お寺の公共性と社会福祉

東京新聞の記事をきっかけにつらつら考えたことなど。
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佐藤哲朗(nāgita) @naagita

上野「命の弁当」に役立てて 善意呼ぶ(東京新聞1月13日) http://p.tl/hWF5 「最低気温が氷点下まで下がることもある上野公園。石崎さんは周辺の寺院に「行き場のない人たちのため軒先を貸してほしい」と手紙を出したが、ナシのつぶてだという。」

2011-01-13 11:22:11
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

悲しいかな、今の坊さんは「家族がいるので“不審者”を寺に入れられない」と生活困窮者や自志志願者に平気で言い放つ向きも少なくない QT @naagita http://p.tl/hWF5 石崎さんは周辺の寺院に「行き場のない人たちのため軒先を貸して」と手紙を出したが、ナシのつぶて

2011-01-13 11:26:52
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

寺に行き場のない生活困窮者を受け入れたら、寺族が性的暴行を受けたなんて話も実際に聞いたことがあるので、簡単に「坊さんだろ。寺を開放しろよ」とは言えないことは分かってる。でもねえ、やっぱり引っかかるよ。寺族がいるゆえに、寺が生活困窮者に門を閉ざしてしまってるという状況は。

2011-01-13 11:29:37
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

都市の伝統寺院(の多く)は、流動性の高い都市の中にあるけど「何代も続く檀家さん」以外は眼中にない。昆虫には餌になる種類の植物だけ輝いて見えるようなもの。お寺が生き残るためには当然の振る舞いだ。しかし、お寺に文字通りの「無差別の公共性」を夢見てしまう人々には腹立たしいことだろう。

2011-01-13 11:33:43
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

.@grossherzigkeit 私の勤務先は伝統寺院ではないですが、ホームレスの人に「ガレージでしばらく寝かしてくれ」と言われたら、やはり会議でもめると思います。

2011-01-13 11:40:03
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

@naagita お寺自身で引き受けなくても、ホームレスを救済するNPOに紹介するとか、そういう手はあるんですね。ただ多くの寺院はそういうNPOなどとパイプを作ろうとする努力を余りなさっていない。仰る通り「檀家以外眼中にない」姿勢が影響している点もあるわけですが。

2011-01-13 11:47:22
Takaoki_Honda@Renkouji-Yokohama.com @JZ1300

@naagita 難しい問題だ。境内地で煮炊きされると防火上の問題、夜遅くまで門などを開放しておくと防犯上の問題。無条件の公共性と寺門を守る結界はキチンと線引き。でないと寺院運営に支障。特に小規模寺院に取ってはこの2点は大きな負担。

2011-01-13 11:48:49
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@JZ1300 私の勤務先はいわゆる伝統寺院ではないですが、やはり防犯上の問題で夜は施錠します。お坊さん以外、ふらっと来た人に泊まってもらうのも難しいです。(四方サンガに布施した場所、という位置づけなのでテーラワーダの僧侶は基本的に自由に出入りしますが。)

2011-01-13 12:09:51
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@grossherzigkeit 「NPOなどとのパイプ」を作ることは必要ですね。私たちのところでも、具体的に動いてみたいと思います。あとは、精神医療との連携も必要なんですよね。(むしろ、そっちのほうが切実かも。)

2011-01-13 12:14:22
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

「道場」と「お寺」は社会からほとんど真逆の役割を期待されている。

2011-01-13 12:40:20
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

布施という行為は仏教徒なら宗派を問わず実践すべきとしても、例えば「念仏道場」の管理人が殊更それを行わなければならない必然性はあるだろうか?

2011-01-13 12:44:12
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

托鉢で得た食物で貧しい父母を養い非難された修行僧を、釈尊は「善哉」と褒めた(ジャータカのエピソード)。これを拡大して、一切衆生を父母とみなして貧しき人に手を差し伸べるのが大乗菩薩道であると言明することも可能だろう。

2011-01-13 12:50:17
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

一切衆生を父母とみなすならば、一切衆生への子としての責任を果たさない限り、自分は涅槃へ入れないことになる。一見カッコいいけど、本末転倒だろう。社会福祉をあまり仏教と絡めすぎると、かえって教義がややこしくなるように思う。

2011-01-13 12:53:31
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

理念的に純化した「托鉢食」は、「捨てる物」をいただくことだから、受ける側は与える側に「借り」を感じずに済む、というもの。ただ仏教が社会に浸透して地域社会に組み込まれることで、テーラワーダの僧侶の中にも「村の者には借りがある」という意識で活動する開発僧(かいほつそう)が現れる。

2011-01-13 15:37:35
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

この辺は大乗仏教の布施波羅蜜の理念から社会事業を行った日本の系譜とは微妙に意識が違うような。もう一度調べ直さないとはっきりしたことは言えないな。

2011-01-13 15:46:12