大戦中フィリピンは反日抗日だった

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比島方面作戦経過の概要
昭和三十二年五月調製
引揚援護局

第一 比島の一般状況に就て
・・・比島人はスペイン統治三百年、アメリカ統治六十年の結果西欧文明就中アメリカ物質文化の影響を可成り強く受けてゐる、白人特にスペイン人とのミステーサが多く政治家、財界人等比島の有力者中その過半数は多少の差はあれ何れも白人の血を受けてゐると云って過言でない。一般に白人崇拝の念強く形式的アメリカ模倣が旺んで義務心を伴はぬ権利のみを主張する事多く其の考へは功利的で又感情が強い。

第二 比島作戦の特質
二 現地住民は終始反日抗日的であった
比島人の対白人感情に就ては既述の通りであって比島住民の大部は日本軍の比島占領以后に於ても終始反日的感情を抱懐してゐたものの様である。これが為比島に於ける米軍の諜報、謀略活動は極めて容易であって比島と比島外米軍との無線連絡は日本軍占領下に於て数次の討伐にも拘はらず絶えず行はれ、又我が方の単独若くは少数兵に対する殺害、襲撃事件等は随所に発生し車輌の運行妨害多く特に作戦末期頃においてはゲリラ活動スパイ活動は其の頂点に達し我が作戦に齟齬蹉跌を来した事は誠に甚大なものがあった。
「レイテ」島作戦兵団中に生還者の僅少なのは全くこれ等「ゲリラ」部隊の活動に依り傷病者に至る迄総て殺害せられるに至った結果に外ならない

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比島方面作戦経過の概要


「極秘」印
比憲高第一五〇号 昭和一九、三、六
比島憲兵隊本部
(カバナツアン憲兵分隊報)
情報
時局問題に対する「カバナツアン」地方民心の動向
一、要旨
カバナツアン憲兵分隊に於ては女学校生徒二百余名に対し憲兵干与を秘匿し仝校邦人教師をして無記名にて所感文を徴せしめ対時局動向を観察せるが
米軍の再来を希求妄信しあるもの 六〇
現実の苦難は戦争のためなりとし日本軍を呪咀〔ママ〕するが如きもの 三〇%
●日本軍の真意を理解し大東亜民族としての自覚に徹しありと認めらるゝもの 一〇%
等にして一般民情を窺知せらるゝと共に将来の施策上好個の資料たりと認めらる

二、主なる所感文内容
●何故東洋人が此処に来たか 彼等が来ない前は幸福であり「ゲリラ」も居なかった、日本軍が比島を独立さしたが喜んで居るものは少ない、我々は日本を期待出来ない
●黄色人種でなく我々は他の人種の来るを待っている
●日本軍は「ハイスクール」から他へ移って貰らいたい、又真に我々の事を思って呉れるなら風雨や暑さから救われるように一日も早く「ハイスクール」を開けて貰らいたい又日本人は女性を卑下する傾向がある吾々は只米軍の来ることを期待するのみ
●戦争は我々を不幸にした我々は三ヶ年も苦しみ今尚苦しんでいる何故か?住民の中には一日の食事も充分に摂って居らないものが沢山居る・・・・
物価は日一日と昂騰する何故其の様になるか?
月給取が四十円やご受援でどうして家族を養って行くことが出来るか、お前達は此の残忍悪辣なものを知っているか
●今年中に戦争が終らないと物価は益々高くなるし我々は餓死するばかりだ私も「ゲリラ」になりたい、そして日本軍と戦争したい、そうすれば日本も軈て「スペイン」の様になるだろう
●比島は日本より独立を与へられたが此の独立は永いことはないと思ふ
●戦前は自由な生活で書物等も如何なるものでも読むことが出来た戦前の生活に一日も早く帰へりたい
●日本人は女性を卑下するが比島の習慣は男女を尊敬せねばならぬ比島では一家の男子は統治者で婦人は女皇である
「スペイン」は此の習慣に反したので比人が反抗した
●日本軍は言葉が判らぬため罪なき人を殺したり又比人の顔を平手打をしたりした 日本軍は「ビール」を呑んで歩き娘に出会ふと肩に手をかけて冗談をする、日本軍ならこそ我慢をする
●日本軍は我々の校舎を奪った早く返して欲しい、そしたら協力する
●我々は現在生活上経済的に精神的に最も苦しい難関に逢着しているそれは誰のためで又どうしてか、日本人の来島に依り違った風習が比島人に与へられた悪影響は恐ろしい
●亜米利加は我々に享楽と怠惰を教へた日本は我々に勤労と大東亜民族の自覚とを教へた日本は東洋の母である
我々は始めて産業発展の重要性と勤労の尊さを知った
●日本人は生活様式及風習、歴史、舞踊等を我々に教へて貰らひたい
斯くすることに依って日比両国の間柄は益々緊密化するものと信ずる

三、其の他参考事項
1、最近の戦況及「マニラ」方面に於ける防空諸施設の整備等により近々米軍来襲せんとの臆測を有するもの大部にして日本の苦戦は軈て米国の勝利なるべしとの感を抱くもの尠からざるものあるを窺知せらる
2、中等学生中には邦人教師に対し日本の政治形態及天皇とは如何なるものなりや、自爆自刃の意義を質問する等其の都度説明しあるが一般に了解し得ざるものゝ如しと(了)

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パラワン憲兵分隊 警務書類綴 昭19年


昭和十七年十二月二十日
「ラユニオン」州粛清工作の教訓
西地区警備隊 本部

第一、「ラユニオン」州対日抗戦組織の特性
「ラユニオン」州対日抗戦組織の主要なる特性左の如し
一、匪民合一
「ラユニオン」州に於ける抗戦組織の中核は「バーネット」の統率せし米比極東軍歩兵第百二十一連隊にして
1、我討伐並に宣伝宣撫の徹底を欠きしと
2、之に乗ずる敵匪が対民衆宣伝の滲透に成功せ(?)んとに依り親米思想深く透徹しありて米国心酔の迷夢覚めず皇軍の武力を過少に評価し米軍再攻を信じ州知事「カマチョ」以下各町村長を始め全州娄〔ママ〕く「バーネット」匪に加担し匪官民合一しあり
之がため情報の蒐集は極めて困難なる状況にありて陰に匪勢猖獗を極むと雖〔原文「口+虫」〕も外観極めて平穏を装へり。即「バーネット」は此の潜在性を利用して我警備兵力の減少を待ち蠢動を企図しありたり。

第三「ラユニオン州粛清状況(十月初旬以降)
其の二 各時期に於ける粛清状況
一、第一期(十月初旬)
1、討伐状況
イ、北部「ラユニオン」州討伐(自十月二日至十月五日)
ロ、南部「ラユニオン」州討伐(自十月七日至十月十二日)
ハ、右討伐は我断乎たる態度を以て極めて峻厳に実施し通匪行為者の一刀両断兵匪の家屋の焼却等を敢行し当時殆ど通匪しありし全住民をして震撼せしめ以て匪民分離の第一歩を踏み出さしめたり。

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レファレンスコードC14020725300(3・4・20枚目)
匪首捕獲の参考 S17.12.25