散兵戦闘の変遷-明治日本を中心に-

散兵一つとっても連続的に少しずつ変わっていてむつかしいですね……
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Bunzo @Kominebunzo

戦史研究論文などで見かける用語に「密集隊形」がある。大概旧態依然の戦術を批判的に表現する際に用いられる。これが曲者で我々は写真を眺めてもそれが密集隊形であるのか散開隊形であるのか実は区別がつき難い。時代と共に散開の度合が連続的に強まることを無視している論文にこの用語が使われ易い。

2015-12-14 21:12:38
Bunzo @Kominebunzo

19世紀後半に出現する散兵戦術の教範に出て来る散兵線は我々の目には何となく「密集」に見える。また散兵同士の間隔の規定を見てもとても近いのでまさにそう思える。けれども多くの教範は散兵の散開度合について柔軟な場合が多い。状況に応じて「もっと散れ」と教えるのが標準的だ。

2015-12-14 21:32:14
Bunzo @Kominebunzo

軍事史も歴史学の出来の悪い子供なので、何らかの転換点といったものが好まれる。何かを解り易く説明するためにある時点からガラッと変わったという節目が望まれる。ゆるゆると変わり、ぐずぐずと後戻りしながら次の時代へと繋がっていったものを丸ごと受け容れてみる、といった姿勢をとり難い。

2015-12-14 21:36:43
Bunzo @Kominebunzo

徳丸原の演習展示で高嶋一門に幕府鉄砲方が質問した。敵前で隊列を変換したり行進したりできるのか?と。対する答は「本日は人数不足で再現していないが陣形変換は散兵に守られる」というもの。鉄砲方も鋭いけれど、ナポレオン戦術の習得は天保年間に既に百点取れていた、という話。

2015-12-15 08:26:22
Bunzo @Kominebunzo

高島流のナポレオン戦術で議論の的になったのは砲兵の扱い。臼砲をどんどん押し出して集結した敵兵を狙ってゆく戦術が身も蓋もない粗野な手法で知恵や機略の余地が無いと批判される。高島流歩兵術ではなく砲術として呼ばれる一因でもある。画期的なのは「砲術」だった。

2015-12-15 18:23:22
Bunzo @Kominebunzo

歩兵戦術はOK、砲術もOKとなれば後は騎兵。けれども騎兵の導入は徳川家には難題だった。騎兵という名称は何とかならないか、騎馬隊ではだめか、といった議論が真面目に交わされる。兵ではなく武士だからというのがその理由。仏革命軍の組織はそう簡単には武家社会に馴染まない。

2015-12-15 18:26:54
Bunzo @Kominebunzo

歩騎砲のうち騎を欠いたいびつな三兵戦術は当たり前のように上手く行かない。でも熟練した騎兵を欠くという特徴は何処か仏革命軍の初期によく似ている。歩兵も複雑で幾何学的な陣形変換のための行進をマスターするには質も訓練も量も足りない。このあたりも初期仏革命軍の実状に似ている。

2015-12-15 18:31:11
Bunzo @Kominebunzo

日本のナポレオン戦術はどうにもこうにも30年間足踏みしていた。自称戦術家だけはどんどん出てくる伝統芸能みたいな地位に洋式兵術はあった。では世界は日本の停滞をよそにどんどん進化していたのかといえば、そうでもないところが面白い。世界も色々悩みながらもスッタモンダしている。

2015-12-15 18:39:21
Bunzo @Kominebunzo

戊辰の実戦で日本の小規模な陸兵が何とか演じられたのは華麗に陣形変換する洋式歩兵本隊ではなくその前方に配置される散兵としての戦い方だけではないか、と思える。また「とりあえずそれでいいんじゃないか」と囁くアドバイザーも居たのではないか。散兵=近代歩兵という図式に上手くはまっている。

2015-12-15 18:44:19
Bunzo @Kominebunzo

日本はナポレオン戦術による成功体験を持たない。教科書では習うものの実現の見通しがない。そんな状態で内戦を経験して戦いのリアリティをそこから得る。明治期に入って落ち着いてからプロイセン式の散兵戦術操典が導入されてもそんなに抵抗なく受容するのはその為かもしれない。

2015-12-15 18:54:23
Bunzo @Kominebunzo

散兵戦術操典の特徴の一つは大隊教練の扱いが軽くなること。それはそうだ。大隊で密集隊形を組むことがそれまでの歩兵戦術の基本だったから。横隊無照準一斉射撃で敵を弱らせて密集縦隊の銃剣突撃で打ち破るのが歩兵の理想だったから、それをやらない、と決めたら大隊教練は半ば用済みになる。

2015-12-15 19:16:45
Bunzo @Kominebunzo

大隊教練が軽くなると必然的に大隊規模での密集突撃用の武器だった銃剣術の扱いも軽くなる。散兵が小っちゃい銃剣でまばらに突いても威力がない。一斉射撃でボロボロになった敵に密集して突き掛るから銃剣は意味があった。そんな具合で19世紀末にかけて銃剣は半ば飾りに近くなり銃剣術も衰える。

