見えるもの/見えないものを絵にする漫画表現の話

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みやも(大阪府) @miyamo_7

@shrinebaby ナレーションの強みがある劇画テイストという意味では、70年代に梶原一騎が種をまいたのが現在いろんなところで開花してる感じですね。ハンター、トリコ、あと刃牙もか

2010-03-08 01:12:43
Kimura Tadafumi @shrinebaby

@miyamo_7 コメント、ありがとうございます。トリコ、刃牙に関しては、確かにそういう感じですね。でも、ハンターが「劇画」かというとちょっと違和感があります。非劇画的なキャラに劇画的な効果が描き込まれることの不協和からくる独特のまがまがしさみたいなものがあるような気がして。

2010-03-08 02:11:50
みやも(大阪府) @miyamo_7

@shrinebaby ああ、先ほどのは、あくまでナレーションなど語り筋だけについての事を言ったつもりでした。ゴンがああいう漫画的にシンプルなビジュアルであることはとても大きな意味がありますね。ハードなお話だけど作品が勝負してるのはあくまで少年漫画の領域だという作者の覚悟みたいな

2010-03-08 02:23:45
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

より遡行するなら白土三平もいますね。そして中継点としてのジョジョ。 RT @miyamo_7 @shrinebaby ナレーションの強みがある劇画テイストという意味では、70年代に梶原一騎が種をまいたのが現在いろんなところで開花してる感じですね。ハンター、トリコ、あと刃牙もか

2010-03-08 02:26:38
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

@miyamo_7 「ナレーション」と「図解」という異能バトルに説得力を与えるための基本メソッドを広めた存在ですからね。>白土三平

2010-03-08 02:51:10
泉信行 @izumino

@iwa_jose 平井和正や永井豪の存在も挙げられるでしょうね

2010-03-08 02:39:51
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

@izumino 永井豪は重要ですね。「とにかくそう書いてあるから」と「とにかくそう描いてあるから」の間の相互作用によって荒唐無稽な展開を押し切るのは、少年マンガに必要な技術だと思います。

2010-03-08 02:46:45
Kimura Tadafumi @shrinebaby

@miyamo_7 僕も同感です。ゴンのキャラ造形のシンプルさを見る度に、僕はミッキーマウスだって思うんですよね(笑)。そんなシンプルなキャラ造形に変な効果線が「病的」なまでに描き込まれるあの感じ、なんなんだろう、と。

2010-03-08 02:34:42
Kimura Tadafumi @shrinebaby

先週号のネテロの表情とか、ピトーに時間の短縮を告げたときのゴンの顔の描き方とか(全部、塗りつぶしちゃう感じ)。そういう意味で、ときどき画風(影、効果線等の入れ方?)が劇画チックになるなぁ、と。

2010-03-08 02:39:04
@saru_at_P

@shrinebaby うーん、ハンターハンターに関しては「誰に見えているか」問題がでかいんではないでしょうか。つまり、いずみのさん的にいえば視点の問題です。読者に見えているのか、キャラクターに見えているのか。もちろん、読者には常に見えているわけですが、それが同時にキャラクターに

2010-03-10 23:10:04
@saru_at_P

も見えているのか問題です。たとえば、スクールランブルの八雲の事例の面白さはいずみのさんが指摘するように、八雲自身が作中の他の皆にみえない情報をよみこめてしまうことを明示的に自覚している点です。そうしたキャラクターによる自覚がH×Hにあるのかどうか。表現論的に考えるなら、そうした

2010-03-10 23:12:07
泉信行 @izumino

http://twitpic.com/1848mc - 漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 上巻・視点【ピアノ・ファイア・パブリッシング】 http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/pfp/gtoltb_01.htm

2010-03-13 01:10:56
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@saru_at_P

視覚表現に着目して、視点の問題を展開することがとりあえずは整理として必要だと個人的には思います。もっといえば、読む人によって解釈が異なる原因を作品内的にみつけるという作業も重要な気がします。

