「オタクは性的少数者」スピンオフ!! 紫音さんの「オタクは性的少数者をブリッジ可能か?」~BL、同性愛、ペドフィリア、LGBT~
- hibari_to_sora
- 16193
- 134
- 14
- 3
オタクは性的少数者の受容者となってきたか?
以下、ざっくり要点 かなり鋭い突っ込みをしてます
・オタクコンテンツが性的少数者を描いて来たとしても、それだけではオタクが性的少数者にコミットしてきたことを意味しない
・「二次元偏愛は性的少数者」である場合、反表現規制ディスクールの要である「現実と虚構は別!」と全く整合しない←鋭い指摘です
・オタクは例えばペドフィリアを本気でブリッジする気があるのか
・コミケの参加者はレインボーパレードに参加してきたか
「オタクが性的少数者の受容者となってきた」といった類については個人的には「???」。確かにサブカル・アングラと呼ばれてきた時代から性的少数者を表現した作品は多々あったろうし、それが性的少数者をキャッチアップしてもきただろう。そこには特に異論はない(実際そういう人も居る)。
2016-01-10 14:17:52だからこそ自分は表現規制には原則反対なのだし、突破口としてのそういった作品群の一般受容への突破口というのは検討できると思う。思うけどさ、そういった少数者を描いたものは文学であれ絵画であれ存在してきただろうし、アニメ・漫画オタクが積極的にそれらも含めて少数者を支えてきたと言える?
2016-01-10 14:19:51仮にそういった作品群を受容する中に性的少数者が居たとしてだ、例えばロリショタ作品を愛好する趣味者がロリショタ作品を社会との接点として受容してたペドが居たとして、そのペドを支えたりしただろうか?極論の例にはなるけど、そんなことは無いと思うのだが。
2016-01-10 14:21:46また、マセキさんも少し触れているけど、性的少数者の中でもやはり別属性への差別なんてのはあったりする訳で、そこには複雑な問題が存在するし論争も存在してきたはずだよね。でもそういった問題にアニメ・漫画オタクは積極的にコミットしてきただろうか?(評論家や学者は別として)
2016-01-10 14:23:32ペドフィリアをどう位置付けるべきか(或は社会との接点を構築・維持していくか)という問題はあるにしても、それよりももっと遥か手前の時点でそこには大きな断絶もあると思うのだけど。ストレートのBL好きがゲイを受容するか、という例を出したのはそういったことも念頭にはしてるのよ。
2016-01-10 14:25:15オタク(以下面倒なので連POST上は全てアニメ・漫画オタクに限る)が嗜好する(消費する)作品群の中にそういった少数者を描いた作品が存在してきたという歴然とした事実は、それだけではオタクと呼ばれる群集合そのものが性的少数者にコミットしてきたことを意味し得ないでしょう。
2016-01-10 14:27:05同時に「二次元偏愛」をある種の「性的少数者」と位置付けるべきかどうかというのは一つのテーゼとして提起できるけど、その一部の「二次元偏愛(三次元不可)」の存在を「オタク」は支えるだろうか?現実と虚構は別だ、は表現規制反対論法であり、それを踏まえると、支えるとは限らないでしょう。
2016-01-10 14:29:26というか、表現規制反対論における「現実/虚構」論を採った場合、寧ろ「二次元偏愛者」なんて「文字通り現実と虚構の区別がついていない」か「虚構しか愛せない」人にならざるを得ない気がするのだけど、それに対して「同種の傾向を持つ以外」のオタクはそれに何処までコミットするだろうか?
2016-01-10 14:30:53しばしば小児性愛とブリッジする存在であったりする人形愛(≠フィギュア愛好家)に対して、「オタクが性的少数者の受け皿だった」と主張する人たちは何処まで理解を示すだろうか?「そういうものが規制されたらお互いに困るよね」という共同戦線以上のコミットが可能だろうか?
