現代日本にも通じる千年前の表現手法

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たられば @tarareba722

古典の話とかを呟くと、たまに「あのサイトに書いてあるあの先生の考えをなぞってるだけじゃないか」みたいなことをおっしゃる方がおられるんですが、ええと、その通りです。そういうことはよくあります。だから呟きの最後には参考文献を付けていますし、より興味を持った方はそちらをご参照ください。

2015-12-03 12:10:22
たられば @tarareba722

いちおう毎回、自分なりの考えやほかから持ってきた話を加えていますが、それだって誰か別の人がすでに考えていることがほとんどでしょう。だからこそ参考文献を付けるのは大事だなーと思いますし、いや本当、勉強したい方はそちらを参考にしてくださいませ。

2015-12-03 12:12:26
たられば @tarareba722

さてそんなわけで本日も出張中でして、移動時間がぽかんとあいて不覚にも持ってきた本を読み終えてしまったので、清少納言と紫式部、ときどき小野小町。な話でもぽつぽつ呟いていこうかと思います。

2015-12-03 12:17:06
たられば @tarareba722

①このタイムライン界隈には「清少納言も紫式部も変態だった」「千年前から日本人はおかしかったってことか」というたぐいの話にグッとくる人が多いのではないでしょうか。はい私もです(即答)。いやもちろん、清紫対比論を学ぶ真摯な古典クラスタには乱暴な物言いだと思っています。申し訳ない。

2015-12-03 12:18:48
たられば @tarareba722

②でもやっぱりワクワクしますよね。それは単に「人間の本性はそう変わらない」という大括りの話だけでなく、日本語という言語に、もっというと日本語話者の感性そのものに、千年前に彼女たちが作り上げた表現が深く織り込まれていることにも気づくからではないかと思うのです。以下もう少し詳細を。

2015-12-03 12:21:11
たられば @tarareba722

③日本語を使う多くの人にとって、夕暮れ時の空にカラスが数羽連れ立って山へ飛び去る風景を思い浮かべると、「秋だなあ」としんみりするのではないでしょうか。ただしかしちょっと待て。紅葉は分かる。秋しか見られないし。でも夕陽もカラスも秋は関係ありません。あ、このくだり春=曙でもやったな。

2015-12-03 12:23:24
たられば @tarareba722

④以前呟いたとおり、「春は曙」という表現が『枕草子』以前の勅撰和歌集には存在しなかった(つまり大変斬新な表現だった)ように、「秋は夕暮れ、烏の多く飛びちがいたる」もまた、ほとんど見られない表現でした。秋なら萩だし月だし虫の音でしょう。烏にも生活がある。勝手に秋限定にしたらあかん。

2015-12-03 12:24:01
たられば @tarareba722

⑤この、当時の常識では異端だった「秋=夕暮れ」という表現は、ことによると「春=曙」より大きな影響を後世の表現者達に与えます。『枕草子』から約200年後に編纂される『新古今和歌集』には、「秋の夕暮れ」と詠まれた歌が16首も採録。式子内親王や鴨長明といったスターが愛しただけでなく、

2015-12-03 12:25:08
たられば @tarareba722

⑥寂連、西行、藤原定家がそれぞれ「秋の夕暮れ」で結んだ三首は「三夕の歌」と呼ばれ、『新古今和歌集』そのものの歌風を象徴する歌として後年に伝わります。さらに「夕暮れ」に「烏」が居るさまを秋に結びつけた感性は、江戸期に松尾芭蕉が継承し(「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」は蕉風の代名詞)

2015-12-03 12:25:45
たられば @tarareba722

⑦近代では童謡『夕焼け小焼け』に歌い継がれ、現代日本語を使う私達に「秋→夕暮れ&カラス」というイメージを強く植え付けます。なお英語をはじめとする異言語話者には当然「秋=夕暮れ」は通じません。秋=カラスに至ってはポカーンです。言語が違えば感性が違う。想像の共同体は国語で強化される。

2015-12-03 12:26:58

 春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。

 秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)

 冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるは わろし

たられば @tarareba722

⑧さておきこうした「現代にも連綿と通じる表現手法」は、清少納言先輩だけでなく紫式部先輩も多く残しています。当然ですね。彼女もまた千年に一人の天才です。例えば先日も紹介したヒロイン紫の上の紹介記述、「美しい樺桜が咲き乱れているようだ」。この表現技法に紫式部の真骨頂の一つがあります。

2015-12-03 12:27:33
たられば @tarareba722

⑨もちろん『源氏物語』以前にも、容姿の美しさや人生の儚さを草花に喩える表現手法はありました。有名なところでは「花の色は 移りにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに」(小野小町)とか。「春の長雨が降り続くなか物思いに耽っていたら、桜の花が色褪せてしまいましたね。

