- arishima_takeo
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「他者とは何か、それは、正しさに着地しないもの、名指されないものなのではないのか、そう、太宰はいっているのだ」(加藤典洋「戦後後論」)。ムムム…。
2015-12-17 09:29:43ここ強引だと感じるのは私だけなんだろうか。(加藤典洋『敗戦後論) pic.twitter.com/jNh4I07bzH
2015-12-17 18:53:59わたし達は自分を疑う。わたし達は自分が誤りうるのではないか、と疑う。そう、そしてその通り、わたし達は誤る。しかし、この時、誤りを切り捨てたら、わたし達は大切な思想の種子と課題を捨てることになるだろう。by加藤典洋『敗戦後論』
2015-12-17 19:37:03フィクションは、文学だけがもつ奇妙な生態だが、その本質と可能性の根拠を、この悪人性のうちに、誤りうることのうちに、もっているのである。by加藤典洋『敗戦後論』
2015-12-17 19:38:27真への抵抗とは何か。そこで何が何に抵抗しているのか。わたしの考えはこうである。そこでは、真理が誤りうることの中から無謬の器に移されることに抵抗している。真理は、真理もまた、いつも誤りうることの中にとどまることを、望んでいるのである。by加藤典洋『敗戦後論』
2015-12-17 19:43:11「軍事力の行使を世界に率先して放棄することをうたった憲法が軍事力を背景にした圧力のもとに押しつけられるという矛盾」(加藤典洋『敗戦後論』)。これ別に矛盾じゃないよな、ファクトだし。「皮肉」って書くべきでは?
2015-12-18 10:02:47わたしとしては、実際のところアイヒマンが道化であることがはっきりとわかった。彼のたしか三六〇〇頁にも及ぼうという警察での尋問調書を読んだのである。で、何度笑ったか知れません、何度吹き出したことか!byアーレント「母国語だけが残る」
2015-12-18 10:06:00加藤典洋『敗戦後論』読了。どちらかというと高橋哲哉的性分の人間だが、高橋的レヴィナス&アレント的他者論に対抗して出されてくる「誤りうること」の倫理というべきものには感動した。これはプラグマティズム(試行錯誤の哲学)と無関係ではない。私のやろうとしてることを完全に先取りされていた。
2015-12-18 10:12:40加藤高橋論争は、私理解だと〈他者〉の政治的選択の問題を顕在化させた。これは二重の意味で。第一に誰が〈他者〉であるのか=誰が応答主体であり共同体のメンバーなのか。第二にどの〈他者〉を優先させるのか=どんな〈他者〉なら後回しにしていいのか。同定不能なものの同定にも政治性がある。
2015-12-18 10:18:41〈他者〉の倫理は共同体の温存(強化)と無関係でなく、しかもこの世界にはたくさんの〈他者〉がいるのだ。今回、加藤論を読んで思ったのは、前景化しやすい〈アジアの犠牲者vs自国の戦死者〉の対立のほかに、加藤が戦争に直接関与していない若者をずいぶん気にかけていること。
2015-12-18 10:21:20世代間的他者とでもいおうか(若者だって〈他者〉じゃないか)。彼らに対するレスポンスを優先させようとすると加藤の論旨もよく分かる。最近出した若者向けの『戦後入門』なんかもそういう意識の現れなのだろう。
2015-12-18 10:23:47