2010-03-10 23:13:27
Kimura Tadafumi @shrinebaby

@saru_at_P おっしゃる通り、特定の「絵」が誰に見えているのか/誰に見えていないのか、あるいは逆に「絵」としては描かれてないことが誰に見えるもの/見えないものとして表現されているのか、という(泉さんに示唆された)観点で見ていきたいなぁというのがあります。

2010-03-11 00:09:01
Kimura Tadafumi @shrinebaby

ただ、考えてみると当たり前なんですが、この観点だけで見ていくのでは、『ハンター』、ひいては冨樫作品を論じたことにならないと思うんですね。大抵の少年マンガは、当の作品の世界観やアクション設定に合わせて「見える/見えない」設定をしてますから。

2010-03-11 00:12:50
Kimura Tadafumi @shrinebaby

そのとき、「見える/見えない」設定が『ハンター』、ひいては冨樫作品において、どう固有に、物語上、「機能」しているのかを見なくちゃいけないと思うんです。そんな固有性、もしかしたらないかもしれないんですが(笑)…。

2010-03-11 00:17:14
Kimura Tadafumi @shrinebaby

僕が考えてるのは、『ハンター』は、効果的な「見える/見えない」表現をするとき、背景を白く抜くという印象があるのですね。まぁ、そういう場面に限らず、『ハンター』はよく背景を抜くとは思うのですが(描くの面倒くさい?)。

2010-03-11 00:19:42
Kimura Tadafumi @shrinebaby

あっ、でも、「見える/見えない」表現や、それが際立たせるアクション表現を焦点化させるために、普通、背景は抜くのかもしれませんが。そう考えると、当たり前な気がしてきたな。

2010-03-11 00:21:44
Kimura Tadafumi @shrinebaby

あと、この背景の抜きという論点と関連するかもしれないんですが、『ハンター』って、オーラを見えなくしたり、そのように不可視化されたオーラを可視化すること等がさらに応用技として設定されていく、つまりアクション設定上、すごい重要なんです。

2010-03-11 00:27:59
Kimura Tadafumi @shrinebaby

たとえば、自分の体から発散されるオーラを弱め、限りなく見えないものにすることで、相手が気づかせぬうちに攻撃を加える「隠」や、体からのオーラの発散を完全に絶つことで、気配を完全に消したり、疲労回復を行う「絶」、

2010-03-11 00:29:22
Kimura Tadafumi @shrinebaby

あるいは、逆にオーラを目に集中させることで、「隠」や「絶」で不可視化された相手のオーラを可視化させる「凝」という技 等々が設定されていくわけです。

2010-03-11 00:29:44
Kimura Tadafumi @shrinebaby

こういう「見える/見えない」設定は、冨樫の単なる過剰分類的なアクション設定であって、物語上は、大した重要な意味をもってないと言ってしまえばそれまでなんですが、この辺を何かうまく分析したいなぁ、と。そういう動機づけがあるのです。

2010-03-11 00:32:31
Kimura Tadafumi @shrinebaby

そういう意味で、作品設定上、『ハンター』のキャラクターは、オーラが見える/見えないことにすごく自覚的だと思うんです。そのことは読者も分かっている。ただ、そのことと特定のキャラクターにオーラが見えているか/見えていないかを読者が分かっている/分かっていないという問題は別ですよね。

2010-03-11 00:38:57
Kimura Tadafumi @shrinebaby

さらに言うと、僕は、特定のキャラクターにオーラが視えている/見えていないかを読者が分からない(=複数の解釈が可能or解釈不能)場合に関心があるんですよね。どうしてそういう表現が生まれてくるのか?

2010-03-11 00:43:04
Kimura Tadafumi @shrinebaby

読者の解釈技術や、それを規定している読書慣習・経験によります。って言っちゃえば、簡単なんでしょうけど、僕としては、saruさんの言うように、その原因を作品内在的に見出したい。

2010-03-11 00:47:38