「迷惑をかけない人に」->「迷惑をかけてもかけられてもいいや、という関係に」

私たちの親の世代は、子供に迷惑をかけたくない、子供の世話にならないようにしたい、という思いの人が多い。「迷惑回避原理主義」なのだが、人間はどうせ生きているだけで迷惑をかける。ならば、「迷惑をかけてもかけられても構わない」と思い合える関係の方が楽しくないだろうか。
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shinshinohara @ShinShinohara

私の親の世代は「年を取っても子供の世話になりたくない」というポリシーを持っている人が多い。自分たちが親や親族から味わわされた嫌な思いを子供にさせたくない、というのが理由のようで、この世代の共通認識になっているようだ。だから同居を嫌がる人が多い。

2016-01-26 19:03:26
shinshinohara @ShinShinohara

でも、年を取るとけがをしたり病気をしたりして大変。遠いところをわざわざ世話しに行くより同居してくれたらどんなに楽か、という人もいる。嫁姑問題など、同居すると発生する厄介な問題もあって話は簡単ではないが、同居をしないというのを原理主義的に決めているのもどうか、という気がする。

2016-01-26 19:05:46
shinshinohara @ShinShinohara

「子供たちには迷惑をかけない」と決めている親の世代は、どうも「同居すると迷惑をかける」と考えているらしい。そりゃまあ、迷惑は迷惑かもしれない。でも、「迷惑回避原理主義」というのもなんだか釈然としないなあ、と思っていたら、俵万智さんの話に出会った。

2016-01-26 19:08:13
shinshinohara @ShinShinohara

俵万智さんは東京に住んでいた頃、子供には「人様に迷惑をかけない子に」と思って育てていたらしい。石垣島に住むと、なにくれとなく島の人が子供の面倒を見てくれる。「ご迷惑では」と最初は遠慮していたら、島の人は助け合うのが当たり前。 www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2…

2016-01-26 19:11:56
shinshinohara @ShinShinohara

そのうち俵万智さんは考えが変わっていった。「人様に迷惑をかけない子」ではなく「人間生きていたら絶対迷惑をかける。一人では生きていけない、だったらこいつにだったら迷惑かけても、かけられてもいいなと周りの人から思われる、こいつのためだったらまあ一肌脱いてやろうと思われるような人に」。

2016-01-26 19:13:42
shinshinohara @ShinShinohara

私たちの親の世代が、自分の親のことで苦労をしたのは、「親の面倒を見るのは当たり前、親の言うことを聞くのは当たり前」という当時の常識に苦しめられたから。それが親の世代にとってとても「迷惑」だったのだろう。この上なく。だから「子供に迷惑をかけたくない」というポリシーが出来たのだろう。

2016-01-26 19:15:10
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、人間は生きていれば絶対迷惑をかける。迷惑をかけないようにと思っていても迷惑をかける。「お前らの世話になんか絶対なりたくなーい!」なんて言っても迷惑をかける。ならば、俵万智さんの言うように「迷惑をかけても許される人、かけられても構わないと思われる人」の方が良いように思う。

2016-01-26 19:16:58
shinshinohara @ShinShinohara

嫁姑問題というのも、「姑は嫁にこれこれこういう権利がある」「嫁には姑の言うことを黙って聞く義務がある」という「常識」があると、話がよけいにこじれるように思う。その「常識」をタテにとって相手を攻撃したら、そりゃ揉めるわな。迷惑千万だと思う。

2016-01-26 19:18:36
shinshinohara @ShinShinohara

「迷惑をかけても、かけられてもよいと思われる存在」に互いになろうとすることが大切なのではないか。困ったことがあったらお互いさま、助け合おうとする気持ちで接するようにすれば、「迷惑かけてごめんね」と言われても「何言ってるの、お互いさま」と言い合える。

2016-01-26 19:20:29
shinshinohara @ShinShinohara

「自分は誰それに対して、コレコレの文句を言う権利がある」と「外の倫理」を持参して、それを武器に相手を攻撃する、ということを、人間は結構やってしまう。しかし家族の場合、それをやると余計に揉めることが多い。「外」は外。互いに仲良くやれる方法を、互いに一緒に考えることが大切ではないか。

2016-01-26 19:22:35
shinshinohara @ShinShinohara

「私はこんなに頑張った。だからあなたは私を応援する倫理的義務がある」という人がたまにいる。私はそういう人、苦手。「外」から倫理をもってきてそれを盾に、あるいは武器にして「さあ私のために動け」という。嫌ですね。そんなことしたくない。そういう時、私は倫理なんかクソッくらえと言う気分。

2016-01-26 19:25:02
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、私を助ける義務もないのに「困ったときはお互いさま」と手を差し伸べてくれる人がいる。私を応援したらむしろ損になるのにかばってくれる人がいる。そういう人には、理非を超えて今度は私が守りますよ。そういう人に迷惑をかけられてもちっとも迷惑に感じない。むしろお返しするチャンス!

2016-01-26 19:27:19
shinshinohara @ShinShinohara

たぶん「迷惑をかけない」ことよりも、「こいつに迷惑をかけられるんだったらむしろうれしいくらいだ」と互いに思えるようになる方が、よっぽど嬉しいんじゃなかろうか。「迷惑をかけない」は孤独に向かう。ひどく寂しい。寂しいから人に不寛容になりやすい。

2016-01-26 19:29:01
shinshinohara @ShinShinohara

しかし「困ったことがあったらいつでも言って!できることしかしないけどね(笑)」と互いに言い合えたら、どんなに気持ちよいことだろう。「迷惑」をかけられたら「やったー!やっとお返しできるチャンスが巡ってきた!」そう思い合えるのなら、孤独でなんかなくなる。

2016-01-26 19:30:25
shinshinohara @ShinShinohara

親の世代は昔の倫理に縛られ、それによってさんざん「迷惑」を蒙ってきたからか、「羹に懲りてなますを吹く」よろしく、「迷惑に懲りて人づきあいを拒否する」という感がある。でも、「迷惑回避原理主義」は孤独な老人を増やし、子供も当惑する。なんか間違った方に進んでいる気がする。

2016-01-26 19:32:45
shinshinohara @ShinShinohara

「迷惑をかけてもかけられてもいいや、と思える関係」。これを世代を超えて構築できたら、もうちょっと生きやすい社会になるんじゃないか。迷惑をかけないようにしようとか、自立した生き方を、じゃなくて、気持ちよく押しくらまんじゅうしようじゃないか。なんてことを、思考実験的に思う。

2016-01-26 19:34:46