2015-12-15 19:21:29
Bunzo @Kominebunzo

日本陸軍の銃剣術が洋式だか和式だかよくわからないような迷走を見せるのも手本になるべき欧米の銃剣術が精彩を欠いていたから。頸動脈を狙え、心臓を突け、鼠蹊部の動脈を斬れと解剖学的には正しいけれども実用性の無い教育が世界中にはびこる。真剣に考えられていないということ。

2015-12-15 19:24:09
Bunzo @Kominebunzo

銃剣の扱いが軽いので明治期の歩兵操典に白兵重視の文言が見えるのは明治42年操典から。日本の操典ばかり見ているとここに「日本陸軍の陥った病理」を見ることになる。火力主義が白兵主義に堕落してしまったと嘆く気持ちはわかるけれども、日本独自と言われるこの操典はそもそもドイツのコピーだ。

2015-12-15 19:34:05
Bunzo @Kominebunzo

明治中期の歩兵操典に見る火力という言葉は火力主義を意味しない。19世紀の密集横隊による一斉射撃より散兵線からの照準射撃のほうが強力だといっているに過ぎない。この考え方はその後も変わらない。日露戦争で日本が独自の戦術思想に目覚めて自立した操典編纂を行ったというのは全くの間違い。

2015-12-15 19:40:26
Bunzo @Kominebunzo

日露戦争で防御陣地に対する攻撃が防御側を撃滅できず陣内に突入して肉弾戦を行わないと占領できない、という戦訓が生まれる。これが白兵戦の再評価、銃剣の復活につながる。けれどもこの戦訓も日本は自信を持って導入していない。ドイツ参謀本部のお墨付きを貰って初めて正規の戦術とする。

2015-12-15 19:44:11
Bunzo @Kominebunzo

「対砲兵戦がもつれて砲兵の援護が得られなくなったら、砲兵戦の結果を待つより歩兵だけで突撃しろ、断然行け」と指導したので日本陸軍は精神主義だと評されることもあるけれども、この文言、元はドイツ語なんだよ。

2015-12-15 19:52:02
Bunzo @Kominebunzo

散兵戦術の全面採用で大隊教練が軽くなる、または実質消滅すると中隊が戦闘の単位になる。大隊長は大隊の散開を命じたらその後は事実上指揮が執れなくなる。まるで師団長のようだけれども、中隊長が散開を命じたら中隊長もミニ師団長になる。そして小隊長は・・と理屈の上では分隊戦闘まであと一歩だ。

2015-12-15 20:01:09
Bunzo @Kominebunzo

ただ散開戦闘がどんどん散開することを推奨したかといえばそんなことはない。浸透戦術と言われるドイツの突撃隊も敵陣突入までは大隊単位で前進し砲兵弾幕の前進と停止は大隊長の権限になっている。散開したら戦闘が終わるまで再集結できないからだ。散開すれば良いというわけでもない。

2015-12-15 20:03:22
Bunzo @Kominebunzo

日本陸軍の白兵戦重視は世界的な銃剣の再評価と小銃格闘への進展に繋がる動きの中にあるもの。だからこそ同時に諸兵科連合の要素が加わる。昭和15年操典までも独断専行を尊び教条主義を嫌うドイツ1888年操典の香りが漂う位に日本の歩兵戦術の根幹は変わらない。物言いが変わっているだけだ。

2015-12-15 20:35:08
Bunzo @Kominebunzo

歩兵戦術が兵器の発展によるものか、そうでないかといった議論はあるけれどもそんなに単純にどちらかに言い切れるものでもない。ライフル銃の登場は戦術的環境を大きく変えたけれども、登場したからといって全てがガラッと変わったかといえば違う。ゆるゆる、グズグズと右往左往しながら変ってゆく。

2015-12-16 05:34:41
Bunzo @Kominebunzo

ナポレオン戦争期のライフル銃隊といえば英国の軽歩兵がその例。英軽歩兵は前装式ライフルを装備して伏撃ちも許されていた例外的な存在でタコツボを掘ることもあった。でも前装式ライフルの命中精度はスムースボアよりちょっとマシな程度。彼らは射撃自体に熟達した狙撃職人のような存在。

2015-12-16 05:38:10
Bunzo @Kominebunzo

前方配置の「散兵」である軽歩兵が伏せたり穴を掘ったりするのだから英国の歩兵戦術は受動的なものとなる。敵軍隊列が丘の稜線に差し掛かると今まで座っていた密集横隊がいきなり立ち上がって近距離で無照準一斉射撃をかけて敵を打ち負かすといったものが歩兵戦術の妙となる。

2015-12-16 05:43:18
Bunzo @Kominebunzo

従来の歩兵戦術の枠組みは装填容易なミニエーライフル銃の類が登場してもすぐには変わらない。けれども面白いのは当時の軍人は火器の進歩を眺めつつそれなりに科学的に分析を行って自分たちは今、ある種の過渡期に差し掛かっているといった自覚を持っている、というか自分でそう書き残していること。

2015-12-16 05:48:22
Bunzo @Kominebunzo

過渡期とはいっても現代の感覚からすれば随分と長い過渡期で、過渡期の予感といった空気とでも言い換えた方が良いかもしれないけれども新しい砲や銃を目にして手にもしながらこれからの戦争はどうなるだろう、と考えていたことは間違いない。戦訓だけで変化が起きた訳でもない。

2015-12-16 05:55:27