近世日本の、中華への憧れ~それがいつから「日本は中国より上」になったか?

水戸黄門の「黄門」も、中国風に官職を言い直した言葉だそうですね。 「部長よりリーダーディレクターというようなもんか」という冗談から、戦国~江戸期の、中国への憧れ…と、その後「日本こそが最高!」になっていったのはいつなのだろうか、という二つのテーマをちょっとつなげています。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
資料 ウィキペディアより 【水戸黄門の名は、光圀が徳川御三家の一統である水戸藩の藩主であり、武家官位として権中納言を名乗っていたことから、「徳川光圀」と直言することを避けるために、藩名である「水戸」と、中納言の唐名である「黄門」をとって広く用いられていた別称である。】
すんすけ @tyuusyo

江戸時代のことをよくツイートします。本業はweb技術者兼ウェブ広告ディレクター。いよいよ40に近くなってきた。先祖は平家。徳川幕臣の子孫。リツイート多め。リツイートは必ずしも賛同を意味しません。返信が多いので全てのリプにご返信できないので恐縮ですがよろしくお願いします。

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すんすけ @tyuusyo
なんで戦国武将が書状で唐名を使いたがるのか今ひとつ謎なのだが、やっぱり「部長」「課長」よりリーダー・ディレクターとか名乗るほうが格好いいみたいな価値観なんだろうか…
すんすけ @tyuusyo
前にツイートした戦国武将の唐名好きの件、江戸時代でもあったみたいで、江戸時代の人が、家老を参政とか呼ぶなよ!ここは中国じゃねえんだゴルァとかキレてる
すんすけ @tyuusyo
意識高い系武将が唐名をつかいまくる問題、わりと根深いかもな
すんすけ @tyuusyo
一番ヤバイ意識高い系、多分大友宗麟大先生かもな
ののまる @nonomaru116
@tyuusyo 日本での慕華指向、なにげに江戸時代が一番強いんじゃないかと思ったり。普段から中国風の名前を名乗っている人結構いますしw
すんすけ @tyuusyo
@nonomaru116 そうかもしれませんね…頼山陽の詩を最近読んでるんですがなんか日本の話なのに中国みたいなんですよね…
ののまる @nonomaru116

異国でだらんとしているおっさんです。TLを自分の手に負える規模にしておきたいので、基本フォロー返しはしません。 ※訪問販売鼠講詐欺宗教勧誘劣等自慢ファボ爆相互フォロー押付等一切お断り

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ののまる @nonomaru116
@tyuusyo そもそも頼山陽の先祖は備後国竹原の頼兼ってところの出身で(先祖の岡崎頼兼にちなんでいるともいう)、商家としての初代が「頼兼屋」という屋号で商売やっていたのを、山陽の先先代あたりで中国風に「頼」という姓にしたとかなんとか。
変脳コイル猫 @ROCKY_Eto
@nonomaru116 @tyuusyo 父の会社の同僚に頼山陽の直系子孫と言う人が居たそうです。祖先自慢が鼻持ちならないと、父は嫌っていたようですが。
ののまる @nonomaru116
@ROCKY_Eto @tyuusyo うちの業界だとお茶大の教授だった頼惟勤先生って方がいらっしゃって……人柄等は存じ上げないのですが、何がめんどくさいって「惟勤」で「つとむ」と読ませるお名前……「惟」の字の立場は!?
ののまる @nonomaru116
いま気づいたが頼惟勤の「惟」って、頼春水の諱の「惟完」に因んでいる(通字と言えるかは微妙)んだろうけど、そうなると先祖とのつながりを示すためだけに入っている字なのか……。
ののまる @nonomaru116
中国風の姓で思い出したけど、朝鮮の「朴」姓、もともと固有語の박pak(瓢)や밝park(明)に因んでいるとされるので、英語だとParkって綴ったり、中国だと「朴」の音pòじゃなくて「瓢」の音のpiáoと読んだりするんだよな。
すんすけ @tyuusyo
頼兼屋→頼というのもすごい… 宮城谷昌光は宮城屋らしいのですが、だとすると「宮」が姓になるのか… twitter.com/nonomaru116/st…
ののまる @nonomaru116
@tyuusyo まぁ藤原を藤と略したり菅原を菅大江を江とする伝でしょうけど、江戸時代はそういうの多いですから……菅波太仲が菅茶山とか、藤原貞幹が藤貞幹とか、中国風の名前名乗った文人墨客が多くてw
すんすけ @tyuusyo
@nonomaru116 藤貞幹は一時期本当に「何だこの人?」とよく分かんなかったですw単純に「藤原貞幹」なんですねw
すんすけ @tyuusyo
そういえば真田昌幸も真房州とか略すよな。真田幸綱が比叡山で修行しているらしいし、真田家も唐風なんだろうか
ののまる @nonomaru116
@tyuusyo 日野家の庶流だそうで。本姓藤井とか間違われたこともあるそうですw
すんすけ @tyuusyo
@nonomaru116 江戸時代にストレートに「藤原」を名乗るのも逆に珍しいですよねw

