シミュレーションゲームその目的論メモ

シミュレーションゲームとは「何を楽しみの主眼としたゲームなのか」という話をした際のメモ。 ゲームは常に勝つか負けるかが重要になるのではない。 などなど。 ※公開はしますが基本的に自分むけ備忘録的なメモです。
8
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

RT @t_tutiya: 「ウォーゲームですぐ投了するのはもったいない。負け戦のシミュレーションとして負けっぷりを楽しむべき」という反応を多くの人から頂いて目から鱗。そういう視点ではウォーゲームを捉えてなかった。古強者のウォーゲーマーはこういう明文化されないプレイスタイルを後世に残すべき。

2011-01-18 17:37:15
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

デジタルゲームでも「大戦略ドイツ電撃戦」などはかなりのムリゲーなのだが、シミュレーションはもともと「どういう経過でこれはこうなったのか」という事を試みるモノだから、ごく自然な遊び方だと思う。シミュレーションを大きくゲーム寄りにすると、同条件同能力で競争、と言うことになるだろうが。

2011-01-18 17:39:51
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

競技性というのは自由度に繋がっている。そこに作為や不平等がなく、能動的に行為や思考を試みられるのなら、そこに己の実力が浮き彫りになる。自分の意思や力によって、経過と結果(評価)を自由に獲得したモノだと感じられる。誰かに与えられたモノではなく、獲得した経過と結果だ。

2011-01-18 17:49:15
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

競技性というモノは体験の感覚と密接だ。しかしシミュレーションは競技性よりも経過の観察が主眼となる。シミュレーションゲームで「普通負ける条件のものを俺の力で勝ちに持ってゆく」という遊び方があるにせよ、プレイヤーはその劣勢を自ら采配することで指揮官の体験を「追体験」するのだ。

2011-01-18 17:56:10
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

劣勢下の指揮官がどう負けていったのか、それを自ら試みるのだ。これは己の実力を浮き彫りにしてゆく競技性とは似て異なるモノだ。ある条件下における経過を試みることが目的であり、くつがえす事は可能であってもあらかじめシナリオは決まっている。つまり「追体験」ということだ。

2011-01-18 17:59:29
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

これは案配の話であって、シミュレーションゲームに体験的な要素がないという話ではないし、競技性も存在する。己の采配いかんによっては歴史を変えられるのだ。しかしそれも、「歴史の分岐点を追体験している」という枠に収まる。ここでこうしていたら、この条件さえ整っていたら、歴史は変っていた。

2011-01-18 18:04:06
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

どちらにせよ、シミュレーションというのは経過の中に身を置くことそのものが目的の第一なので、勝ち負けというのは本来は「お楽しみの後」でしかない。普通はなるようになっていくだけなのだ。

2011-01-18 18:08:23
生きる生ゴミ @takechiyo903

@yas_kawamura 歴史物のシュミレーションの醍醐味ですよね。後は「もし」を味わえる。拙者、スパロボも好きですが。

2011-01-18 22:31:53
企画屋@川村(ナラティブ番長) @yas_kawamura

@takechiyo903 歴史物というか、シミュレーションというものの根本の話ですよ。

2011-01-18 22:37:10

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?