2016-01-10 14:33:16恐らくしないと思うのだよね。確かにLGBT運動(そこにいくつかの更なる属性を加えても良いのだが、所謂性的少数者の運動)に対して、「表現規制反対」以上のコミットがどこまで可能か。大半の人は「興味ない」のではないか、と。いや、オタクの多くは連帯するよ、というなら話は変わるのだけど。
2016-01-10 14:35:48たぶんしないと思うのよ。だってコミケにあれだけ動員されてもレインボーパレードには興味ないでしょ?多くの人は。ストレートが大半であり問題系が別軸だとすれば、そうであって不思議でないし、実際そういう状態になっていないか?問題系の位相が同一なら何故この乖離が生じるのか。
2016-01-10 14:37:35この乖離の存在こそ、問題系が別位相のものであり、極一部に「両方の問題に属する存在」が居て、極一部に「共通の利害がある」という、ただそれだけの事実を意味するのではないだろうか?「蔑まされてきた」というだけで共通項として括れるなら民族問題、部落問題にコミットしてきたか?
2016-01-10 14:40:44もちろんLGBTの運動だってあらゆる「差別問題」になんてコミットのしようがないし、しても来なかっただろう。「蔑まされているハタモノ」というだけで共通軸にはならないのはまさしくこういうことであるわけで、性的少数者の中でさえ差別/被差別の問題は生じている現実がある。
2016-01-10 14:42:14その数多ある問題の中で、「児童をどのように表現するか(消費するか)」という点であってさえ、趣味者とペドフィリアの中では天地ほどの差異があるはずで、同時にその隘路の中でたまたま被る部分があったとして、「オタクが受け皿になってきた」とザックリまとめてしまうのは如何なことだろうか?
2016-01-10 14:44:49「極一部の性的少数者」が愛好する「極一部の性的表現」に対する「表現規制全般に対する反対の一環」としての「反対の声」というのは、言うほど性的少数者をキャッチアップしてきたと声を大にして言うことだろうか。それは表現と消費の位相で「たまたま」求める表現が重なっただけではないか?
2016-01-10 14:46:51オタク趣味というのは、多くの場合趣味であって(まぁ自分の異性装趣味だって趣味に過ぎないわけで)、その趣味を蔑むのを止めろというのは趣味者として当然声を上げて良いと思うのだけれども、根源的存在問題としての性的少数者の問題系とそれとは違うでしょ(自分は両性愛者でもある)。
2016-01-10 14:49:42ついでにアニメや漫画も嗜む程度には好きでもある。まぁ全方位半端者と言えばそれまでだけど、そんな立ち位置だから「そんな風に見える」というような問題ではないと思うのだけど。位相の違いは。そしてアプローチも問題解消に向けた必要な回答も違うのではないか?
2016-01-10 14:52:05「オタクこそが性的少数者の受け皿であった」(或はそれに近い言説)に対する強烈な違和感はそこにあるのだよね。その違和感は不当な違和感だろうか?確かに一部の連中のオタクバッシングは目に余るものがあるが、それを割り引いてもあまりにもその主張は大袈裟に過ぎるとさえ感じるのだけど。
2016-01-10 14:55:25「オタクコンテンツの中に性的少数者をキャッチアップする作品群も1ジャンルとして存在してきた」というのであれば解るし、実際そうだと思うし、それは否定もしないし過去も何度かそういった効用については肯定してきたけど、今回のアレは果たしてそうなの?違うでしょ、と。
2016-01-10 14:56:27そういったコンテンツが性的少数者が社会の抑圧の中で自死に追い込まれることから免れ得るための効用を持っていたとして、それがあたかも積極的コミットであるかのように言い募るのは妥当だとは思えない(注:ここまでくると元記事からはだいぶ外れてくるけど主にコメント欄向け)
2016-01-10 14:58:55問題を捉える上での妥当性、問題と対峙するための適切性というのは、社会問題(或は社会で「問題とされている事物に対応する施策問題)の考え方・捉え方として、妥当性は著しく欠くのではないか?表面上細やかな共通項があったからといって同一に扱えないでしょ、というのはそういうことなの。
2016-01-10 15:00:53性的少数者の問題を巡る事象において、「創作表現」を守りたいが故にあまりにも不釣り合いで不適当な「過大な効用」を与えてはいないか?もっと言えばそういう「効用」を過大に捉えることこそ、inumashさんの言うところの「フリーライド」になってくるのではないか?とも。
2016-01-10 15:02:32