2016年2月1日

丸島和洋先生による「戦国時代の名前」解説 「出世魚のようなものと思って下さい。社会的身分が変わると、呼び名が変化」

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丸島和洋 @kazumaru_cf

日本中世史、戦国時代の研究者です。大河ドラマ「真田丸」時代考証。このアカウントは、告知を目的としたものですので、リプをいただいても御返事はしない場合があります。ご容赦ください。特に、大河ドラマの本編の内容については、このアカウントで呟く予定はありません。適宜、HPでフォローします。

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丸島和洋 @kazumaru_cf

戦国時代の名前について。近世以前の人の名前は、特に男性の場合、複数のパーツで構成されています。非常にややこしいのですが、出世魚のようなものと思って下さい。社会的身分が変わると、呼び名が変化するのです。

2016-02-01 17:07:38
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf まず、姓から。武田・真田・織田というものは、本来の姓ではありません。本姓は「氏(うじ)」と呼ばれるもので、源氏・平氏・藤原氏・立花氏に代表されます。甲斐源氏たる武田氏は「源(みなもと)」、真田氏の場合は「滋野(しげの)」です。

2016-02-01 17:09:28
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf これが中世に入っていって、個々の「家」が成立してくると、自分の住んでいる土地の名前などを名乗るようになります。これが「苗字(名字)」です。例えば摂関家を五摂家といいますが、藤原氏が鎌倉時代に近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家に分かれます。

2016-02-01 17:12:04
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf それで名前のほうですが、まず生まれると幼名(ようみょう、童名=わらわな)が付けられます。武田信玄なら勝千代、徳川家康なら竹千代、伊達政宗なら梵天丸、真田信繁なら弁丸です。女性も幼名がつけられます。どう

2016-02-01 17:13:48
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 女性の幼名の場合は、ひらがな二文字の場合が多いような印象があります。漢字で書く場合もありますが。

2016-02-01 17:14:33
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 15歳くらいになると、男子は元服することになります。成人式ですね。この時、実名(じつみょう、諱=いみな)と仮名(けみょう)が付けられます。仮名というのは、実名を直接呼ぶことが失礼なので(諱=いみな=忌名)、日常的に使われる呼び名です。太郎とか次郎がこれ。

2016-02-01 17:17:45
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf いっぽう、実名は基本的に漢字二文字で構成され、その一族が代々使う一字が入ることが多いです。渡辺党・松浦党のよう一字名を名乗る家もありますが。そしてその際、身分の高い人から名前の一字を拝領することがあります。これを偏諱(へんき・かたいみな)といいます。

2016-02-01 17:18:38
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 武田信玄の場合、実名「晴信」は、将軍足利義晴からもらった「晴」字と、武田家が代々用いる通字(つうじ・とおりじ)「信」の組み合わせです。信玄嫡男義信は、将軍足利義輝から足利将軍家通字「義」をもらっています。このことは、武田家の家格があがった事を意味します。

2016-02-01 17:21:08
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 南北朝頃までは、名前は烏帽子親から一字をもらうことが多く、かつ名前の下につけることがあったのですが、戦国時代には貰った一字は実名の上につけることが基本でした。そしてこの拝領した字は、他人に与えることができません。失礼にあたるからです。

2016-02-01 17:22:03
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf このため武田信玄は、「晴」字を家臣に与えることができず、通字「信」を与えるほどの立場には無い家臣には、武田家中興の祖である曾祖父信昌の「昌」字を与えました。真田昌幸の「昌」がこれです。

2016-02-01 17:24:14
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 真田家の場合、嫡男である信綱・信幸は「信」字をもらい、次男以下である昌輝・昌幸・昌春(真田信尹のこと、ドラマでは混乱を避けるために最後の名前で統一しています)には「昌」字をもらったわけです。じゃあ次男の信繁は?これは武田滅亡後の元服だからです。

2016-02-01 17:25:52
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 主家が滅亡したら、事情が変わってくるということです。昌幸も武田家滅亡後は、「昌」字を家臣に与えるようになりました。逆の事例が徳川家康で、今川義元からもらった「元」字を捨てて元康から家康に改名することで、今川家からの独立を宣言したわけです。

2016-02-01 17:27:45
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf こういう事情がありますから、中近世の人の名前は似たような名前がごろごろでるわけです。ただ、実名をみると、だいたい世代がわかるという利点もあります。

2016-02-01 17:28:43
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf さて、元服したら仮名をつけるといいました。真田昌幸の源五郎、信幸の源三郎、信繁(と信尹)の源次郎がこれにあたります。武田信玄なら太郎、伊達政宗なら藤次郎ですね。ただ、いつまでもこのままでいると格好悪いというようになっていきます。

2016-02-01 17:30:46
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf そこで、官位をもらうわけです。しかし戦国時代になると、官位といっても「私称」が大半で、戦国大名クラスでなければ朝廷に認められた官位ではありません。戦国大名も、足利将軍家に朝廷から官位をもらえるようお願いをしてもらっていますが、私称の場合もあります。

2016-02-01 17:32:38
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 以前、足利義昭が家康の「徳川三河守」という名乗りを認めず、「松平蔵人」と処遇し続けたとツイートしました。実は家康はちゃんと朝廷から三河守任官を許されているのですが、足利義輝が殺害された時期に要請したので、近衛前久を通じて任官しました。

2016-02-01 17:35:08
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 問題はその後で、家康は義昭上洛後、足利義昭に従五位下三河守任官の事後承諾を怠ったようです。これで機嫌を害した義昭は、松平蔵人として扱い続けたと考えられています。