2015-12-03 12:30:18
たられば @tarareba722

⑩ちょうど我が身をいたずらにこの世に置いている間に、年を経てしまったわたしのように」。平安前期を代表する名歌です。この歌は歌い手自身の美しさや語感の切れ味、自嘲の切なさだけでなく「経る」と「降る」、「眺め」と「長雨」が各々掛かるという技巧も兼ね備えた名作なんですね。さすが六歌仙。

2015-12-03 12:33:11
たられば @tarareba722

⑪この歌は紫式部自身が派生歌を詠んだりしており、彼女の作品世界観や人生観にも影響を与えていると考えられています。ともあれ『源氏物語』です。紫式部が紫の上を「春の曙の樺桜」と表す時、単にその美しさを讃えただけではありません。紫式部は小野小町の表現を踏襲し、さらに進化させています。

2015-12-03 12:34:20
たられば @tarareba722

⑫ここでちょっと別の人物の登場シーンを見てみましょう。例えば作中で紫の上・花散里に継ぐナンバー3として活躍する明石の御方が登場した際、その美しさは「五月待つ花橘」と称されました。その娘である明石の姫君は「咲きこぼれる藤の花」、中盤以降物語の鍵を握る女三宮は「枝が垂れ始めた青柳」。

2015-12-03 12:34:59
たられば @tarareba722

⑬物語を見れば、明石の御方は控えめで慎しみ深い性格だし、艶やかで上品さも併せ持つ明石の姫君、幼さと未熟さの残る女三宮という具合。お分かりでしょうか。紫式部はそのキャラの紹介時、各々その性格を連想させる草花の比喩を使い、読者が印象を直感できるよう形容詞を緻密に調整しているのです。

2015-12-03 12:35:25
たられば @tarareba722

⑭いわゆる「キャラ立て」ですね。この手法は(少なくとも日本語圏で初)紫式部が始めて以来、人物表現に定着しました。江戸中期には鈴木春信らが女性の背景に演出として桜や柳を描き入れて美人画を隆盛させ、近代では夏目漱石が『虞美人草』で二人のヒロインにそれぞれ春と秋の草花を見立てています。

2015-12-03 12:35:57
たられば @tarareba722

⑮そしてこうした表現は、日本が世界に誇る少女マンガ界において、美形キャラの登場シーンに美しい花を背景いっぱいに描き込む、という独特の表現技法に進化してさらに発展していった、と私は考えています。『ベルサイユのバラ』なんてタイトルや主題歌にまで進出して。

2015-12-03 12:36:52
たられば @tarareba722

脱線)ここでやや飛び火の話をすると、こうした細かい演出を使った「キャラ立て」については、例えば『おそ松さん』でいうと「パーカーの着方に性格が表れている」みたいな表現手法に生きているんじゃないかな、とも思います。戦隊ヒーローものの「色による性格付け」もこの流れかなーとか。

2015-12-03 12:37:20
たられば @tarareba722

⑯さておき表現の話です。心は言葉でできています。たとえば何かを見て美しいと思った時、切ないと思った時、私たちの心に湧き上がる感性の根っこには、母語の海が広がっています。その海を彩るのは先人の積み重ねてきた足跡であり、古典を学ぶということは、その彩りの起源を知ることでもあります。

2015-12-03 12:37:43
たられば @tarareba722

⑰そうして何かを読んだり話したり書いたり描いたりする時、その行間に清少納言や紫式部たちのわずかな息遣いや微笑み、苦悩、歓喜の切れ端を見つけることができます。それは例えば大胆な性癖や趣向の話よりもささやかですが、私たち自身の心を形作っている大切なひとかけらだとも思うのです。(了

2015-12-03 12:38:04
たられば @tarareba722

参考文献 『100分de名著 清少納言 枕草子』山口仲美著・NHK出版刊 『清少納言と紫式部 その対比論序説』宮崎莊平著・朝文社刊 『枕草子(上』全訳註・上坂信男、神作光一著・講談社刊 yomiuri.co.jp/adv/chuo/resea… dwc.doshisha.ac.jp/faculty_column…

2015-12-03 12:38:55
たられば @tarareba722

久々に本棚から『漢字と日本人』高島俊男著・文春新書刊を読み出したら面白すぎて止まらないなあ。「日本語には、春夏秋冬はあったが季節という言葉はなく、空はあったけど天はなかった。漢字が輸入されたことで同時に漢語の概念も輸入され、日本語は日本語としての進化を止めた」って凄い話だなー。

2015-12-09 02:01:45
たられば @tarareba722

いつかまとめて書きますが、清少納言が活躍した平安中期には、日本語にはまだ「美」という概念はなかったんですよね。「うつくしきもの」という言葉はあったけど、「美意識」や「美学」といった総括概念はなかった。そういう時代に「美とは何か」と問うたのが、『枕草子』の最初の章段だと思うのです。

2015-12-09 02:12:42