に揺れる水面は嵐でさらに歪み光った。

2015-11-19 02:17:01
とこ@幼神 @tokoshiratohime

涙は大雨となり嗚咽は台風となった。床に蹲れば地震が起こり死人が出なかったのが奇跡のような洪水が起こった。 池は増水しては溢れることを繰り返し、三日経ってようやく晴れ間が出た時には水位が半分まで減っていた。 重力に負けた藻が折れ曲り、逆に水底の中心を晒していた。

2015-11-19 02:20:25