【痴漢抑止バッジが効果的である理由】対性暴力システム“A.S.A.S.”Parabellumのツイートまとめ第五弾

対性暴力システム“Anti-Sexual Assault System” Parabellum(パラベラム)のツイート紹介第五弾。 今回は痴漢抑止バッチの有効性について。後半で男女で性差別に対する体感差があることについての雑感を収録。 ※日本対性暴力研究所(@PARABELLUM_ASAS )は、Anti-Sexual Assault System を開発しているNPO法人日本対性暴力研究所の公式アカウントです。 なお、PARABELLUM(パラベラム)は日本対性暴力研究所のNPO化に伴い、Anti-Sexual Assault Systemのペットネームとなりました。 続きを読む
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痴漢抑止バッジについて

日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

痴漢抑止バッジ 5種が発売へ | 2016年1月25日(月) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/pickup/6188910 #Yahooニュース

2016-01-26 03:34:54
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

このニュースのコメント欄で「バッヂが1個400円するのは高すぎる!」という意見がありましたが人の為に何かをするのならば、無償でやるべきという発想なのでしょうか。

2016-01-26 03:39:51
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

@feyholy そうですね。しかし、子供達がお小遣いで購入するのなら(痴漢被害を保護者に相談していない・できないかもしれないので)、購入しやすい金額が好ましいかもしれませんね。

2016-01-28 02:47:16
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

【痴漢防止バッヂは効果的】 なぜ痴漢防止バッヂが有効なのか?十分に有効だと思う。それは人の行動が、状況→意志→言葉→行動という段階を経るからだ。それぞれ、状況は意志の前触れであり、意志は言葉の、言葉は行動の前触れになる。痴漢防止バッヂを見た痴漢は、無意識的・直感的に、(続く

2016-01-26 23:58:49
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

続き)状況(過去に痴漢された)→意志(痴漢に抵抗したい)→言葉(痴漢防止バッヂを掲示し抵抗のメッセージを出している)→行動(痴漢されたら警察に訴える)という流れになる可能性を理解しているからだ。痴漢防止バッヂが掲示されて無ければ、被害者が泣き寝入りする可能性と抵抗する(続く

2016-01-26 23:59:30
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

続き)可能性は不明(実際には訴える女性は少ないだろう)だが、痴漢防止バッヂを掲示しているのなら、それが実際に出来るかどうかは別としても、少なくとも女性が抵抗する意志を持っていることだけは明らかだからだ。犯罪者は「やりやすさ」を重視するため、そんなリスキーな女性は避けて(続く

2016-01-26 23:59:52
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

続く)続き抵抗する意志を示さない者をターゲットにするため、痴漢はバッヂを付けている女性を敬遠するだろう。 facebook.com/parabellum.asa…

2016-01-27 00:02:03

男女で性差別の体感に差があることについての雑感

日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

調査結果を見ての雑感。人の足を踏んでも自分は痛くはない。だから人の足を踏まないように日頃から気を付けないと踏んだ事に気付かない。たまたま気付いたとしても自分は痛くないものだから「どうせ大したことは無いだろう」と勝手に思い込む。→

2016-01-28 19:59:31
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

→自分が踏んだ相手に怒られたら「怒るほどは痛くはないだろ!」と逆ギレする。最後には「言い方が失礼だ!」と踏まれた者に気遣いまで要求する。いやまて、そもそも人の足を踏むことが悪い事だとおもっていなかったとしたら…。世の中こういう事は良くある。→

2016-01-28 20:07:36
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

→関係の無い者が「許してあげたら?」と簡単に言うが、お互い様と許しあえるのは力関係が対等な場合だ。力関係に差があるなら、お互い様は弱者を黙らせる為の圧力に過ぎない。声が上がらなければ被害も無いことになり、そうして足を踏んだものは「足を踏んだことはない!」と高らかに宣言するのだ。→

2016-01-28 20:14:04
日本対性暴力研究所 @PARABELLUM_ASAS

→そうして遂には、足を踏むことは誰からも咎められる事がなくなる。誰も今日は踏む側でも、明日は踏まれる側になるかも知れないとは考えないものなのだ。

2016-01-28 20:21:09