2016-02-01 17:36:30
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf さて、戦国時代の官位に戻ります。各大名の家臣や国衆たちは、多くの場合、大名から官位を貰うようになります。もちろん戦国大名にそんな権限はないのですが、あくまで「飾りとしての呼び名」なわけです。その際、仮名→中央官→地方官という変遷が流行りました。

2016-02-01 17:38:41
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 真田昌幸であれば、兵衛尉の変型である「喜兵衛尉(きひょうえのじょう)」を名乗ることを武田信玄から許され、「安房守」の名乗りを武田勝頼から許されています。最初は中央省庁の官位を、その後国司を名乗るというのがいかにも戦国時代らしいです。

2016-02-01 17:40:06
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf ですので、仮名なのか、中央省庁の官位なのか、国の守を名乗っているからで、おおよその世代の検討がつきます。出世魚、といったのはこのような事情があるためです。

2016-02-01 17:42:30
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf なお北条氏では、息子が左京大夫、親が相模守を名乗ります。これは戦国時代に本来なら幕閣でないとあたえられない「四職大夫」(左京・右京・大膳・修理)が戦国大名に与えられるようになり、右京大夫は管領細川家当主の官位なので、遠慮して左京大夫が多いです。

2016-02-01 17:45:03
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 北条氏が相模守を最終的に名乗るのは、これが執権北条氏がよく任官した官位で、北条氏が関東管領として関東を制圧するというイデオローグに沿ったものでした。ですので、当主に次ぐ権威を誇った北条氏照は、陸奥守を許されます。鎌倉幕府の連署が任官した官位のひとつです。

2016-02-01 17:48:46
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf 豊臣政権下になると、官位による身分秩序が編成されていきます。どのレベルまで昇進できるかで、家の格が決まるわけです。江戸幕府になると、また制度が変わり、大名の官位は公家とは無関係になります。ただ、家臣に官位の名乗りを許すことに替わりはありません。

2016-02-01 17:50:59
丸島和洋 @kazumaru_cf

@kazumaru_cf それで、これは百姓の世界にも波及していきます。もともと、村落というのは足軽や武家奉公人の供給地でしたから、官位を家臣に与えている戦国大名の世界とは接点がありました。村落で好んで用いられたのが、「兵衛」「衛門」です。「衛門成り」などと呼んだりします。

2016-02-01 17:52:49
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コメント

しょーた @shota243 2016年2月2日
それで「織田がつき羽柴がこねし天下餅」なのか!
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赤大将 @red_warlord 2016年2月2日
これは勉強になります。由来から変遷まで順序だって解説してくださってる。感謝!
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Hoehoe @baisetusai 2016年2月2日
武田滅亡後に元服した人が武田信繁にあやかって信繁と名乗るのはおかしいですね。幸綱のように真田家で受け継がれているのは幸の字ではないのでしょうか
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川崎さとし @haya808 2016年2月2日
いやむしろ武田が滅んだから、一字でなくそのまんまの名前を拝借できたと考えては? 信玄公の弟の典厩信繁のように兄信幸を補佐してくれって。あと受け継がれる事になった「幸」は、当主だけって話になったハズだし・・・。
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Hornet @one_hornet 2016年2月2日
baisetusai 真田家の文字は幸でしょうね。幸村については、そもそもそういう名前での署名が全く残っていないことで否定されてるのでは?
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すけべー @kusobokko 2016年2月2日
武田滅亡後に真田が幸ではなく信の一字を使うようになったのは武田遺領に勢力を広げる正当性を主張するためではないでしょうか。 家康が元の字を捨てて今川との関係を断つのを明らかにするのとは逆に、武田の通字の信を使うことで武田の後継者であると宣言する意図があったのかもしれません。
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Hoehoe @baisetusai 2016年2月2日
武田のほうの信繁さんは長男と三男が信濃の名族、望月氏の養子となっていますから、昌幸が望月氏の人脈を得るために、信繁と名づけたのかもしれません。ちなみに信繁の長男の嫁さんが望月千代女らしく、講談の真田十勇士の望月六郎はその縁者ではないか、という設定ですね
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Hoehoe @baisetusai 2016年2月2日
武田の後継者と宣言するなら信繁と名乗るのは微妙に筋が通らないと感じます
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COSY8SD @COSY8SD 2016年2月3日
本姓の立花氏は橘(朝臣)の変換間違いでしょうね 源平藤橘の
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三楽斎 @nekokagetora 2016年2月3日
下野国の益子氏(紀姓)、芳賀氏(清原姓)とか源平藤橘以外の姓を称しているのもあります。菅原姓もいたかな。
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okkyuu @okkyuu 2016年2月5日
何故四郎勝頼は頼信や信頼にならなかったんだろう 勝の字は晴信の幼名からという説があるみたいだけど…
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せんざトモ@タルコフ快適PC欲しい+CoD(クソエイム) @senzatomo4179 2016年2月5日
読みながら、「そういえば近所大農家(昔は地主や庄屋)のひい爺ちゃんとかに、太郎左衛門だの○○右衛門さんとかいたなぁ」とか思い出した。あの立派な名前にはそういういわれがあったのか…。あとでまたじっくり読もう…
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Hornet @one_hornet 2016年2月5日
okkyuu 諏訪氏に遠慮したとかですかね?武田本家の1文字を貰うとまずいと思ったのかな。
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okkyuu @okkyuu 2016年2月6日
one_hornet 成程、武田本家との距離感に依るものかもですね。弟の仁科盛信・葛山信貞に比べて継承する家への配慮がデリケートである必要があったのかも知れません。
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Kawai_Yusuke @fiddler_K 2016年2月8日
村人名の兵衛(べえ)も官位由来かぁ
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