千葉雅也『動きすぎてはいけない』読書メモ集

千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、2013)の読書メモをまとめました。
0
荒木優太 @arishima_takeo

あともう少しでポストポストモダンだッ!(田中実歓喜) pic.twitter.com/MzFxEi5RJJ

2016-01-04 13:52:51
拡大
荒木優太 @arishima_takeo

リゾーム的な接続は、どこかで切断され、有限化されなければ、私たちは、かえって巨大なパラノイアのなかに閉じこめられる。あらゆる事物が関係しているという妄想である。by千葉雅也『動きすぎてはいけない』

2016-01-04 14:38:20
荒木優太 @arishima_takeo

もっと動けばもっと良くなると、ひとはしばしば思いがちである。ひとは動きすぎになり、多くのことに関係しすぎて身動きがとれなくなる。創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない。動きすぎの手前に留まること。by千葉雅也『動きすぎてはいけない』

2016-01-04 14:41:52
荒木優太 @arishima_takeo

『動きすぎてはいけない』第一章。動物になること(生成変化)の説明を、デ・ニーロがカニになることを例に説明してくれているのだが、結局の処、よく分らない。互いに外在的な粒子が諸々の組み変え可能性をもつことは分かったが、でも動物にはなってないんじゃないの? 輪廻転生的な話なのか?

2016-01-05 11:08:43
荒木優太 @arishima_takeo

生成変化がパフォーマンス(動物の真似)じゃなく、マラブー的可塑的変形やドラッグによる脳への化学的介入といった実在的な次元での変化だってのは分かった。で、その上で、動物になるとか女性になるとかってどういうことなのか。いつだって手術できるよ的な話なのか?

2016-01-05 11:14:03
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo 無論、あとで、ちゃんと説明されるのかもしれない。

2016-01-05 11:15:06
荒木優太 @arishima_takeo

ドゥルーズにおいて存在論的ファシズムを難じうるとすれば、問題の核心は、喜ばしい共生が、強制的に予定されているかのようであることだ、と私は考える。by千葉雅也『動きすぎてはいけない』

2016-01-06 10:36:14
荒木優太 @arishima_takeo

『動きすぎてはいけない』第三章。やっぱり精神分析(というかラカン)が出てくると途端にわけわかんなくなる。ドゥルーズがスゲーのは、単数的超越論性と複数的超越論性の間に留まるから(変態)、って理解でOK?

2016-01-07 18:39:30
荒木優太 @arishima_takeo

「イロニー/ユーモアは、そもそも、『差異と反復』の前年、六七年に出版された『マゾッホ紹介』において、サディズム/マゾヒズムという対立に重ねられていた。イロニーはサディズムの側に、ユーモアはマゾヒズムの側に位置づけられるのである」(千葉雅也『動きすぎてはいけない』)。お、なるほどー

2016-01-08 13:59:22
荒木優太 @arishima_takeo

「シャープな個体たち(セルフエンジョイメント)の方へ折り返すという節約のエコノミーが、潜在的な関係=比の接続過剰を《一者‐全体》化する集約のエコノミー(生気論的・構造主義的ホーリズム)から、減速によって脱輪するのである」(千葉雅也『動きす』)。うん、お前なに言ってんだ?

2016-01-08 14:28:55
荒木優太 @arishima_takeo

「絶対的に分離した、シャープに個体化した他者Aは、専制的な代理者として他のすべてを従属させることになるのではないか――つまり、Aは、シャープに分離すればするほど、非Aのすべてに対して上位の立場から接続過剰になるのではないか、というパラドクスである」(千葉雅也)。これは面白い。

2016-01-08 15:25:20
荒木優太 @arishima_takeo

「ドゥルーズによれば、他人の「顔 visage」は、他なる「可能世界」を表現しているとされる。実在の多様な他面であるそれらを、《私たち》は尊重しなければならないのである」(千葉雅也)。これって脱顔貌化の議論(ミルプラトーだっけ?)にも繫がるんだろうか。あと、レヴィナスには?

2016-01-08 15:29:42
荒木優太 @arishima_takeo

むしろ、世界を貧しくするべきなのである。生成変化によって世界を貧乏化する。それは世界の有限化である。by千葉雅也『動きすぎてはいけない』

2016-01-09 14:25:13
荒木優太 @arishima_takeo

千葉雅也『動きすぎてはいけない』読了。第九章がすごい面白かった。Dzがユクスキュルのダニに注目して動物論を唱えていたのもへぇーとなったし、スピノザの後継者としてユクスキュルを見立てるという観点が彼の英米系文脈に由来するという話も、確かにプラグマティズムっぽくて納得。

2016-01-09 14:29:08
荒木優太 @arishima_takeo

あと、忘れちゃいけないのが、ダニの環世界での三つの力能(光、匂い、熱への反応)は、第四の力能としての「待つ」力とセットになってるって話。環世界内部で獲物を長時間待てるダニは、環世界外部でも「十八年間」も待てる。Dzにとって動物とは「根本的に待ち伏せる存在」。

2016-01-09 14:35:06
荒木優太 @arishima_takeo

その「待ち伏せ」状態を構成するのが、世界の「貧しさ」(=有限化)、フィルタリングとアディクション。貧しさ故にシャープに分離した真の他者と出会えるという洞察は、それ自体中々感動的だ。オタクもオタク道を極めれば変な女の子に出会えるかもよ、みたいな話でしょ?(テキトーすぎる要約)

2016-01-09 14:39:16
荒木優太 @arishima_takeo

あえて難癖をいっとけば、非ドゥル研究者にとっては一寸長すぎたかな。四章から八章までなくっても私は大丈夫(どうでもいい)。

2016-01-09 14:41:27