第二部

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ふぎさやか @maomaoshitai

敵を暗殺した後に飲む茶もまた格別・・・

ふぎさやか @maomaoshitai
「中国はよく王朝が変わってしまうが日本はずっと天皇がいる、つまり日本こそが儒学を真に継承している中華なのだ」という妄想はもう江戸時代の国学者から主張しているのでまあ。他国発祥のものでもその相手を腐すことで自分たちこそ正統だと言うのですから立派なものです。
ふぎさやか @maomaoshitai
「中国は焚書坑儒の国なので既に古代の偉大な文化は死滅している。本当のその文化の継承者は日本なのである」と文化大革命を根拠に中国の文化と歴史は断絶したと言い切っている人がいた時にはまあ呆れました。江戸時代の国学者がそっくりそのまま現代に蘇ったかのようで。
ふぎさやか @maomaoshitai
李氏朝鮮の儒学者が「朝鮮こそが中華である。東夷とは倭のことだ」と主張していた頃に、日本の儒学者が「日本こそが中華である。東夷とは蝦夷のことだ」と主張していたのは面白いです。あの頃の朝鮮と日本の儒者の自国自慢の論法は非常に似通っています。中華コンプレックスの塊です。
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コメント

マクガン @Makugan32 2016年1月27日
単純に考えれば、日清戦争後じゃないでしょうか?
言葉使い @tennteke 2016年1月27日
別に日本が中華文明を継承しているとは思ってないけど、三大奇書の二次創作なんて中国にも山ほどあったのに、今はどこに行っちゃったのか。あるいは今でもあるけど日本に伝わってないだけなのか。>>文化大革命を根拠に中国の文化と歴史は断絶したと言い切っている人がいた時にはまあ呆れました
nekosencho @Neko_Sencho 2016年1月27日
おいらの先生で、日中戦争で戦ってた人がいるんだけど、もう中国人を下に見る兵隊ばかりだったって言ってましたね。本人は漢文などにも親しんでる人だったので、三国志などの武将の例をあげて中国人を侮るなみたいな話をしたそうですが(一応部下がいる立場だったらしい、階級聞いてないw)
言葉使い @tennteke 2016年1月27日
日本人が歴代中国王朝に憧れているのなら、「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」に煬帝が激怒したのは、この世に一人しかいない天子を自称したことに怒ったのであって、日が昇るも沈むも怒るに値せずって解説はもっと広まっているはず。
Halfricesetitsmore @Halfriceset 2016年1月27日
京都の「中書島」という地名を思い出した。屋敷構えた脇坂氏の職名たる中務少輔をわざわざ唐名の「中書」に呼び変えた事で定着した地名。
シュガー市民@黄泉の国のマルキスト @SugarCivil 2016年1月27日
大日本帝国とかほんと中華帝国そのもの。「アジアの盟主」が清から日本へ革命したんですね。
言葉使い @tennteke 2016年1月27日
研究して詳しい人大勢いるだろうけど、自浄作用がある集団の方が上って感覚がないかしら?法よりも身内の掟を優先するとか、主導権争いで勝っても現実に負けたら見る目の無い者の集まりとpgrされるとか。だから明治維新を成功させた日本がアヘン戦争から辛亥革命まで解決できなかった中国を下に見るようになって。究極の結果主義というか。
深井龍一郎 @rfukai 2016年1月27日
清は阿片戦争の前くらいまでは「眠れる獅子」として過大評価されていたので、その虚像が崩れた後に反動として過小評価する流れはあったんじゃなかろうか。
秋田明夫 @diediedie1919 2016年1月27日
憧れすぎた結果欧米にやられたまんまで改革もできない中国にほとほと失望したんだろうなぁ、でその勢いのまま… 今はアメリカが飼い主だし、中国は中国で日本のこと見下してるから関係修復は当分先だとは思う 人間両方見下しあいだしたらなかなか大変よ
