10周年のSPコンテンツ!
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julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-1:壇上でお話する機会はこれが最後と思われる。21年間大過なく過ごせたのは、多くの教職員の皆様のお陰だ。赴任当時は非常にアグレッシブな人間で、街で傷害事件の加害者となることを怖れ、家・学校・道場の間を移動するだけの生活。電車に乗らず禁止されている自動車通勤をした。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-2:赴任当初教えた仏文学の学生から「怒っているのか」と聞かれた。東京では競争心のようなものがあり「こいつには負けられない」となる。ここではそういうマインドにならなかった。競争的な人間がフレンドリーな環境にいることで温和な人格になった。これが女学院のアウトプットだ。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-3:女学院では、強く訴えなくても自分の研究である「ユダヤ主義と反ユダヤ主義」を認めてもらえた。子育てのために教授会を途中で抜けることがあっても「内田くんはそれでいいよ。年回りがきたら働いてもらうから」と許してくれた。ここでは諸先輩がたに恵まれた。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-4:女学院はキリスト教の精神で運営されている学校であり、行事の時には賛美歌を歌う。当初どうしてよいのかわからなかったが、チャプレンの茂先生の祝祷の時には、祝福が個人的にも注がれている気がした。その手の内側に自分も入っており、受け入れられているという感じがした。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-5:茂先生にはゼミ生の卒業の件でお世話になったことがある。その時の先生の対応を見て、教育とはルールを学ばせることもあるが、それとは違う寛容さというもの、過去に対してペナルティを与えるのではなく、これから行うことに支援や励ましを与えることもまた教育なのだと知った。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-6:95年に震災があった。90年に赴任して5年間好き放題にさせていただいたが「こういう時にこそ働け」ということであると思い、他の先生方と共にたくさん肉体労働をした。震災では校舎が被害を受けたが、中でもヴォーリズの建物の様子を見て、深い傷を負ったと感じた。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-7:ヴォーリズの建物は生き物だ。大きな熊のような生き物が血を流し、呻き声を上げていることに気づいた。瓦礫の除去作業は傷の手当てをしているような印象だった。おそらく作業に関わっていた全員がそう思ったはずだ。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-8:ヴォーリズの建物は声の通りが良く、ハウリングがない。小さい声でも後ろの席まで聞こえる。つぶやくような声もみんなに響く。気持ちの良いリヴァーブがかかるので、発表する人は「自分が賢くなった気がする」と言う。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-9:このような教室では、文章を言い終わる時に自分がどこに着地するのかわからないような、生成的でイノベーティブなことばを発することができる。ヴォーリズは教室における「声の響き」に重点を置いた。それは教室の外に音を漏らさない遮音ではなく、生徒と先生の間の声の響きだ。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-10:建物は中が暗い。外に明るい景色が見え浮遊感のようなものがある。出生の時の感覚はこのようなものではないか。高等教育に求められる生成・イノベーション・ブレークスルーといったもの、暗がりから明るいところに飛び出していく感じを身体的実感として持つことを考えたのでは。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-11:93年に財政再建のためのヒアリングがあり、某シンクタンクは建物は無価値と判断した。建物の魅力がわかっておらず、数値化されるものしか見ていない。この瞬間に経済至上主義と決別した。その後、無言で自分を抱きしめてくれるこの建物の魅力を伝えるべく努力している。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-12:建物はすべての部屋の作りが違う。建物全体が迷路のようで、自分でドアノブを回さないと先に行けない。探検すると隠し階段や屋上を発見できる。学内で好きな場所は、図書館本館ホール、理学館3階、総務館の隠しトイレ。「隠し」と付く所は気づかずに通り過ぎるところにあるが、
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-13:好奇心を持った学生だけが、暗い廊下や階段を通り抜けた先に、他のどこからも見ることのできない美しい風景の広がりを望むことができる。これはご褒美のようなものだ。仕かけをして去った、「建物が人をつくる」と言った建築家からの時間や時代を超えた自分への贈り物だ。
julie部第8号 まり @juliebudai8gou
