"こんな事もあろうかと"立憲主義 ~アトムとヤマトとスタトレと僕らの戦後民主主義(そろそろ最終回)
続)しかし目的の宝を手に入れても地球に戻れないと「旅(社会運営)」は果たせない。家に帰るまでが遠足。到着寸前の最大危機に、古代は森雪と「男女の合力」ではじめて沖田艦長抜きで問題解決に成功。二人の結びつきは「更に次の世代の誕生」の契約。それを確認した時、沖田艦長の命は任務完了。
2015-11-23 17:54:04続)こう考えると森雪が「一度死んでしまう」のは出産の意味かも知れませんね、女性は出産という次世代の誕生に本人の命のリスクを賭ける。男は見てるだけ。契りの祝祭に沸く艦橋から離れた艦長室で、沖田艦長は目前の地球(世界)を眺めながら息を引き取る。傍らには佐渡先生と言う”牧師”が一人。
2015-11-23 18:04:45続)この艦長室の背景画はなぜかシリーズが進むほど対キャラ比が"小さく描かれる”様になる。単にキャラを視認しやすく、と言う都合かも知れないが。「”家長”としての艦長の存在感が縮小していく」事に対応していて、物語表現としては示唆的でもある。意図的か否かに関係なくこれが「正しい設定」。
2015-11-23 18:08:53続)やはり沖田艦長は「家長としての"天皇”」なのだと思います、いつ「独立」出来るのかが日本人のテーマ。性急も逆行も危うい。「ヤマト」と言う戦前からの集合無意識物語に、その半ばから「戦後民主主義の物語」を仕込んだのは、多分「哀しみのベラドンナ」等の監督、虫プロ出身の山本瑛一氏。
2015-11-23 18:17:35続)勿論ヤマトが昭和30年代的戦争漫画的な物語に留まっていない理由は山本氏一人に帰せる事でもなく、2話の大和回顧シーンで西崎P所望の軍艦マーチを使うことをスタッフが拒否したエピソードもあり(再編集劇場版では軍艦マーチ復活)。そう言うテンションの中で作られていた作品。
2015-11-23 19:02:10続)そもそも「立憲主義を、”こんな事もあろうかと”の真田さんになぞらえる」ところこから書き出した話でしたけど、主役を張る18話では「科学者としての葛藤」を自分語り。「事故で姉の命と自分の手足を奪った”科学”を征服し、人間が自らの幸福に使うものだと証明するため、科学者になった」と。
2015-11-23 19:06:44続)「科学と言う概念」に征服される=科学自体が目的化する事は、マルクス言う所の”物神信仰”的。科学に限らず「自分の知性の自覚的使い方」の一般論とも言えます。立憲主義も法律も自分の頭も、それ自体を信奉するのでなくツールとして使うもの。道具に「魂」を見るかも日本人のテーマ。
2015-11-23 19:11:40続)初代「ヤマト」は無論70年代アニメなので「イスカンダル=戦後の絶頂」等と後からなぞらえても関係ないわけですけど(笑、時代と世代の変わり目を描く普遍性はある。今の日本を幕末的と言うならヤマトだと「そろそろ最終回」。解決したのは「男女の強力」。議員女性比率の少なさも歪みの一因。
2015-11-23 19:16:08誤字訂正)”男女の強力”はただのミス変換で、→男女の”合力”。「協力」でもいいです。
2015-11-23 19:47:48独りの自分が「大衆の一人」である事に気づいた大衆は、もうオルテガの言う大衆ではない。それは、人民(people)と呼ばれる。リンカーンが、立ち上がる。