豊臣秀長は「悪徳高利貸し」? ~河内将芳「落日の豊臣政権」への反響から
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【豊臣秀長(とよとみ ひでなが)】(1540~1591)羽柴秀長の方が通りがいいか。豊臣秀吉の弟。秀吉の右腕として、軍事・内政両面で豊臣政権を支えて人物。秀吉が若きころからともに戦場で戦う。豊臣政権では千利休と並んで秀吉を支える os7.biz/u/Fd14t
2016-01-14 17:06:49ほそぼそと歴史を勉強していますが、実力がまったくなく、悪戦苦闘をつづけています。 習作を重ねて、ひとつでもよいものをと願っています。最近の習作についてはzb.ztv.ne.jp/yiz8ujjf/をご覧ください。
吉川弘文館さんより『落日の豊臣政権-秀吉の憂鬱、不穏な京都-』という書物を刊行していただきました。京都の人々の目からみた秀吉の時代、とくに文禄年間に焦点をあてたものです。 pic.twitter.com/C4aDf15WOH
2016-01-20 13:56:19戦国ちょっといい話・悪い話まとめ というブログの管理人でございます。 iiwarui.blog90.fc2.com 主にブログ更新のお知らせとか戦国時代のこととかそれ以外のこととかつぶやきます。
河内将芳先生 @dhigasiyama の「落日の豊臣政権」、もうしょっぱなからあの豊臣秀長が、悪徳高利貸し以外の何者でもない事をやってて奈良の金融業が結果壊滅している。なんというか実に酷い(;´Д`)
2016-01-21 17:51:08@1059kanri 夏の陣が終わっても続いていた紀州の北山一揆の原因も、元はと言えば秀長が材木利権で相当悪どい事をやっていたからだそうですよ。
2016-01-21 17:56:14@takoyaki_ogre あの人ホントに金に関してあくどいですね。九州役で兵糧を高値で売りつけて暴利を得たという話も、この人なら当然と思うくらいw
2016-01-21 18:01:35徳川家康,結城秀康,ソハヤ,大典太,物吉,南泉他の史料やとうらぶ考察をブログやベッター,まとめに掲載。22時にはネットを離脱。 刀関係はこちら(審神者)→https://t.co/71jZd1ELqN 徳川関係は下のブログに。 まとめ一覧→https://t.co/jwoCo8T77G
『落日の豊臣政権』はアマゾンでポチって土曜着の予定なのだが、『多聞院日記』その他で「豊臣政権は金に汚い」と感じたのは間違いなさそうだな。 となると、前に読んだ本にあった「貿易利益目的で朝鮮出兵した」説も説得力が増したりして…。
2016-01-21 18:43:29RT>これも『多聞院日記』にあった。紀州の材木を売って物凄い利益を上げていた平介は処刑され、彼に紀伊を任せた秀長も秀吉に面目を失う形で罰せられたらしいが、具体的にどう面目を失ったかは不明。 秀長は利益を手にしながら、平介に罪を押し付けて死なせたのかな?
2016-01-21 18:54:58秀吉というか豊臣(羽柴)政権は寺社から恨まれていたのだろうなとは思っていたが、よく考えなくても、秀吉のときに処刑、自害に追い込まれた坊主は結構いるな。
2016-01-21 18:58:15落日の豊臣政権 -秀吉の憂鬱、不穏な京都 :河内 将芳[吉川弘文館] amzn.to/1K1HMZ7 人びとの期待を背負った秀吉の治世とはいかなるものだったのか~政権全盛期の文禄年間の京都に光をあて、社会の実相を描く~ via @AmazonJP
2016-01-23 07:25:28徳川家康,結城秀康,ソハヤ,大典太,物吉,南泉他の史料やとうらぶ考察をブログやベッター,まとめに掲載。22時にはネットを離脱。 刀関係はこちら(審神者)→https://t.co/71jZd1ELqN 徳川関係は下のブログに。 まとめ一覧→https://t.co/jwoCo8T77G
『落日の豊臣政権』まだ途中。『多聞院日記』にあった金貸し捕縛事件の経緯はやはり唐入り(朝鮮出兵)絡みだった。ただ、秀長はがっつり蓄財しているから、奈良人を死なせてまで搾取した分を全て戦のために使ったのではないだろうな。
2016-01-23 10:05:04羽柴秀長が奈良でこれだけやらかしていたのなら、病気になったとき興福寺に祈祷を頼んでも、僧侶達は依頼通りに読経しながら心の中で「寧ろ死ね」と呪詛っていたんじゃなかろうか。
2016-01-23 10:24:24豊臣秀長、 銀英伝・キルヒアイスのモデルという説もあったりなかったりする名補佐役のイメージなのに(笑) twitter.com/1059kanri/stat… @1059kanri @humin625
2016-01-23 11:12:52『落日の豊臣政権』読了。表紙の秀吉の下のあるのは何かと思ったら、これが秀次の妻子を処刑した後、埋めた「畜生塚」なのか。想像以上に大きい。そして、こんなのを作ってしまう秀吉と豊臣(羽柴)政権の不安定さが「よく分かる」と言うよりは、「まあ分かる」本であった。
2016-01-23 16:44:22@a_ri_no_ri 秀吉時代の史料を読んでいて受ける印象とあまり変わらなかったので、内容自体は首肯できるものであった。また、秀吉、秀長、秀次の3名はそれぞれが支配者として「何か足りない」上に相互に「補い合えない」人物たちであったのを確信。
2016-01-23 16:49:33あと、秀吉のやっている経済政策が、金を配る相手は地位の高い者のみ。公共事業やりまくり。消費税20%。その結果、「貧富の格差拡大」ってどこかで見たような…。
2016-01-23 16:56:54秀吉の指示が細かいのは、他の書状でも分かる。こういう風に細かい人は相手が「信用できない」から、そうなるのだろう。ただ、実際、秀吉の弟の秀長も不正をやって処罰されていることからして、家中に信用できないメンツが多かった可能性が…。
2016-01-23 19:02:36秀吉は本能寺の変以降、洛中の「座」の特権は承認をしていたが、それを天正19年に「楽座」にしたのか。これ、特権を有していた人達からの反発はなかったのだろうか?
2016-01-23 19:07:04