渡邊芳之先生ynabe39の「ほんとにみんな「他人の表現の自由」が嫌いなんだなあというのが実感である。」
千の風になって。
北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
表現の自由は「絶対的なもの」だという意見と、表現の自由を守るために表現者は自制して「悪質な表現」を控えるべきだという意見が同じ人の口から出る不思議。
2016-02-01 03:43:51ほんとにあっという間に「表現の自由は世間や人様にあまり迷惑や不快を与えない範囲のものだけに認められる」ということにまとまってしまった。2年くらい前にはまだそこのところにたくさん議論があったと思う。
2016-02-01 03:47:15言いかえれば、他人の表現の自由とか言論の自由とかの「優先順位」は自分が気持ちよく過ごすことの価値に比べたらずいぶん低いということが「もともとそういうものじゃん」という感じで開き直られてしまったという感じ。
2016-02-01 03:51:33他のことでも「そんなこと言ってもみんな本音のところではこうじゃん」というのがどんどん正義になってしまう。自由なんてもともとやせがまんだったのだと思う。
2016-02-01 03:56:07もともと他人の自由というのは不快で恐ろしいものだ、というのは何年も前からここで言っているけれども、その時は「理念の話」としてそれに同意したであろう人でも、その不快や恐怖を目の前にしたらそんなことは言っていられなくなる。
2016-02-01 04:06:42そこで「そんなこと言っていられないでしょう」と言わない、というのがつまりやせがまんなのだけれども、そのやせがまんができる力も余裕もなくなったし、やせがまんできる境遇にある「恵まれた人」が減ったのだろうとも思う。
2016-02-01 04:08:49そこのところで表現の自由に範囲を設定してその中だけは自由にすることで「表現の自由は完全に守られている」「守られていないものはもともと表現の自由ではない」というのはズルだ、というのも何年も言っている。
2016-02-01 04:15:17これは制限しちゃいけない、という意味ではなくて、制限しているんだから制限しているとちゃんと意識すべきだ、という意味。表現の自由は絶対だ、という価値と不快な表現は制限したいということを両立させるために表現の自由自体の範囲を小さくしちゃうのはズルだ、という話。
2016-02-01 04:18:00表現の自由を聖化することがかえって表現の自由の範囲を小さくする、という意味では一見まったく反対の主張と結論は同じ。表現の自由というのは「神聖な権利」などではなくごく実利的な取り決めであったはずだと思う。
2016-02-01 04:21:02「表現の自由の聖化」と「他人の自由なんて不快なだけ」との間に現実的な落とし所は常にあるはずだしそれをズルしないでちゃんとネゴシエーションしようよ、というのも何年も前から同じ。
2016-02-01 04:24:01いろんなことが「まあそんなこと言ってもだいたいみんなこう思うしそれが普通のところでしょ」という「人の道」に収斂されてきたと思う。人の道と「自由」はもともと相性が悪い。
2016-02-01 04:31:24「こんなのは単なる犯罪であって表現の自由とは関係ない、だからそれを制限するのは表現の自由の制限ではない」というのは「ズル」。そういうことも明らかに表現の自由の範疇であることは認めたうえで、われわれはどのような表現をどのように制限しうるのかを話すべき。
2016-02-01 04:34:59これも繰り返しになるけど、自分はヘイトスピーチも表現の自由の範疇だと思うが、現状では制限されるべきだと思う。ヘイトスピーチの規制ではそこで行われるのが憲法で保障された表現の自由の規制であるからこそ、規制は最小限で慎重であるべきだと思う。
2016-02-01 04:38:16これを「ヘイトスピーチなど表現の自由でもなんでもないからいくら規制してもよい」と言って表現の自由の聖化と両立させちゃうのは「ズル」。ヘイトスピーチ規制を認めるなら表現の自由の聖化もやめるべき。
2016-02-01 04:40:06表現の自由の制限が社会的な同意と法に基づいて最小限に行われるのは現状から見て仕方がないと思うが、同じことを「そんなの表現の自由ではない」というロジックで実現しようとするのはズルだし、その「そんなの表現の自由ではない」の範囲が無制限に広がる危険があるので反対。
2016-02-01 04:43:07@ynabe39 そうそう、「ズルい」ということよりも、その「線引き」が恣意性を必ず伴うこと(=無制限に広がる可能性)だったり、「表現の自由でないヘイトスピーチ」の定義がトートロジカルにならざるを得ない、辺りの点の方が私は気になりますね。
2016-02-01 04:45:54現実に左側がずっと便利に使ってきた表現の自由の聖化のロジックが右側に乗っ取られてヘイトスピーチの擁護に使われてる現実を見たら少し考えるのがまともな頭だろうとは思います。
2016-02-01 04:56:24