方相氏周圏説【自分用備忘録】

現在資料を整理中なので、あくまで仮説やで! (将来大幅に手を入れる可能性あり) いつか、ちゃんとまとめたいで! 日本全国の【方相氏の出てくる追儺式をやっている神社・仏閣】リストについては、こちらをどうぞ! 続きを読む
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おーへんり さき @Saki_Ohenri

ちなみに、ついなちゃんの追儺式レポートは、不評好評関わらず続けていく所存…!

2016-01-04 00:13:26
おーへんり さき @Saki_Ohenri

年に二回か三回かくらいしか、発表できないですけどね!w

2016-01-04 00:13:46
おーへんり さき @Saki_Ohenri

真面目な話、追儺の祭りを毎年少しずつ取材して、追儺式の伝播と変遷をまとめた真面目な追儺研究本を作りたい…。というか、追儺と方相氏の儀式ならこれ一冊で全てが分かる的な、本をまとめたい…(将来的には、商業出版レベルの。需要は無いだろうけど!!)

2016-01-04 00:34:02
おーへんり さき @Saki_Ohenri

前にも何度か言ったことがありますが、方相氏の仮面には、赤仮面と白仮面と黄金仮面の三系統あるのです。この仮面の伝播の系列をまとめておけば、古代日本の追儺と方相氏の儀式の伝播の仕方が判明するのでは無いか、という仮説。

2016-01-04 00:40:00
おーへんり さき @Saki_Ohenri

赤仮面は、京都の吉田神社の追儺式の流れを汲んでいます。吉田神社の追儺の儀式は日本で一番有名&今でも華々しくやっている追儺式ですが、この吉田神社、復古神道で有名なところなのです。 室町時代に、古式に則った(と吉田さんが当時思った)神道を興したのですね。それが吉田神道。

2016-01-04 00:42:46
おーへんり さき @Saki_Ohenri

当然、吉田神社で行われている追儺式も、室町時代に復興されたものなのです。ですので、実は伝統としては、比較的新しい層に属しているのです。 日本各地の追儺式を見る場合、吉田神社系列に属する新しい追儺式か、それ以前から伝わり残ってきた追儺式かを、見極める必要があるのですね

2016-01-04 00:44:47
おーへんり さき @Saki_Ohenri

例えば、東海地方の浜松八幡宮で行われている追儺式は、赤仮面(三叉の矛&盾)の吉田神社式。それもそのはず、実は浜松八幡宮で行われている追儺式は、割りと近年になって、吉田神社から「伝授」されて行われるようになったものなのです。伝承としては、かなり新しい部類。

2016-01-04 00:46:54
おーへんり さき @Saki_Ohenri

吉田神社の追儺式自体、方相氏が「赤い」仮面を被っていること、角が生えていること、などから考えて、「方相氏=鬼」のイメージにだいぶ近付いているのですね。つまり、伝承としては、平安中期から末期くらい、つまり方相氏が鬼と同一視された時代の追儺式を復古している可能性が高いのです。

2016-01-04 00:48:35
おーへんり さき @Saki_Ohenri

だから、最近思うのは、鞍馬寺でやっている追儺式。あれもかなり吉田神社式に近いので、実はそんなに古い伝統じゃないんじゃないかなぁ…と。 鞍馬寺(と貴船神社)は、公式に「豆まき」発祥の神社ということになっておりまして、その伝承のぜひはともかく、豆まきを全国に広めた中心地ではあるのです

2016-01-04 00:50:50
おーへんり さき @Saki_Ohenri

その鞍馬寺が追儺式をやってるというのはかなり怪しい。追儺式は、京都では一時ほぼ完全に廃れていたので(ですから吉田神社が復興したのです。吉田神社の一族である吉田兼好も徒然草でそういう話を書いてたり)、鞍馬寺の追儺式は、吉田神社から伝授されたか、採り入れたかしたものではないだろうか…

2016-01-04 00:53:23
おーへんり さき @Saki_Ohenri

また、逆に言うと、赤い仮面じゃない方相氏が登場する追儺式はかなり古い層に属していると言って良いと思われます。 白仮面の方相氏が出てくる平安神宮の追儺式は、つい最近になって、古代追儺式を学術的に検証して復古したものですが、そこでは白い仮面、しかも「角」はありません。

