『三人目』2015.12.22-24

煌々と燃え盛る炎。世界が寝静まる深い夜。 夜明けまではまだ長い。 ——それは、煌夜祭と呼ばれる語り部たちの最も長い夜。 ※多崎礼『煌夜祭』の世界設定で書いた短編です。
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とおる7th @windcreator

煌々と燃え盛る炎。世界が寝静まる深い夜。夜明けまではまだ長い。時折、炎の中から木枝の爆ぜる音が聞こえる。そして声。聞くものを捉えて離さないよく響く声。しかし不思議と、夜は静けさを保ったままだ。目の前に浮かぶのは煌めく数々の物語。——それは、煌夜祭と呼ばれる語り部たちの最も長い夜。

2015-12-23 00:48:22
とおる7th @windcreator

「次は、私だろうかな」猿の仮面を被った男は遠慮がちに語り始めた。先ほどまでの跳ねるように若い声とはだいぶ空気が変わる。皆が仮面を付けている。年若いものから語っていくのが習わしとはいえ、そこには語るまでもない無言の“経験の差”があった。誰も異は唱えない。男がイガ粉を投じる。 #煌夜

2015-12-23 00:55:34
とおる7th @windcreator

ロマンスとはほど遠い話だ。それだけは前置きしておきたい。その男は恐ろしく記憶力が良かった。言葉を知らぬ頃はまだ誰も気付かなかったがそんな時代は刹那に過ぎる。物心つく頃には島中から密かに「魔物」と呼ばれるほどになった。何もかも記憶して忘れられぬのだ。本当に魔物なら良かった。 #煌夜

2015-12-23 01:05:57
とおる7th @windcreator

生まれた直後の事さえも覚えているとまで噂されたが、男は寂しそうに首を横に振るのが常だった。男には、母の記憶がなかった。無邪気な同年代の子どもたちから揶揄され恐れられ除け者にされ、それらすべてを忘れずにいることよりもなお、母というものを覚えていないことが寂しかったという。 #煌夜

2015-12-23 01:09:27
とおる7th @windcreator

男の一人目の母は、夢ですら会えぬ幻であった。男の父親はというと、島の中でも指折りの医者だった。しかし、妻であり助手であった最愛の女を喪ってからは、患者を診るよりも酒場にいる時間の方が長くなっていった。息子に母親の面影があったことは、この父子にとって奇跡のような幸運だった。 #煌夜

2015-12-23 01:18:13
とおる7th @windcreator

父親は息子に最愛の妻の面影を感じた時だけ、名医と呼ばれた頃の聡明な振る舞いを見せた。まるで天気のように変わる父親を相手に男は育つ。男が次第に男性として大きく成長すると、その機会は激減していき、もはや父親が酒を飲んでいない方が珍しくなる頃には、男はすっかり青年となっていた。 #煌夜

2015-12-23 01:29:09
とおる7th @windcreator

二人目の母親は突然に現れた。酒に溺れた元名医と、秘密を盗み骨まで喰らい尽くすと噂される魔物のような息子のもとに転がり込んできた。「15年ぶりの故郷なわけさ。そしたら親友は死んでるし、旦那は死にそうだし、息子はガリガリの魔物だし、そこはほら、このあたしが面倒見るっしょ?」 #煌夜

2015-12-23 01:34:31
とおる7th @windcreator

女の実家は15年の間に既に別の島へと渡っていた。行方は男の記憶にない。出戻りの女には帰る家が無いだけで、都合良く家を乗っ取ろうとしているに違いない。男は突如現れた女を質したが、「あ、やっぱりばれた? 助け合って生きていくのが人間っしょ? あたしの可愛さに免じて許してね?」 #煌夜

2015-12-23 02:58:56
とおる7th @windcreator

強引で自分勝手で遠慮の無い二人目の母の存在は、瞬く間に男の生活を変えた。その日どうやって空腹をやり過ごすか、考える必要がなくなった。15歳らしい食欲が満たされていくと、身体も自然と大きくなった。昼間は家に引きこもって本を読む暮らしも、壊された。日の光も女も、とかく眩しい。 #煌夜

2015-12-23 20:11:39
とおる7th @windcreator

奇妙な三人暮らし。女に振り回されながら、人間の暮らしというものを男は知った。父親と女の間にどのようなやりとりがあったのか、父親が女に文句を言ったり追い出すことはなかった。以前よりはまともになったとはいえ、かつての名医は己自身を手遅れだと診断して酒に頼るしかないようだった。 #煌夜

2015-12-23 20:18:34
とおる7th @windcreator

父親はあっさりと死んだ。息子には、すまないと一言。押しかけて来た女には二言、「感謝する。遠慮はするな」女の青い瞳からは涙がこぼれたが、男がその意味を知るのはもっと後になってからだ。男が呆然とするうちに翌日には女が父親の墓を作って弔った。島にはもう、名医と慕う者はなかった。 #煌夜