G@回転中 @G_rolling 2016年1月27日
ちょっと前に古書店で「昭和初期に出された、兵隊に中国語を教える本」を入手したのですが、文例がひどすぎて笑うに笑えなかった。なんというか、基本が横柄で命令口調。まあ、それは日本人が中国人に対する態度というより、兵隊が民間人に対する態度だったのかもしれませんけれど。
Hoehoe @baisetusai 2016年1月27日
関ヶ原あたりの軍記物よんでると安芸宰相殿、とか宰相ぽこじゃか出てくるんだけど中国人からすると「この朝廷、宰相何人いるんだよ?宰相より偉いやついるけど相国かなんかかよ」って思うんじゃないかなあ
エブリタイム鈍行かりん @AnjuIrodori 2016年1月27日
なるほどねー。勉強になりますね。
kou @kou1773585 2016年1月27日
日本は冊封体制から早々に足を洗ってたからね。中華思想にどっぷり浸かった学者もいたけど、程々に距離を保ってたのは正解だと思うよ。
文里 @wenly_m 2016年1月27日
baisetusai 当時大陸を治めていた明王朝だともうそういう名称では無かったはず。まあ、王朝ごとに色々名称は変わるしね。
Hoehoe @baisetusai 2016年1月27日
wenly_m なるほどー。清朝だと軍機処だとか内閣だとかになっちゃいますしね
きゃっつ(Kats)⊿1/19日向坂京都個別 @grayengineer 2016年1月27日
アヘン戦争以後だと思います。阿蘭陀通詞を通してその辺の事情は伝わっていたようで、幕末維新期の攘夷思想にも「日本はああはなりたくない」という思いが働いた部分もあったようです。
hararitto @sseg14 2016年1月27日
ここでも色々な角度から考えられていますが、そういった精神史的問題ではなくて、もっと単純に近世日本が少しづつ経済成長を続けた結果、中国を生活面で上回っていた可能性はないでしょうか? 荒俣宏の対談本で読んだ記憶ですが、当時、博物学関係者で日中を訪問したヨーロッパ人の著作を読むと、中国の評価が辛くて、日本の評価が大変高いと。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
それまでもずっと中国を見下す論理を持っており、それらが全て合体したような印象を受けます。 古代においては、律令制をその世界観と共に導入したので、国内に向けては、自分たちの方が唐より上だと主張しています。小中華思想です。そのせいで外交問題が発生したりもしています。 唐が仏教を弾圧すると、日本では仏教は東に進む毎に進歩してきたのだ、天竺や唐で仏教が廃れた今、日本は一番仏教を国をあげて盛り上げているのだ、だから王法においても仏法においても他国より優れているのだという考えが生まれます。
Hoehoe @baisetusai 2016年1月28日
唐風文化のあとに国風文化が来た理由はどう説明なさるんでしょうか
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
また宋史に日本を万世一系と称えている箇所があります。誉められたということは当時の日本にすぐ伝わったようです。 最も強烈な優越感をもたらしたのは中世の神風と神国日本の考えだと思います。この考えは室町時代に入っても再生産されています。 後は豊臣秀吉が中国を文人の国と見下してますね。 江戸時代の学者の影響はどの程度か、私は全く知識がありません。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
