12/27 古代中国の戦い
そういえば古代中国というか中世中国も戦闘経緯が不明な戦いが結構あって実際にどうやって戦っていたりドクトリンが存在していたかが謎すぎるんだよなあ
2015-12-27 21:17:25古代中国の戦いといえば 弓をざんぶざぶ射掛けて 敵が崩れたら突撃して 武将が敵の武将を切り倒したら全軍が潰走するイメージ(三国志)
2015-12-27 21:19:35@WINTERgneral 春秋戦国時代ならば、孫子や管子なんかでほんのり分かるけど(万乗の君とかでいう一乗はチャリオットに随伴歩兵が百人つくという。という事は当時の部隊は戦車を中心に随伴歩兵をつけ百人単位を最小単位として戦っていたことになる)詳しくは難しいね・・・
2015-12-27 22:32:59ホメロスのトロイ戦争に出てくる戦術と、ジュリアス・シーザーのガリア遠征中のブリタニア遠征における原住民の戦い方が実は意外とよく似ているという話…… は割愛
@UJIYASUKYOU なんかチャリオットと聞くと遊牧民系の流れを汲んでるイメージがあるのぜ。 主に北方と交流の会った連中が使ってたのかね?それとも全域で広く 使われたやつなのか
2015-12-27 22:35:35@WINTERgneral 全域で使われていたくさいな ただ、チャリオットに乗る理由は馬のれないからという理由もあるそうな まあ、春秋戦国時代中期あたりの戦国時代には騎馬隊なんかも出現して、漢末あたりには儀礼用くらいにしか残っておらず、全て馬に変わった
2015-12-27 22:37:51@UJIYASUKYOU まあ、鐙とかが生まれて手軽に馬に乗れるようになりゃ チャリオットが廃れるのはどこも一緒よの… ところで鐙は欧州には6~7世紀ごろに伝わったらしいけど 中国にはいつごろからあったんだろう。 漢にはあったというなら多分2~3世紀ごろ?
2015-12-27 22:40:07@WINTERgneral 春秋戦国時代は馬には鐙なしで乗ったみたいだが調べたら晋(三国の後)ぐらいに見つかった陶馬俑が最古で302年と322年に鮮卑(満州から蒙古にわたる王国)と東晋の墳墓からそれぞれ見つかったそう 最古の鐙は五胡十六国の北燕貴族の埋葬品らしい(407〜436
2015-12-27 22:49:37@UJIYASUKYOU はえ^~…すっごく古い それでも三国志時代には鐙くん無かったんですねえ。 じゃあみんな、馬に跨って挟む力だけで体支えてたのか…
2015-12-27 22:55:53@WINTERgneral 確認されてないだけだからあったかもしれない でも、馬に乗れるというのはやはりそれだけステータスと言える
2015-12-27 22:58:02@WINTERgneral 春秋戦国時代の匈奴や趙なんかは踏ん張りに加えて弓まで入れたというからなあ なお、鐙なしの乗馬は踏ん張るため足の下に血が溜まって後々大変なことになる模様
2015-12-27 23:03:32@UJIYASUKYOU そういう連中と戦ったり交流したりするうちに 技術が身についたのかもなあ。 北方遊牧民も、ただ害ばかりというわけでもなさそうだ
2015-12-27 23:08:49