2016-01-04 00:58:32
おーへんり さき @Saki_Ohenri

そして、黄金仮面の方相氏が出てくる神社がいくつかあるのです。これがポイント。 それは、九州の住吉神社と、東京の鎧神社。 金色というのは「黄金四つ目」から敷延されて、このイメージになったと思うのですが(※金色の目は魔力の象徴)、

2016-01-04 01:01:31
おーへんり さき @Saki_Ohenri

この金面方相氏には、一本ヅノがあるのです。つまり、「邪気封じの方相氏」と「鬼」との中間イメージになっているのです。しかも、そういった金面の方相氏の登場する神社が、京都から非常に離れた、東京と九州の二箇所に残っているというのが面白い。つまりですね…

2016-01-04 01:03:28
おーへんり さき @Saki_Ohenri

追儺式が京都から広まったのは間違いの無い事実と思われますが、その方相氏の形態を古層から並べていくと、恐らくは、 白面方相氏(角無し)→金面方相氏(一本ヅノ)→赤面方相氏(一本ヅノ≒吉田神社式復古方相氏) このようになるのではないかと、私の仮説では類推できるのです。

2016-01-04 01:06:44
おーへんり さき @Saki_Ohenri

そこで、その傍証として、蝸牛考に代表される方言周圏説を挙げたいと思います。 方言周圏説というのは、文化の中心地であった京都を中心に、「カタツムリ」の名前が、新しい言葉ほど京都に近いところに残っていて、古い言葉ほど、京都から遠い地方に残っているという、柳田国男の有名な学説です。

2016-01-04 01:10:53
おーへんり さき @Saki_Ohenri

hosokawa18.exblog.jp/18436824/ こちらのページの地図が分かりやすいかな? 「デンデンムシ」が一番新しい言葉で、京都から離れるに従って、「マイマイ」→「カタツムリ」→「ツブリ」→「ナメクジ」…と、より古い言葉になっていくんですね

2016-01-04 01:12:43
おーへんり さき @Saki_Ohenri

つまり、文化の中心であった京都ではカタツムリのことをツブリとかナメクジとか呼ぶような、古い呼び方は廃れていて、新しい呼び方が次々と生まれているんですね これを方相氏周圏説に敷延しますと、

2016-01-04 01:14:53
おーへんり さき @Saki_Ohenri

京都(ホントは飛鳥ですけど)から方相氏の出てくる追儺式文化が浸透し始め、関東から九州あたりまで広がり(東北は「鬼」が強い勢力を持っているので、「方相氏」文化は広まりませんでした)、その内、平安時代中期には、方相氏を「鬼」として捉える考え方が起こりはじめ、末期には廃れてしまう。

2016-01-04 01:16:58
おーへんり さき @Saki_Ohenri

室町時代に入り、吉田神社による復古方相氏が生まれるわけですが、これは赤面・一本ヅノの最新式方相氏。しかし、京都から遠い関東や九州には、より古層の方相氏(金面・一本ヅノ)が残った……と。 これが私の唱える「方相氏周圏説」wのあらましです。

2016-01-04 01:19:00
おーへんり さき @Saki_Ohenri

その証拠って訳じゃないですが、鎧神社の金面・一本ヅノの方相氏面って、ものすごいノッペリしていて、平安神宮の一番古い白面方相面によく似ているんですよねぇ…(最近、新しい立体的な面に変わってしまいましたが)

2016-01-04 01:20:44
おーへんり さき @Saki_Ohenri

これは、鎧神社の追儺式がかなり古いもの(吉田神社以前のやり方)を受け継いでいるから、なんではないかなぁ……と考えているのです(^_^;) 長々書いたけど、これにておしまい。 この説を、もっとあちこち取材して資料を整理して、本にまとめて見たいなぁとか考えているのですw

2016-01-04 01:21:47
おーへんり さき @Saki_Ohenri

一時間かけて学説を述べるより、ペタンコお胸のイラストを一枚投下した方が、はるかに反響あるであろうという…この事実! 事実!!! #大事なことなので二回言いました

2016-01-04 01:51:48
おーへんり さき @Saki_Ohenri

自分の「方相氏周圏説」もね、Togetterまとめしたはいいけど、発表した側から理論に穴がボロボロと…w その後の研究で訂正したいところもいっぱい出てきたし、まあ、あのままの形じゃちょっと恥ずかしいんですけどw、そういう至高のプロセスをはっきり出しちゃってもいいんじゃないかなぁ

2016-02-06 16:40:39