羽根と枕

あるいは何故、武部沙織はゼクシィを愛するようになったか。キャラクター設定捏造、過去捏造注意。 私は冷泉麻子のことを何だと思っているんだ。それはそれとしてショートカットの冷泉麻子は人を殺せると思う。
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里村邦彦 @SaTMRa

やはり枕をひっこぬくシーンからなんですよ。そこが重要なんですよ。

2016-01-26 21:37:27
里村邦彦 @SaTMRa

綺麗に荷造りされた布団から、白い枕をひっこぬく。せっかく世話を焼いてくれた、武部沙織の抗議にはこう答える。枕が変わると眠れない。まったくの嘘というわけではなかった。白く柔らかな羽毛の枕。冷泉麻子の部屋にある、数の少ない贅沢品。たっぷり詰まった水鳥の羽根は、実に心地いいものだった。

2016-01-26 21:41:35
里村邦彦 @SaTMRa

しばらく部屋が静かになった。もう空け渡す部屋だった。学園艦都市大洗は、明日の朝には無人になる。ねえ。口を開いたのは武部沙織だった。みぽりん、なに考えてるかなあ。なんで私にそれを聞く。だって麻子ならわかりそうだもん。なんで。天才は天才を知るってやつ? 無茶を言うな沙織。わかるか。

2016-01-26 21:44:49
里村邦彦 @SaTMRa

浮かんだ言葉のひとかけを、冷泉麻子は飲み込んだ。いきなり無茶に担ぎ出されて、自分の得になるでなし。それでも彼女は、西住みほは、皆を率いて戦い抜いた。戦い抜いて駆け抜けて、道を開いたその先で、すべてご破算と知らされて。そんな気持ちがいったいどうして、冷泉麻子にわかるだろうか。

2016-01-26 21:49:40
里村邦彦 @SaTMRa

それをわかるとするならば、冷泉麻子のことではない。西住みほを知るのはきっと、武部沙織であるはずだ。なぜというなら問うまでもない。武部沙織のかたちはきっと、西住みほのそれと似ている。冷泉麻子とは、似ていない。

2016-01-26 21:53:58
里村邦彦 @SaTMRa

もしも、仮に、仮定の話、冷泉麻子が西住みほと、同じ立場に立たされたなら。冷泉麻子はそのときに。あるいは喜んでしまうだろうから。

2016-01-26 21:57:10
里村邦彦 @SaTMRa

冷泉麻子は万能だった。すらりと高い背、長い手足、駆けっくらをすれば誰より早く速く、問題を解かせれば教師より速く、入った塾は二日で辞めた。興味を持った講師の一人が、試しに与えた高校数学、見る間に答えて見せたからだ。意味がなかった。当然だった。冷泉麻子に不可能はなかった。

2016-01-26 22:01:54
里村邦彦 @SaTMRa

あるいは何より際立ったのは、冷泉麻子のその美貌だった。どんな人形より整って、目鼻立ちは極めて涼やか。短く切った黒髪は、両性具有[アンドログノス]の美を彫り出した。誰がともなく王子と呼んだ。おとぎ話の王子様だ。冷泉麻子と武部沙織は、まだ小学生だった。

2016-01-26 22:06:38
里村邦彦 @SaTMRa

武部沙織はお姫様だった。とはいえ冷泉王子と比べて、一枚どころか格落ちだった。冷泉王子と沙織姫。並んでいたからそう呼ばれた。ふわと柔らかな髪の毛や、穏やかそうな顔立ちは、姫というより侍従に似ていた。冷泉王子と沙織姫は、その当時から仲が良かった。冷泉王子が引きまわしていた。

2016-01-26 22:10:05
里村邦彦 @SaTMRa

武部沙織はその当時、引っ込み思案な小娘だった。それはあるいは冷泉王子が、あまりに活動的だったからか。走り回った。怒られた。木に登っては引っ張りあげた。無理を言い出す教師には、まっこう勝負で口を利く。冷泉王子の冒険に、連れ回される役回りだった。王子の冒険、その最後まで。

2016-01-26 22:14:41
里村邦彦 @SaTMRa

無敵の冷泉王子にも、たった一つの苦手があった。王子の親は王様か、そうでなければ王妃様。冷泉王子の天才ほどに、輝くものはないけれど、それでも確かな力があった。今に思えばそこにはきっと、あまりに陳腐な言葉が一つ、支えになっていたはずだ。己の娘が怖かった。或いはそうだったかもしれない。

2016-01-26 22:18:09
里村邦彦 @SaTMRa

それでも王子と向きあおうとした。そこに何かがあったのだ。冷泉麻子はわからない。それでも今はそう思う。王子の冒険、そのおしまいは、いつでも王妃のお小言だった。何度も何度も怒られて、冷泉王子は立腹だった。沙織姫の見るその前で、腹の底から怒りを吐いた。

2016-01-26 22:20:36
里村邦彦 @SaTMRa

おかあさんなんて、しんでしまえ!