最後の講義P1-14:タルムードは、等身大の自分をねじり込むことで初めて語り始める。学びのダイナミズムとはこれだ。自分の生身の身体を投じることによって賦活できるもの、わずかなシグナルに反応し、自分の感覚を信じ、身を投じることで得られる個人的な贈り物。これは学びや信仰の比喩だ。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-1 リベラルアーツ : 「懇請」願うことによってそこで初めて重い口を開いて意味を語り始める。それがそのまま「リベラルアーツ」につながっている。それはごく簡単にいうと孔子の「六芸」、礼、楽、御、射、書、数である。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-2 それは人間が人間であるために必要な自分自身を開放していく、自分自身の生きる力を高めていく技芸。「礼」とはなにか。葬送の儀礼、死者を祀るのは人間だけ。死者というのはもう存在しないが、「存在するとは別の仕方で」生きている者たちに触れること。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-3 生物と無生物の間にわだかまっているのが死者。もう存在しないがその存在しない死者が、私たちの物の考え方や感じ方やコスモロジー、様々な価値観や認識に絶えず影響を与え続けている。死者と「交通」する、死者とのメッセージを聴きとる、メッセージを送るというのが「礼」
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-4 存在しないもののシグナルを聴きとる、存在しないものに対してメッセージを送る、これは高等教育の最終目標。同時に自然科学の最先端においては、従来の仮説では説明できない様々な現象を説明する、新たなより包括的な仮説が必要とされる。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-5 既存の計測機器ではきちんと表示されない、なんだかわけのわからない現象がおきている時、「何かあるような気がする」、僅な「現象のざわめき」に対して反応できる人が自然科学の領域のフロントランナー。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-6 仮説をたてると、ぼんやりと感じとっているざわめきのようなもの、シグナルの手前のノイズのようなもの、うなりのようなものをシグナルとして記号化、有意化しうるスキームができるのではないか。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-7 スキームを放り投げてみると、そのざわめきが有意なシグナルに変換される、それが仮説を作ることだ。自然科学で仕事をしている人は、自身の心身のセンサーを最高度にあげ、まだ記号になっていないシグナルとして認知されないものに対して、マックスの感受性を持っていく。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-8 ほとんど私たちの世界を構築しているものは「存在しないもの」。例えば音楽を例にあげると音楽はもう聴こえない音がまだ聴こえていて、過去、未来の感覚の射程を拡げていく。ある単独な時間における単独の楽音は存在しない。過去に始まった空気の振動が見事に響き続けている。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-9 まだ到来していないが未来の空気の振動が既に先駆的に先取りされている、過去と未来の両方に手を伸ばしていける人間だけが旋律やリズムを聴きとることができる。孔子の「楽」は存在しないものをどう捉えるか。ある単独の点的な時間において僕の喋っている言葉はあり得ない。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-10 既に僕が喋っていて空気中では消えてしまった音声がまだ残っていて、確実な未来予測の中で、僕はもう喋っていない。でも「まだ聴こえるでしょう?」。実は「存在しないものを聴いている」。「自分が語るもの」を聴く。
julie部第一号✨✨ @juliebudai1go
最後の講義P2-11 消えてしまった音声をまだ現在の中で持ちこたえて、まだ喋っていない言葉を既に自分の現在に持ちこたえる。そのふたつの作業することなしに思考するということはできない。「存在しないもの」と関わることなしには、私たちは語ることも思考することもできない。
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コメント

工藤拓真|CreativeStrategist @TakumaKudo 2011年1月23日
RT @juliebudai8gou: 最後の講義P1-13:好奇心を持った学生だけが、暗い廊下や階段を通り抜けた先に、他のどこからも見ることのできない美しい風景の広がりを望むことができる。これはご褒美のようなものだ。仕かけをして去った、「建物が人をつくる」と言った建築家からの時間や時代を超えた自分への贈り物だ。
工藤拓真|CreativeStrategist @TakumaKudo 2011年1月23日
RT @juliebudai8gou: 最後の講義P1-5:茂先生にはゼミ生の卒業の件でお世話になったことがある。その時の先生の対応を見て、教育とはルールを学ばせることもあるが、それとは違う寛容さというもの、過去に対してペナルティを与えるのではなく、これから行うことに支援や励ましを与えることもまた教育なのだと知った。
marie @kuyomar 2011年1月24日
RT @juliebudai8gou: 最後の講義P1-5:茂先生にはゼミ生の卒業の件でお世話になったことがある。その時の先生の対応を見て、教育とはルールを学ばせることもあるが、それとは違う寛容さというもの、過去に対してペナルティを与えるのではなく、これから行うことに支援や励ましを与えることもまた教育なのだと知った。
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