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「中国」最古の鉄器が出土!場所は新疆ウイグル自治区。伝説の武器昆吾の剣は本当にあった!?鉄の民「狄」が中原諸国を圧倒した歴史

最新の考古学の論文を紹介しつつ、文献や出土史料の記述に基づき、西アジアから東アジアへの先史時代シルクロードを通じた鉄器伝来の歴史と神話伝説を明らかにする。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

(2015年9月9日のメモより)凄い論文を見つけた。鉄は腐りやすいので中国初期鉄器は謎だった。

2015-12-17 22:12:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

鉄は腐りやすいので中国初期鉄器は謎だった。しかし春秋時代の紀元前7~6世紀に画期があり、それまで中原諸国は新疆ウイグル自治区から技術移転した「鍛造の塊錬鉄」を使用していたが、この頃から「鋳鉄」へと移行していく。前7世紀の例は晋の遺跡。って晋の文公重耳が前7世紀後半ですよ!(

2015-12-17 22:12:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

論文「中央ユーラシア東部における初期鉄器文化の交流」(田中 裕子) このタイトルでグーグル検索すると、PDFで論文が読めます。

2015-12-17 22:12:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

たしか、春秋時代のことを書いた『国語』だったと思いますが、晋公に従っていた戎狄たちに、晋公が訓戒する場面があり、遠い向こうからやってきたお前たちが定着できたのは誰のおかげだ?(晋公のおかげだろ)、と言う話があったと思います(2015年12月17日、何の文献か、思い出せないまま)

2015-12-17 22:14:03
巫俊(ふしゅん) @fushunia

また、あとで調べようと思いますが、その台詞のなかにその地名も出てくるんです。漢代以降か何かの注釈では河西回廊あたりだった気がします。でも、まさか、そんなに遠いところから来たんじゃ無いだろうとというのが、近年の歴史学だったんですよね

2015-12-17 22:14:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

新疆から出土した最古の人工鉄は、紀元前1000年頃のもので、殷周革命の頃です。新疆と殷は遠距離交易(玉)が成立していますが、中国王朝が新疆に進出するのは1000年後の漢代から。つまり「新疆ウイグル自治区から中国の中原に技術移転した」なんて、さらっと考古学の人たちは書いてるけど

2015-12-17 22:15:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

新疆をふくまない「中国」では、鉄器は前9世紀〜前7世紀(西周末〜春秋時代前期)にかけて、はじめて広がっていく。しかもこの春秋前期までは、甘粛と陝西の中国西北地域の遺跡が中心。

2015-12-17 22:15:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「中国」だと言いましたが、甘粛が中国に編入されるのも漢の武帝からです。秦の始皇帝もビビって手が出せなかったのが甘粛の遊牧国家・月氏です。

2015-12-17 22:15:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ということは「陝西」しか残ってないけど、春秋前期の陝西は異民族の西戎の支配下にあり、西戎の部族長の養子になっていた秦公が陝西で自立しようともがいていた時期です。

2015-12-17 22:15:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それどころか、黄河下流域の山西、河南、河北、山東にも異民族が進出していて、中原を荒らしまくっていたのが春秋前期です。春秋前期の終わりに晋の文公(母は狄族)が出てきて、やっと狄族の猛攻が終息します。

2015-12-17 22:16:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それが思い当たる「神話」が司馬遷の『史記』にありまして、河南の許(許昌)には、昆吾(こんご)氏という人たちが居住していたとされ、楚の王室の遠祖の伯父だったとあります。

2015-12-17 22:16:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「西戎は、昆吾の剣、火浣布を献ず、その剣は長さ尺有咫あり、錬鋼赤刃なり。 これを用うれば、玉を切ること泥を切るがごとし」って話もありまして

2015-12-17 22:16:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この論文によると、「鍛造の塊錬鉄」と「鋼」(はがね)が同時期に中国に入ってきたとあります。中国には、これより以前の段階の人工鉄が無いので、ある程度完成した技術がセットで入ってくるとのことです

