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早川由紀夫 @HayakawaYukio
歴史の方にお尋ねします。10世紀、出羽国から京都まで8日で行けたでしょうか?915年8月26日に出羽国から京都に報告があった二寸の積灰を8日前の8月18日だったと見るのは無理でしょうか?
早川由紀夫 @HayakawaYukio
12世紀、浅間山1108年噴火では、8月29日の大噴火報告が上野国から京都に届いたのは10月13日でした。46日かかっています。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
被害を認定したのち京への報告書をしたためるのに3日かかったとみると、街道を飛脚が走れる日数は5日しかありません。
二十人のろの夢 @drsteppenwolf
「10世紀、出羽国から京都まで」となると、その当時すでにあったコンブ・ロード。敦賀から京都までは約100kmでどんなに急いでも最低2日はかかる。出羽から敦賀まで船で6日で行けるかどうかですね。 twitter.com/HayakawaYukio/…
たぬき親父 @tanuki1012
@HayakawaYukio 結論から申し上げると不可能だと思います。出羽国-京間の伝達には、元慶2年(878)に発生した元慶の乱を例にすると、『日本三代実録』同年10月13日条などを参照すれば、9世紀後半で10~13日程度を必要としています。
たぬき親父 @tanuki1012
@HayakawaYukio 古代国家は、飛駅制度を非常時の情報伝達手段としています。飛駅は、国司名義が発使されるため、情報を国府に一元化する必要があります。13日条では、秋田営→国司→京となります。飛駅の速度は、9世紀以降低下が指摘されており現実的ではありません。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
十和田湖915年噴火の月日(新解釈) pic.twitter.com/XEJHfCYdDo
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早川由紀夫 @HayakawaYukio
7月よりずっと前になることはない。なぜなら、大湯軽石の分布軸が南に向いているから。分布軸があさっての方向になるのは夏の噴火に限る。

コメント

北岡修二:S.KITAOKA @regedry33 2015年12月23日
昔の帆船は季節と航路によって所要時間はまちまち。利根川東遷で拓かれた鬼怒川ー関宿ー江戸川の内川回りでさえ現在の茨城から江戸までは4日から1週間かかったとのこと。鬼怒川水運で帆が使えたのは春から夏で、これを船玉(船魂・船霊)神社の神風という意味で「玉風」と呼んだ。金比羅・大杉・水神信仰は船玉信仰と共に広く信者を集めた。「神風」の由来を知る意味でも興味をそそられる話かと。
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