2015-12-23 20:28:20
とおる7th @windcreator

女が来てから一年の月日が過ぎた。男はその日、二人目の母親に花を贈った。人並みの生活を送るようになってからの男は、少しずつ島の中でも働きはじめていた。何も忘れられない男は、何も語らない事で平穏を得ていた。様々な噂は何度も繰り返されるが、男が何も話さないので、やがて消えた。 #煌夜

2015-12-23 20:39:19
とおる7th @windcreator

二人目の母親は突然に宣言した。「君には父親を超える名医になってもらいます。花をもらって決めました。ぶっちゃけその変態スキル使わないと勿体ないっしょ?」その日から、女の授業が始まった。医術を語る時の口調は、何故だかどこか懐かしい。幼い頃に見た名医としての父親そっくりだった。 #煌夜

2015-12-23 20:53:41
とおる7th @windcreator

二年も経つともう、女の持つ知識はすべて男のものになった。島の中では今や生真面目な無口としか思われていない男だったが、その知識を競えば他の医師とも変わらない程になっている。しかし、それらの知識は徐々に古い医術となっていた。島を出て、新たに最新の医学を学ぶ必要がある。別れだ。 #煌夜

2015-12-23 20:59:34
とおる7th @windcreator

血のつながりも何もない。出会ってからわずか三年。しかし、紛れもなく男にとっては母親だった。「これでのっとり作戦は完成なのだよふははは。ちゃんと帰って来ないと、本当に全部もらっちゃうので。これで危機感出るっしょ? 名医になって、ついでに嫁さんも連れてくるくらいは期待しとく」 #煌夜

2015-12-23 21:03:36
とおる7th @windcreator

「ありがとう、母さん。行ってきます」 #煌夜

2015-12-23 21:04:39
とおる7th @windcreator

島を出て見る世界は鮮烈だった。たどり着いた島は、かつて父親が医学を学んだ場所。世界でも最先端の医学を知り、多くの患者と向かい合いながら男は無我夢中で学んだ。が、患者に無口な医者を信頼してもらうのは難しい。思い描く名医の姿を忘れてはいない。どうすれば自分もそうなれるのか。 #煌夜

2015-12-23 23:25:10
とおる7th @windcreator

「やっぱりお笑いしかありませんよ。だってあなた全然笑わないですし。なんなら、医療助手だけでなく、ツッコミいれる相方もしましょっか」いつも笑顔の看護師が、男にそう持ちかけてきた。男は助手の失敗をすべて覚えていたが、同時に彼女が滅多に同じ失敗をしないことを誰よりも知っていた。 #煌夜

2015-12-23 23:35:19
とおる7th @windcreator

そして、よく笑っている彼女が患者から慕われていることも知っている。「お笑いとは、型と話術、なのです!」何か言い返す前にもう、話は決まっていたようだった。それからは、ことあるごとに助手に呼び出されては笑顔の練習をさせられた。しばらくしないうちに変顔のお医者さんと呼ばれだす。 #煌夜

2015-12-23 23:45:56
とおる7th @windcreator

男の腕には確かなものがあった。誰よりも学んでいたし、稀少な症例も知っている。何より、患者の顔を見れば名前も病状経過も思い出せてしまう。無口で無表情だった頃とは大きく変わった。会話上手とはいかないが、助手が隣にいれば患者を笑わせることも出来るようになってきた。島を出て五年。 #煌夜

2015-12-23 23:52:01
とおる7th @windcreator

帰郷を申し出た時、若者に医学を教える先達たち二十名の誰からも異論は出なかった。全会一致での免許皆伝。研究の道を、との惜しむ声も出たが男は島に帰ることを選んだ。便りだけは途切れないように送るよう、約束させられた。手紙など考えもつかぬままにあっという間の五年が過ぎてしまった。 #煌夜

2015-12-24 00:03:27
とおる7th @windcreator

いち早く、立派になった姿を母親に見せに帰らねば。男は急に一抹の不安を感じ始めて準備を急いだ。荷造りを済ませてから、世話になった人々に挨拶して回った。誰よりも世話になった助手のもとへは最後に寄った。軽口を言い合う仲だからだろうか。改まると、妙に緊張する。ガランとした部屋だ。 #煌夜

2015-12-24 00:08:07
とおる7th @windcreator

初めて訪れた部屋だがやけに違和感があった。気遣い上手の彼女からは意外なことに、茶も菓子も出ない。何かが変だ。まるで引っ越しする準備でもしているかのような。「それで、今頃に一体なんの“挨拶”ですか先生?」睨まれて、男は息を呑む。笑顔がない。何か大事なことを忘れているのでは。 #煌夜

2015-12-24 00:12:56