2015-12-17 22:16:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

楚の遠祖の伝説ということで、今まで研究者はこの話を「歴史」の中には入れようとはしていなかったんですが、「夏王朝の諸侯の昆吾伯」として文献に記録されているこの人たちは、西周末の大移動で新しい定住地を探して来た人たちのことで、

2015-12-17 22:17:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

河南周辺などで他の集団と通婚して、「陸終氏」という、擬似家族グループをつくったみたいです。そのなかに楚もちょっと関わったことがあって、楚(湖北)の北の河南の「陸終の子孫の昆吾たちの伝説」を借りて楚の系図に仕立てたと思われます。

2015-12-17 22:17:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

鉄剣が出土したのは、新疆ウイグル自治区のハミ(漢代の伊吾)の前11世紀のヤンブラク古墳群からです。中国共産党の「西部大開発」政策を受けて、資本が投下されたことで、このところ出土が相次いでいるようです。

2015-12-17 22:17:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今のところ、紀元前1000年を超えそうな鉄器は、このハミのほか、天山山脈の北のイリ地方(漢代の烏孫)で出土しています。ハミ(伊吾)のすぐ北にも匈奴の庭というべきバルクル盆地の草原があるので、この鉄器は西の草原世界(南シベリアふくむ)からやってきたのではないかと見られています。

2015-12-17 22:17:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

投下された資本のケタが違うからだと思いますが、ロシアや旧ソ連領では紀元前1000年にさかのぼる鉄器が出土していないので、ヒッタイトの鉄とどんな風につながってるかは、謎のままのようでした

2015-12-17 22:18:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今まで、どうして、春秋時代のはじめの中国はこんなに悲惨な状況になっていたのか分からなかったんですが、何のことは無い。鉄器をつくることが出来る異民族が新疆から甘粛、陝西から更に洛陽周辺などに浸透してきていて、中原諸国は圧倒されていただけだったんですね。

2015-12-17 22:18:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

白楽天の唐詩に「昔聞く 被髪伊川の中 辛有(しんゆう)之を見て戎有るを知る」がありますが、辛有という人は「国語」という春秋時代の文献に出てくる西周末の周の学者で、洛陽の近くの伊水でざんばら髪の人たちが水浴び祭りをしているのを見て、異民族が大移動して移住してくることを悟ったという人

2015-12-17 22:19:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

2012年1月に発表された「清華大学所蔵戦国竹簡」釈文によると、紀元前7世紀に「赤テキ王ボウ虎」という牧畜民・赤狄(せきてき)族の王があらわれ、漢の河内郡朝歌県にあった衛国を粉砕して一度滅ぼしました。

2015-12-17 22:32:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「春秋の五覇」として有名な斉の桓公ですが、この赤テキ王ボウ虎には手が出せず、斉の桓公は黄河の東に逃げてきた衛の生存者を収容して、その地に新しく衛の国を建てることで精一杯でした。

2015-12-17 22:36:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

孔子が手を加えて今日まで伝わっているという歴史書『春秋』や、その注釈書の『春秋左氏伝』(左伝、三国志の関羽が愛用した故事で有名)にも同様のことが記述されていますが、その相手をただ「狄人」とだけ書くことで、印象を弱めようと、印象操作が加えられていました。

2015-12-17 22:40:07
巫俊(ふしゅん) @fushunia

西周から春秋時代の「衛」という国は、20世紀に甲骨文字が出土した殷王朝の王都の「殷墟」周辺を統治するために置かれた国です。つまり、こうして浮かび上がってきた春秋時代前期の「狄」というナゾの王権は、数百年前に滅亡した殷王朝の故地を領有していたことになりますね。※殷墟遺跡は墓地のみ

2015-12-17 22:48:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

画像は、天理参考館の中国出土品コーナーの表示よりお借りしました。撮影可とのことで写真を撮らせてもらったものです。 pic.twitter.com/vnZxSnOO7J

2015-12-17 23:29:08
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