2016年1月1日

太閤検地による石高把握ともう一つの意図

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丸島和洋 @kazumaru_cf

昨日のめんどくさそうな話。検地の件が出ていたが、太閤検地以前にも当然検地は行われている。というか、荘園領主の時代から「検注」という名前でやっている。

2016-01-01 18:39:31
丸島和洋 @kazumaru_cf

で、太閤検地=実測検地、戦国大名検地=指出検地というのも正しくはない。というよりも、「指出」と「検地」は違う。「指出」とは、領主が交代した際に、村落の側から過去の村高を申告するもの。ようするに今まで納めていた年貢の基準値を報告するのね。

2016-01-01 18:41:13
丸島和洋 @kazumaru_cf

で、領主側がそれでいいと思ったらそこで終了。再調査しようとしたら「検地」実施となる。この場合、きちんと検使を派遣して実況検分をさせる。これは戦国大名検地でも変わりは無い。まあそこで把握するのが隠田なのか中間搾取分なのかまだ揉めてるが、実情の再チェックというのが基本。

2016-01-01 18:43:32
丸島和洋 @kazumaru_cf

これを代替わり検地と呼ぶ。で、その際、現地に役人ははいるものの、太閤検地でも戦国大名検地でも全域の測量なんかほとんどしない。というより、多分無理。現在でも地価の調査なんて一市町村全域をやるわけではない。ピックアップして、それを基準に敷衍かさせるわけだ。

2016-01-01 18:44:48
丸島和洋 @kazumaru_cf

戦国大名検地と太閤検地の違いというのは、戦国大名は国ごとの慣習(石高か貫高か刈高か、および基準として使用する升)を変えることはしなかった。だからたとえば信濃と上野では同じ貫高でも内実が違う。必要な時に換算すればいいでしょ、という考え。

2016-01-01 18:47:14
丸島和洋 @kazumaru_cf

太閤検地は、その基準を京枡・石高制に変えた。それで全国の石高を把握し、台帳を作った。これは大きな違い。ただしこれを現地に押しつけたかは別で、現地では今までと同じ慣習を踏襲するところも多かった。ようするに、秀吉に報告する時だけ、統一基準に合わせたわけ。

2016-01-01 18:48:46
丸島和洋 @kazumaru_cf

なので、実測調査なんて全国ではやってはいない。というか、自力で検地を行える大名は自己調査したものを秀吉に報告している。これは戦国大名時代の国衆と同じ。太閤検地が目立つのは、自分で検地という財政改革を行えない大名が、豊臣政権に指導と役人派遣を仰いだから。

2016-01-01 18:50:24
丸島和洋 @kazumaru_cf

つまり太閤検地とは、秀吉が全国の石高を把握するという意味も重要だが、各大名が豊臣大名として存続できるようにバックアップしたという側面もあるわけ。

2016-01-01 18:51:20
丸島和洋 @kazumaru_cf

島津領では、最初細川幽斎が入って検地を行うんだけど、諸領主の抵抗が強くてあんまり上手くいかなかった。そこで石田三成が乗り込んで、ほとんど「机上の計算」で石高を決めていった。この時の最大の目的は、島津の直轄領を増やす、ということ。なので後で反発を招くことになる。

2016-01-01 18:53:21
丸島和洋 @kazumaru_cf

相良では、太閤検地は免除だった。ところが朝鮮出兵で財政破綻を起こして、石田三成に太閤検地を要請するんだけど、「今忙しいし、相良家は家老二人の仲が険悪で、検地やるの危険でしょ」と断られる。で、強引に検地をはじめて仕方なく三成が手伝うんだけど、三成の危惧通り反発を招いて御家騒動に。

2016-01-01 18:55:11
丸島和洋 @kazumaru_cf

必要性を感じなかったんでしょうね。ただこれは真田が築いた貫高制がかなり税収が高いもので、下手に石高制に転換すると減収になりかねなかった、という見解も出ています。僕はあまり賛成していませんが、自分で調べてないので。 twitter.com/benny_ayame/st…

2016-01-01 18:57:31

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