2016-01-26 22:21:05
里村邦彦 @SaTMRa

冷泉王子は万能だった。たしかに不可能などはなかった。冷泉王子の命じたとおり、不遜な王妃は命を落とした。命じた言葉は効きすぎた。王妃ばかりか王様も、交通事故の断頭で、冷泉王子はひとりになった。冷泉麻子はひとりになった。冷泉麻子はひとりきりだった。冷泉麻子は眠れなくなった。

2016-01-26 22:23:32
里村邦彦 @SaTMRa

”おばあ”に引き取られるより前、冷泉麻子はひとりきり、居残っていることが多くなった。"おばあ"は当時から体が悪く、すぐには麻子を引き取れなかった。自然麻子は腫れ物のように、知り合いの家に預けられた。家に帰ろうとは思わなかった。とてもそうとは思えなかった。冷泉麻子はひとりきりだ。

2016-01-26 22:26:53
里村邦彦 @SaTMRa

それでもやってくるものがいた。はじめは戸惑い、慌てて見せて、怯えて泣いて怒って手を引き、それでも頑として動かない麻子を、どうにかしようとしたものがいた。武部沙織がそうだった。冷泉麻子はとうとういった。沙織、私をほっといてくれ。わたしはおかあさんにひどいことをしたんだ。わたしは。

2016-01-26 22:28:26
里村邦彦 @SaTMRa

武部沙織は悩んだようだ。必死になって考え尽くした。少なくともそのようだった。そしてとうとう答えを見つけた。武部沙織は冷泉麻子に、大きな声でこう言った。私が、麻子の、おかあさんになってあげる!

2016-01-26 22:30:37
里村邦彦 @SaTMRa

いかにも麻子はその通り、母の姿を求めていた。おかあさんがまた欲しかった。武部沙織はまさにその、願いを叶えようとする。冷泉麻子は怖くなった。自分の中に住み着いた、自分の背中に生まれつく、かがやけるものがこわかった。冷泉麻子の言葉は、願いは、こうしてまた叶おうとしている。

2016-01-26 22:33:06
里村邦彦 @SaTMRa

冷泉麻子は髪を伸ばし始めた。冷泉麻子は目を伏せるようになった。冷泉麻子は半ば努めて、奇矯な言葉を選ぶようになった。冷泉麻子は人を遠ざけた。冷泉麻子は自分から、どこかへ行こうとするのを止めた。冷泉王子はもういない。お姫様など望むべくもない。冷泉麻子はその日から、一切合切を諦めた。

2016-01-26 22:36:24
里村邦彦 @SaTMRa

まず背が伸びなくなった。周りに比べて小柄になった。ぐんぐんと大人になる皆の中、冷泉麻子は小人のままだ。それでも体は時を経て、ある日、はじめての月経を迎えた。体質は変わり、血圧は落ち、極端に朝に弱くなった。演技ではない。体が毀れた。眠れなかった日の代価かもしれない。それがよかった。

2016-01-26 22:38:42
里村邦彦 @SaTMRa

できないことが増えてゆく。冷泉麻子が壊れてゆく。あるいはこのまま見捨てられ、"おばあ"がいなくなったあと、眠るように死ねるかもしれない。"おばあ"に心配を掛けたくはない。それでもむしょうに嬉しかった。できないことが増えていく、何もかもが失われていく、それが嬉しくて仕方がなかった。

2016-01-26 22:41:20
里村邦彦 @SaTMRa

それが変わったのはほんのすこし前。西住みほがやってきて、大洗が動き出したあの日からだ。冷泉麻子も巻き込まれた。大洗戦車道チーム、気付けば欠かせない一人となっていた。万能もない。頼られていた。皆から信じられていた。変梃な仲間たちの中、冷泉麻子はどうやら笑える。武部沙織もそこにいた。

2016-01-26 22:44:08
里村邦彦 @SaTMRa

いまでも。いつでも。最初から。武部沙織はそこにいた。布団をかぶって引きこもる、毀れてしまった冷泉麻子を、どこかへ引っ張りだそうとしていた。冷泉麻子がいつの日か、武部沙織に望んだように。冷泉麻子が武部沙織に、そうは望まなかったように。武部沙織は麻子の為、自分でできることをしていた。

2016-01-26 22:46:43
里村邦彦 @SaTMRa

羽毛の詰まった枕を抱きしめ、冷泉麻子はようやく答えた。直接聞いてみたらどうだ。あ、いいね、みぽりん部屋かな。ほんとにやるのか沙織。もちろん。部屋か、さあ、学校かもしれない。武部沙織は相変わらずだ。誰かのために声を上げて、無駄でもとにかく動こうとする。華たちにも連絡しよ。するのか。

2016-01-26 22:51:15
里村邦彦 @SaTMRa

誰かのために、願いに答えて、がむしゃらに動けるというのなら。きっと西住みほの姿は、諦めたがりの私ではなくて、武部沙織とよく似ている。そう告げるかどうか迷ったすえに、冷泉麻子はその言葉を、しまいこんでおくことにした。このことをいま知っているのは、私一人で十分だ。

2016-01-26 22:53:45