再び、曹操の徐州虐殺 追加 中国の正史について。

それと裴松之の注釈。おまけで感想。中国の正史について、追加。
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イヌノオー@ @inunohibi

曹操の徐州虐殺については、これまで何度か考察をやってきたが、勉強不足で詰めが甘かった。年末という事で、今までのまとめにもちょうどいい時期。リベンジしたい。

2015-12-26 12:34:51
イヌノオー@ @inunohibi

興平元年(194年)、曹操の父・曹嵩が陶謙に殺され(諸説ある)、曹操が徐州に進軍し、「通過した地域では多数のものを虐殺した」という。陳寿の本文では簡潔すぎてよく分からないが、注で孫盛が「責任は陶謙にあるのに、その地域まで破壊したのは間違っている」と批判している

2015-12-26 12:35:05
イヌノオー@ @inunohibi

(28~29ページ)。 もっともな感想だが、孫盛は東晋時代の歴史家で、時代は1世紀くらい経っている。歴史学でいえば孫盛の評価は、当時の記録である一次史料より格の落ちる、二次史料といえるだろう。

2015-12-26 12:35:45
イヌノオー@ @inunohibi

陶謙伝では泗水の流れがせき止められたとあるが、民衆虐殺については触れていない。荀イク伝の注に引かれている「曹瞞伝」によると、「男女数万人を泗水に投げ込んで殺害し、川はそのために流れなくなった」

2015-12-26 12:36:14

 ちょっとわかりにくいので補足。「正史 三国志 2」陶謙伝の86ページ。
 「陶謙の軍は敗走し、死者は万単位にのぼり泗水はこのために流れがせき止められた。」会戦の結果、戦死者が大量に出たとあるだけ。

イヌノオー@ @inunohibi

「鶏や犬までも絶え果て、荒れ果てた村里には通りかかる人もいなくなった」とある(239ページ)。

2015-12-26 12:36:28
イヌノオー@ @inunohibi

これが後世における徐州虐殺の具体的な描写になっているが、「曹瞞伝」は呉側による曹操の悪口集というべき内容で、信頼できる史料ではないと指摘されている。

2015-12-26 12:36:41
イヌノオー@ @inunohibi

陶謙が死去した際、徐州を奪おうと考えた曹操に対し、荀イクは「先の徐州討伐の際、厳格な処罰を実施されておりますから、罰されたものの子弟は父兄の恥辱を思い」降伏しない、といさめている(238ページ)。

2015-12-26 12:36:56
イヌノオー@ @inunohibi

「厳格な処罰」が民衆虐殺を指しているのかどうか、やはりこれだけではよく分からない。

2015-12-26 12:37:19
イヌノオー@ @inunohibi

当時の評価もよく分からない。袁紹陣営の文人・陳リンが官渡の戦いに際して曹操を非難した檄文でも、徐州虐殺のことはふれていない。この時期の出来事として非難されているのは元九江太守の辺譲を処刑した件で、これは名声の高い士大夫殺しに対する、ナーバスな世論をすくい取ったのだろう。

2015-12-26 12:37:51
イヌノオー@ @inunohibi

華ダの処刑に荀イクが反対したり、崔エンの処刑に世論が同情したり、士大夫殺しに対する悪い反応は、断片的な記述を拾っていけば分かる。

2015-12-26 12:38:04
イヌノオー@ @inunohibi

徐州虐殺はなかった論というのもあって、私も一時期それに傾いたが、虐殺を否定するだけの証拠もない。

2015-12-26 12:38:17
イヌノオー@ @inunohibi

ところで陳寿の簡潔な本文に対し、裴松之の注釈はとても感情がこもっている。陳寿が荀攸と賈クを一緒に評価したのに対し、荀攸と賈クの人柄は「夜行の珠とおがらの灯ほどのへだたりがある」と憤慨している(295ページ)。これはコーエーの爆笑三国志シリーズで、繰り返しネタにされた。

2015-12-26 12:38:44
イヌノオー@ @inunohibi

しかし、凡庸な歴史家ならば史料選択の時点で思い込みを反映しているが、裴松之は公平にできるだけ多くの資料を掲載している。掲載した上で、自分の考えを書いているだけなので、問題はない。

2015-12-26 12:39:07
イヌノオー@ @inunohibi

できるだけ多くの史料を載せた上で、それを検討するという叙述方法は、ヨーロッパで科学的な歴史叙述を始めたとされるトゥギディディスに通じるものがある。

2015-12-26 12:39:21
イヌノオー@ @inunohibi

参考 ちくま学芸文庫「正史 三国志」。

2015-12-26 12:39:39

追加

イヌノオー@ @inunohibi

(ちょっとエッチな絵もあるので注意) 『たった25年前、三国志の資料は「無かった」』地雷魚氏(曹操人気の火付役「LOGIN三国志コーナー」担当)の回想…吉川英治、横山光輝話も - Togetterまとめ togetter.com/li/910616

2015-12-10 14:48:52
イヌノオー@ @inunohibi

雑感。中国の歴史書で評価が高いのは、「史記」「漢書」、次いで「資治通鑑」といった具合で、どうやら「三国志」(正史)は重視されていない。研究者だったら翻訳を当てにせず、自分で原文を読む(読めなければ、キャリアにならない)から、翻訳されるのも限定的。

2015-12-10 14:49:27
イヌノオー@ @inunohibi

(「資治通鑑」は長いから、全訳は戦前に出たものしかないよう。)歴史研究は広範囲な史料の読み込みが必要だから、若いうちに名を上げるのは難しいとされる。そこに「正史を知りたい」という三国志ファンのニーズにこたえて、(失礼ながら)無名の若手ライターが活躍できたというのは興味深い。

2015-12-10 14:50:10

追加

イヌノオー@ @inunohibi

脱落を補う。ページ数を示した出典、上から「正史 三国志 1」の武帝紀、「正史 三国志 2」、同じ「正史 2」、同じ「正史 2」。

2015-12-26 20:21:19
イヌノオー@ @inunohibi

中国の正史というのは、最初の「史記」が日本でも有名だが、おおよそ時代が下るほど質が下がっているらしい。たとえば明王朝が編さんした「元史」は、1年足らずで作り上げられ、陳舜臣氏が「建国の元勲の赤老温の伝記がありませんが、これは西郷隆盛を抜いた明治維新史のようなものです」

2015-12-26 20:21:51
イヌノオー@ @inunohibi

といってる(陳舜臣「中国の歴史 5」)。

2015-12-26 20:22:01
イヌノオー@ @inunohibi

宮崎市定「中国文明論集」収録の「中国の歴史思想」では、劉知幾の「史通」など、いくつか新しい歴史の方法論も生まれているが、初期の「史記」や「漢書」を超える歴史書は結局現れなかった、という結論になっている。

2015-12-26 20:24:55