10周年のSPコンテンツ!
40
アザラシ提督 @yskmas_k_66
本日11日(あと5分ほどで終わってしまいますが)は「成人の日」ですね。成人式は全国的に10日に挙行されたようですが、こうした式典や通過儀礼は日本以外にも世界のあちこちにあります。そしてもちろん古代世界でもそれっぽいことをやっていたようです。 #成人の日
アザラシ提督 @yskmas_k_66
せっかくですし、古代ギリシアではどういう成人の儀式があったのか、比較的多くの文献が残っているアテナイ(現代のアテネ)を例に紹介しましょう。全部で20ツイートくらいを予定しています。宜しくお願いします。 #成人の日
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(1)まず、アテナイの男の子は16歳になった時に、疑似的な血縁集団である「フラトリア」(兄弟団)に紹介され、成員の名簿に登録される必要がありました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(2)アテナイの弁論家デモステネスは登録の際にどういう儀式をするのか、その詳細を語っています。それによると、登録にあたっては神に生贄を捧げ、その間に成員として認めるか否かの投票が行われたようです。ちなみに、生贄に使った獣のお肉は出席者に分配されました(Dem. 43.14,82)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(3)他方で、同じく弁論家のイサイオスによると、男の子だけではなく、女の子や養子もこうした場で紹介されたようです(女の子の場合: Isae. 3.73-76. 養子の場合: Isae. 2.14; 7.13-17.)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(4)次に、伝アリストテレスの『アテナイ人の国制』によると、フラトリアの登録から2年後、若者が18歳になった時に今度はデモス(区)の名簿に登録されます。これで彼らは「エフェボイ」(壮丁)の肩書きを手に入れ、大人の仲間入りを果たします([Arist].Ath.Pol.42.1-2)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(5)古くは断髪を行って、それを神にささげるという習慣もあったようです。ただし、果たしていつからいつまでこの習慣があったのかは不明です(Plut. Thes. 5.1.)。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(6)さて、壮丁となった彼らは、ここからちょっとした修業期間に入ります。まず、市内の神域にお参りをしてから、ペイライエウス(現代のピレウス)で軍隊の訓練を1年間うけます([Arist].Ath.Pol. 42.3.)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(7)その後、閲兵式で槍と楯を授けられ、さらにもう1年、各地の要塞で警備任務にあたりました。彼らが駐屯したであろう要塞の跡は今も残っています。 pic.twitter.com/mKfAxtcV6W
拡大
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(8)壮丁にはちょっとした掟もありまして、「壮丁の誓い」を記した碑文が残っています。内容は「戦友を置き去りにしません」「命令にはきちんと従います」などなど…といったものです(RO 88)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(8 補足)この碑文についてはRhodes, P.J. & Osborne, R.(eds.), Greek Historical Inscriptions 404-323 BC, Oxford, 2003, pp. 440-9にギリシア語の原文と英語訳および解説が載っています。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(9)彼らにはちゃんと軍事の監督役や訓育係がついて、重装歩兵の戦術や弓の使い方などを手取り足取り教えました。壮丁の軍服も決められていましたし、給料も出ました。このような訓練を受け、ようやく一人前と認められるのです。([Arist].Ath.Pol. 42.3-5.)。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(10)ここで、戦没者の遺児に関する史料を紹介しましょう。もし戦場で戦死者が出た場合、アテナイ市は彼らの遺児たちを立派な父をもった子として、全責任をもって養育したようです。その後、彼らが18歳を迎えた時、公的な行事の一環として市民に紹介されました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(11)こうした遺児への援助は、プラトンの『メネクセノス』などに言及されています。どうやら、劇場で悲劇を上演する前に、完全武装した遺児たちを紹介するという、一種のセレモニーがあったようです。(Plat. Menex. 248E-249C; Aesch. 3.154.)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(11 補足)遺児だけでなく身体に障碍を負っている人もポリスからの援助の対象でした([Arist].Ath.Pol.49.4)。個人的な話ですが、ワタクシは二十歳の時に授業でこの史料を読み、「アテナイでは障碍者に手当てがあったのか」と少なからず衝撃を受けたのを今もよく覚えています
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(12)男の子たちは以上の過程を経て成人となりました。ところで、アテナイに住む女の子はどうだったのかというと、男の子たちのようにこまごまとした規定はありませんが、いくつかの通過儀礼はあったようです。彼女たちはアテナイで催されるお祭りにおいて、年齢に応じた役割分担がありました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(13)ではどんな役割分担があったのか、というとアリストファネスの『女の平和』からその一部を知ることができます。なんでも、「聖秘物運び」の役目、「聖なる臼」を挽く役目、「熊乙女」の役目、「聖なる籠」を運ぶ役目があったといいます。(Aristoph. Lys. 638-647.)。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(14)…これだけではなんのこっちゃ、って感じですから、くわしく見ていきましょう。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(14)「聖秘物運び」ですが、これは上流家庭の7〜11歳の少女2名が、スキロフォリオン月(現代の6〜7月)に行われたアレフォリア祭で、蛇かTNTNを形どった聖なる秘物を運ぶという役目でした。麦を収穫したあとの大地の回復を願う神事の一環と考えられます。(Paus.1.27.3.)
