- Bay_yamashiro
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プロ野球史上最高のドラフト会議となった1968年。 山本浩二選手、有藤通世選手、大島康徳選手、東尾修投手ら名球会入りの選手らに加えて、星野仙一投手、田淵幸一選手、冨田勝選手、野村収投手ら一流選手を輩出したこのドラフト。 その中でも最も成功したチームが阪急ブレーブスでした。
2015-11-22 21:03:501位には歴代7位の284勝を挙げた『ミスターサブマリン』山田久志投手 ブレーブス黄金期を絶対的なエースとして支え続け、70~80年代のパ・リーグを代表するエースとして球史に名を刻みました。
2015-11-22 21:05:042位には通算2055本、首位打者2回、打点王3回、MVP1回を獲得した加藤英司選手 天性の手首の柔らかさと天才的とも言える広角打法で黄金期ブレーブスのクリーンアップとして他チームに脅威を与え続けました。
2015-11-22 21:06:07更に惜しくも指名拒否されていますが12位には歴代3位の567本塁打を放った門田博光選手も指名されています。 歴代でも最強クラスのスラッガーである門田選手がもしもこの時ブレーブスに入団していたら・・・ 今でも想像を膨らませるファンも多いのではないのでしょうか。
2015-11-22 21:06:45そしてもう1人。 後のブレーブス黄金期を象徴するとも言える大選手もこの年、指名を受け入団しています。 しかし、その指名経緯は後の大記録と比べると想像しがたいものになります。
2015-11-22 21:08:071968年11月3日 松下電器産業(現パナソニック) ドラフト指名会議があった翌日、松下電器の社会人チームの後輩であった加藤英選手が阪急ブレーブスに2位で指名され歓喜に湧く中、その男は気だるそうに仕事に向かっていました。
2015-11-22 21:09:22隣でスポーツ紙を読んで何やら驚きを隠しきれていない先輩社員。 気になったその男は「なんかおもろいこと載ってまっか?」と聞くと先輩社員はこう返事をします。 「おもろいことってお前 ド ラ フ ト 指 名 さ れ と る が な」 「えっ」
2015-11-22 21:10:37自分が指名されていることにも気づいていなかったこのどこか間の抜けた男。 しかし、この男が後にプロ野球史上最高とも言える快足を飛ばし、日本だけでなく世界にもその名を轟かせることになるのでした
2015-11-22 21:11:41スポーツ紙で自分がドラフト指名を受けていたことを知った福本豊選手でしたが、数日経ってもスカウトが自分のもとにやって来ず、「何かの間違いだったのでは」と思いこみます。 指名されるとは思わないくらい、特に知名度がない選手だったからです。
2015-11-22 21:13:43しかし、本当にスカウトは福本選手の元へやってきて入団交渉を始めます。 福本選手は悩みに悩みます。 身長は167cm、足の速さと外野守備に関しては自信がありましたが、社会人野球でも目立つ成績を納められなかった自分がプロで通用するとは思えず、新婚だったのも悩みに拍車をかけます。
2015-11-22 21:14:46交渉はなんと4回にも及びましたが、最終的には合意に至っています。 合意に至った理由は交渉時にご馳走になった高級肉。 「こんなうまい肉が食えるようになるならプロ野球選手になったろ!」 と決意したからだそうです。
2015-11-22 21:15:43ちなみに、本人は指名されるとは全く思っていなかったそうですが、その俊足はプロのスカウトからも一定の評価を受けており、南海ホークスの名将鶴岡一人監督やV9の名将川上哲治さんからも評価を受けていましたが、低身長を理由に見送られています。 この2チームのどちらかに入っていたら・・・
2015-11-22 21:16:43妻にはとても言えなかったので「松下電器から阪急(阪急電鉄とは言っていない)に転職する」とだけ伝えました。 松下電器も優良企業ではありましたが、更に将来安泰なインフラ企業への転職ということで妻も納得。 しかし、これが後にちょっとした事件を引き起こすことになります。
2015-11-22 21:17:43