ただ江戸時代の日本地図は、日本列島を龍が囲んで結界をはって守っているという図だったことを覚えています。そして龍の外側は化外の地です。上にあげた考えが全てミックスされている気がします。 明治に入ると、国際法を守り、近代的な考えかたをする日本と旧態依然国際法を守らない中国という対比が生まれます。 しかし江戸時代の蔑視感からこの蔑視感に移る前に、李氏朝鮮と、外交主体が将軍(大君)から天皇に変わったことによるトラブルが発生しています。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
これなどは律令制だった頃の日本と新羅みたいで面白いですね。東アジアの国際秩序は日本のナショナリズムととっても相性が悪いんでしょう。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2016年1月28日
律令制時代は中国から天然痘やマラリアも輸入してしまったので、藤原四兄弟(藤原四家の始祖)をはじめ政治の要職にあった人が次々に亡くなって、形式ばった中国風の儀式を維持できなくなり、国風文化への移行を推し進めることになったと言うわけです。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
baisetusai 「古代日本の、中華への憧れ」がなぜ無くなったかということですか? 行政面での憧れは無くなります。しかし文化面での憧れが無くなりそれによって国風文化が生まれたというわけではなさそうです(すいません、国風文化は詳しくありません)。 行政面の憧れが無くなった理由は、894年頃にはすでに荘園があちこちにでき、国司のノルマ分の税金の未納が発生するようになっていました。遣唐使廃止の理由の一つは財政難でしょう。また長い期間をへて律令制自体が現実的ではないことがわかり始めました。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
baisetusai まず収税。どこかへ逃げてしまう人毎ではなく、土地ごとに税金を集めるようになりはじめます。裕福で土地を持ってる農民が税の徴収対象です。またその前から徴兵による軍団兵士制が廃止され地方有力者の子弟による少数精鋭の健児制がはじまります。貴族内や、中央と地方で主従関係が生まれ、天皇以下は皆臣であるという律令制下での建前もなくなっていきます。こんな状態で政治制度を勉強しにいってもといったところでしょう。
オオエ @Kate58O 2016年1月28日
baisetusai しかし文化面での憧れがなくなったわけではありません。その後の文化交流は密航僧とそれを支援する新羅・渤海商人によって支えられます。仏教だけでなく文学作品も日本にやってきます。『源氏物語』の光源氏の愛読書である『白氏文集』は当時の貴族からの人気がとても高かったそうです。和歌にも影響があるとか。 ともかく遣唐使の廃止=国風文化の発生ではないということが言いたいんですよ。国風文化が発生したのは、荘園を抱え栄華を極める貴族がそのパトロンとなったからではないでしょうか。
永沢壱朗 @Nichilaw 2016年1月28日
今の意識高い系が、何でもかんでも英語にするのと一緒でしょ。やまとことば以外に通じてた方がかっこいい的な。
こぎつね @KogituneJPN 2016年1月29日
当時は教養とは漢籍を嗜むことだったんで覚えた言葉を使いたがるのは人間普通のことですわな。知らない人からは鼻持ちならない態度ととられるので気をつけないといけないことですが
巫俊(ふしゅん) @fushunia 2016年2月2日
出てない話だと、「やまと言葉は文章が長くなる」。文字制限があるツイッターだと、なるべく漢字言葉で字数を短縮して、ときどき、わざとひらがなで目立つようにしたりします。日本語は北方系と南方系の合成言語(クレオール)で、海の民のカタコト会話語だったらしいので、元が単純で、その分、長くなります。あと、『宋史』日本伝で万世一系を讃えているのは、中国も楚漢時代までは万世一系の系図の楚王家などがあって、系図をつくっていたからです(戦国時代の遺跡から近年出土した『楚居』や、漢代の『帝繋姓』など)。
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