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(16)「聖なる臼」の役目ですが、女神アテナの神前に供えるお菓子を作るために、10歳の女の子が粉を挽いたらしい…くらいしか分かりません。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(17)「熊乙女」ですが、これは6歳〜9歳の少女の役目でした。 pic.twitter.com/4XPVU47qSF
拡大
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(18)どんなものかと申しますと、女神アルテミスの神域があるブラウロンという地において挙行された「ブラウロニア祭」で、黄色い衣装を身にまとい、熊の真似をして踊るというものです。「熊乙女」はこのようなかわいらしい像として残っています。 pic.twitter.com/iQ07wMqjU9
拡大
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(18)なんで熊なのか…ですが、これは女神アルテミスとは熊は切っても切り離せない関係にあるからです。アルテミスに付き添っていた少女カリストが、ある日アルテミスの怒りを買って追放され、牝熊に変えられてしまい、最終的におおぐま座として星座になった、という神話があります。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(20)神話は深追いするとキリがありませんので次にいきましょう。「聖なる籠」運びですが、これは13歳くらいの少女が様々な宗教行事の際に供儀の品を籠に入れて神域まで運ぶという役目です。このように、アテナイの少女たちは特定の年齢ごとに宗教的な行事の役目を担いました。
アザラシ提督 @yskmas_k_66
(21)最後に、古代ギリシア人にとって大人になるとはどういうことだったのでしょうか。答えるのは難しそうですが、クセノフォンが『メモラビリア』のなかで言及する「分かれ道のヘラクレス」という説話は何かしらのヒントになるのではないかと思います(Xen. Mem. 2.1.21ff)
残りを読む(6)

コメント

深井龍一郎 @rfukai 2016年1月12日
生産的労働に就くものは全て奴隷だったのだから男子は兵役女子は神事の義務を果たせば良いというのは合理的ですね。ところで奴隷身分に生まれついた障碍者は奴隷コミュニティ内にフォローできる余裕がなかったら野垂れ死んでいたのだろうなぁ。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月12日
rfukai コメントありがとうございます(・∀・) 古代における身体障碍者ですが、実力次第で生き残ることは可能でした。例えば詩人ホメロスは目が不自由でしたし、足が不自由でも優秀な技師として活躍した人もいたようです(プルタルコス『ペリクレス伝』27.3)。ちなみに、野垂れ死んだ人ですが、アテナイの場合は「道路上で死んだ者を片付ける」公的な役目を持った人たちがいました(伝アリストテレス『アテナイ人の国制』50.2)
深井龍一郎 @rfukai 2016年1月13日
yskmas_k_66 なるほど頭脳労働まで奴隷の仕事だったらそういう余地も生まれるわけですね。でも路上で死んだものを片付ける役目が明文化されてるということは、それだけ路上で死ぬ人が多かったということの反映なのでしょうね。やはり現代社会よりはだいぶ厳しそうです。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月13日
rfukai 仰る通り、古代世界は現代と比べると生きるのが難しく、厳しい社会でした (´・ω・`) ところで「道路上の云々」という法ですが、いくつか解釈がありまして、道路に捨てられて死んでしまった嬰児などもこの中に含んでいたと考える人もいます。ちなみに、運良く拾われた嬰児は奴隷として育成されたようで、紀元前1世紀以降に書かれたパピルスからはそういう子がいたことを示唆する記述があります。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月13日
