【歌仙兼定と行く!熊本・細川家ゆかりの地めぐり】八代 編

歌仙兼定の元の主・細川忠興公が余生を過ごした地・八代。歌仙兼定も見ていたであろう景色をこの目で確かめる為に、H27.11.26に赴いてきました。 ■こちらも参考にどうぞ! 【歌仙兼定と行く!熊本・細川家ゆかりの地めぐり】希首座の祠 編 http://togetter.com/li/873231 続きを読む
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いざ出発

熊本駅から鹿児島本線・八代行きの普通列車に乗ります。所要時間は40分ほど、運賃は740円でした。
八代市内は周回バスがあります。一律100円。詳しくは下記を参照ください。
http://www.kyusanko.co.jp/sankobus/community/yatsushiro/

ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

おはよーです!本日は!やっと!忠興公最後の地、つまり歌仙兼定が前の主と最後に過ごした地、八代へ行きます!二ヶ月越しの悲願!(短い) 今日も熊本駅から出発ですよー。JR鹿児島本線で八代駅へ! pic.twitter.com/kbzRJ0uf8z

2015-11-26 08:24:33
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八代城址

ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

八代城跡。息子の細川忠利公が肥後熊本藩藩主として熊本に転封になり、後を追って忠興公も熊本にいらっしゃいます。1632年12月、四男の立孝と共に八代に入った忠興公はそこから約14年、亡くなるまでの月日を八代城北の丸で過ごしました。 pic.twitter.com/K7azjuusCy

2015-11-26 11:21:16
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

一国一城制が敷かれていた当時、一国二城を許されたのが熊本です。ひとつが熊本城、そしてもうひとつがこの八代城です。築城主は加藤正方。 pic.twitter.com/Iu5rYsbzCl

2015-11-26 11:22:41
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

忠興公はここの北の丸に隠居所を構え、先代の加藤正方公に深い敬念を抱きながら城や城下町の整備を行い八代の地を発展させます。その様はさながら「一国に藩主が二人いるようだった」とのこと。忠興公の高い政治手腕がうかがえます。 pic.twitter.com/JO9yRn0HAI

2015-11-26 11:24:38
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

八代城跡の石垣は上に登れる!城好きとしては登らないわけにはいかない!てことで石垣探検してきました!当時はここに櫓が建ってたんだなぁ。 pic.twitter.com/NbOQ4VgWOz

2015-11-26 11:46:32
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八代宮~松井神社~松浜軒~未来の森ミュージアム

全て徒歩10分圏内です。散策にちょうどよいですよ。

ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

八代宮。八代城の本丸跡に建っています。忠興公は四男・立孝を本丸に住まわせ、ゆくゆくは自身の領地を継がせて立藩させたかったようですが、立孝が早世してしまいその夢も叶わずに終わります。 pic.twitter.com/GZgxFG39Vi

2015-11-26 11:58:08
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

拝殿と本殿。とても綺麗にしてあるお宮でした。 pic.twitter.com/Pf5YwrZ2L7

2015-11-26 11:59:00
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

松井神社。八代城北の丸跡にあります。忠興公はこの北の丸を自身の隠居所として、庭園を整備したり茶室を造ったりしています。『歌仙兼定』の号の由来として有名な、忠利公の家臣36人を斬り殺したという逸話の場所は、もしかしたらここだったかも。 pic.twitter.com/3HoRZIOHKQ

2015-11-26 12:09:22
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

臥龍梅。忠興公が手ずから植えた伝えられるもので樹齢400年。「八代から百花の魁となる人材出でよ」との願いが込められてます。 pic.twitter.com/aORIGFCTOz

2015-11-26 12:10:47
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

梅は春の魁となる花ですからね。歌さんもその傍らにいたのかしら。彼が百花の王・牡丹を背負っているのは、もしかしてそんな忠興公の願いを汲んでかな? pic.twitter.com/4LzL0yDlWJ

2015-11-26 12:11:21
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

忠興公がこの池の造営とその周りに地震対策として石垣を造るとき、わざわざ江戸に上り家光公に許しを得ています。というのも当時は武家諸法度で城を勝手に修築してはいけない決まりになっていたから。ヘタしたら改易や減封にもなりかねったらしい。 pic.twitter.com/BpqAeH9JBS

2015-11-26 12:12:02
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

つーか私なら「そこまでして造りたかったのかよ!」ってツッコミますけどね。こだわりがあったんでしょうが、そこら辺の忠興公の性格が歌さんに引き継がれてんのかなぁ……。 pic.twitter.com/KPu46x90fN

2015-11-26 12:13:21
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

松井神社は松井康之と興長を主神として祀ってあります。興長は細川家家臣で、忠興公亡き後、八代城代になった方。正室は忠興公の娘・古保様、そして忠興公の六男・寄之を養子にしていたりと、忠興公と縁の深い方です。 pic.twitter.com/FoVBYMZcfW

2015-11-26 12:22:38
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

興長さんは忠興・忠利・光尚・綱利公と四代の細川藩主に仕え、綱利公には浪費癖を諌める書状まで出しているほど、細川家に忠義を尽くした方。以後、松井家は代々細川家筆頭家老を務め、八代の地を治めました。 pic.twitter.com/lBzEoQukG3

2015-11-26 12:24:40
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

松井神社のある北の丸町一帯には以前細川家ゆかりの寺院があったところで、立田山の泰勝寺の元である泰勝院もここにありました。その中にあった甘棠園にて忠興公は荼毘に付されています。 pic.twitter.com/LOXggcdAjG

2015-11-26 12:27:40
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

松浜軒。松井直之が自身の母親の為に造った庭園です。当時はこの辺りに松が茂り八代海が見渡せる浜辺があったので松浜軒と名付けられたそう。 pic.twitter.com/gpKdkAlCU2

2015-11-26 12:45:33
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

国の名勝に指定されているだけ合ってとても美しい庭園。晴れてたら良かったのになぁ(>_<) pic.twitter.com/lveWUA8f6n

2015-11-26 12:47:01
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

松浜軒内の稲荷神社なんですが。この松浜軒って忠興公が住んでた北の丸のすぐ隣なんですよね。んで写真の看板通りに松浜軒建つ前は森が広がっててそこに狐がいたのなら、歌さんは鳴狐のお供狐を見て懐かしいと思ったりするのかなぁと考えたり。 pic.twitter.com/BYfk83f8R3

2015-11-26 12:51:55
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ワト@とうらぶ垢 @watokadu_tk

あと松浜軒の後に、そのすぐ前にある『未来の森ミュージアム』にも行ってきました。八代城とその城下の模型が展示してあります。歌仙さんが八代にいた頃の雰囲気を味わいたかったら是非。 pic.twitter.com/W4DYo82lxY

2015-11-26 21:41:39
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