yskmas_k_66 補足① 道路で死んだ者について定めた法の解釈は、アリストテレス(村川堅太郎訳)『アテナイ人の国制』岩波文庫 1980, 240頁をご参照ください。 補足② 運良く拾われた嬰児については、本村凌二『薄闇のローマ世界』東京大学出版会 1993の第1章および第2章、特に26-7頁に具体的な史料とその訳が載っています。
深井龍一郎 @rfukai 2016年1月14日
yskmas_k_66 あー、古代ギリシアだったかローマだったかは失念してしまいましたが、「遺跡を発掘していたら娼館跡の脇の用水路跡から大量の嬰児の骨が発見された」というドキュメンタリー番組を観たのを思い出しました。現在妊娠中絶が殺人とはならないのと同じレベルでは嬰児は人ではなかったのですよね。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月14日
rfukai そうですねぇ…、理由は様々ですが嬰児の遺棄があったことを示唆する文章は幾つもあります。しかし、その反面捨て子を禁じた例・捨て子をした経緯を語る例も見られます。ですので、嬰児遺棄は褒められることでも表立って批判されることでもありませんでしたが、親にとって赤子を捨てることは大変な苦悩と後悔をもたらしたと思います。後々のことですが、キリスト教徒の著作家はこうした嬰児遺棄を厳しく非難したようです。
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月14日
yskmas_k_66 補足① 嬰児の遺棄が話の中に出てくる文学作品はソフォクレス『オイディプス王』、メナンドロス『エピトレポンテス』、ロンゴス『ダフニスとクロエー』があります。  補足② 嬰児の遺棄を禁じた例はアリストテレス『政治学』1335b20; アイリアノス『ギリシア奇談集』2.7; ストラボン『地理誌』17.2.5; ディオドロス『歴史叢書』1.80.3をご参照ください。
Propagator @Miles_Gregarius 2016年1月14日
アテナイ市民には市外に住む中小農民も大勢いたので、「生産的労働に就くものは全て奴隷だった」というのは成り立たないのでは
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月14日
yskmas_k_66 補足③ 障碍のある子の遺棄・殺害を示唆する例、伝ホメロス『アポロンへの賛歌』316-8; プラトン『国家』460c; プルタルコス『リュクルゴス伝』16.1; セネカ『怒りについて』1.15.2.なお、上述いたしましたアリストテレスの『政治学』では続けて「他方で、障碍を持つ子は育てるなかれ」という法があるべしとしています。  補足④ 貧しさで子供を手放す例、ロンゴス『ダフニスとクロエー』4.35.3ff; プルタルコス『子供への情愛について』497e
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月14日
yskmas_k_66 補足⑤ 子供を誰かに委ねる例、アリストファネス『女だけの祭』564-5; アプレイウス『黄金のろば』10.23  補足⑥ 嬰児遺棄に対するキリスト教徒の見解、ユスティノス『第一弁明』27; アレクサンドリアのクレメンス『パイダゴーゴス』3.3.21.1
アザラシ提督 @yskmas_k_66 2016年1月14日
Miles_Gregarius これはすぐに反論の文章を書かなかったワタクシの怠慢ですし、コメントをいただいたrfukaiさんにも申し訳ないのですが、仰る通り、アテナイにおいては郊外で自ら耕作をする人が市民の大多数でした。特にアリストファネスの喜劇『アカルナイの人々』『平和』はそういった人々を描き出しています。
Propagator @Miles_Gregarius 2016年1月14日
yskmas_k_66 確認していただきありがとうございます。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする