アラン『芸術論20講』読書メモ集

アラン『芸術論20講』(長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫、2015)の読書メモをまとめました。Vinft Lecon sur Les Beaux-Artrs, 1931.
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荒木優太 @arishima_takeo

触ってみることがすでに彫刻することだ。byアラン『芸術論20講』

2016-02-05 16:04:13
荒木優太 @arishima_takeo

芸術の原理とは、思考がなにかを発明するのではなく、体こそが、すなわち行動こそが発明する、と定式化できる。byアラン『芸術論20講』

2016-02-05 16:16:29
荒木優太 @arishima_takeo

歌ったり話したりしないで想像することは不可能なのだ。ダンスをしないでダンスを想像することなどできはしない。byアラン『芸術論20講』

2016-02-05 16:18:33
荒木優太 @arishima_takeo

「音楽の音は叫びが統御されたものだ。統御された叫びとはどんなものか。自分でなぞる叫び、自分に耳を傾ける叫び、持続していく叫びである。全身の統御なくしてはそんな叫びは生まれない」(アラン『芸術論20講』)。いい歌手になるのは体を鍛えよう!

2016-02-05 16:24:53
荒木優太 @arishima_takeo

話して理解されることが最初で、そのあとにたぶんなにを言ったかを知ることになろう。そして、なにを言ったかを知ること、それが思考のすべてだ。byアラン『芸術論20講』

2016-02-06 21:23:43
荒木優太 @arishima_takeo

人は記号の意味を知る前に記号を学ぶのだ。理解する前に返答するのだ。人との一致を経験し、人が同じ人間だと分かる唯一の道がそこにある。byアラン『芸術論20講』

2016-02-06 21:26:13
荒木優太 @arishima_takeo

人間は繊細な伝達力をもつ筋肉の群れである以上、つねに他人にとっても自分にとっても恐るべき動物であり、いつなにが起こるか分からない波乱の場所である。byアラン『芸術論20講』

2016-02-06 21:28:09
荒木優太 @arishima_takeo

「先行する動きがあるからこそ、それに規制されて後続の動きが出てくるのだ。そして脳は、おそらく、相次ぐ姿勢が短縮波動によって集められ、結び合わされ、解かれる場所以外のものではない」(アラン『芸術論20講』)。あれ、これベルクソンも似たようなこと言ってなかったっけ?

2016-02-06 21:30:45
荒木優太 @arishima_takeo

「わたしたちおとなは英語を学ぶとき、自分の言いたいことを頭で考え、それを言おうと努力する。が、それは子どものやりかたではない。子どもは微笑するように話す。英語で微笑し、そうやって英語に到達することができるのだ」(アラン『芸術論20講』)。スマイル勉強法。

2016-02-06 21:42:29
荒木優太 @arishima_takeo

「それは過去のことだ、もう過ぎ去ったことだ」といったことばにこめられた意味で、過去のことを、過去となる未来のことを思い浮かべてみてほしい。過去とはおそらく絶対の慰めである。byアラン『芸術論20講』

2016-02-08 09:56:01
荒木優太 @arishima_takeo

絶望は過去の居坐ろうとするが、そうはいかない。過去を再考することと過去に別れを告げることは、人生の平衡そのものだ。それは、身を退きつつ自分を再発見することだ。思い出の歩みに密やかな崇高の感情がふくまれるのは、そのためだ。byアラン『芸術論20講』

2016-02-08 09:58:19
荒木優太 @arishima_takeo

すべての言語は先を急ぎ、短縮され、ために、鋭く、ごつごつした、辛辣なものになり、もって、まず話し手を傷つける。byアラン『芸術論20講』

2016-02-08 10:07:44
荒木優太 @arishima_takeo

普通わたしたちは悲しみのなかでは危機の瞬間にとどまろうとし、時間を否定する。もっと悪い場合には、過去のしあわせな時間を振り返るのだが、それより賢いのは不幸を待ち受けることだ。すると、詩がわたしたちを運んでくれるので、そこに叙事詩の意味がある。byアラン『芸術論20講』

2016-02-08 10:17:52
荒木優太 @arishima_takeo

芸術とは理性に合致する自然の事実であり、もっと正確には、理性以上の理性である自然の事実だといってよい。byアラン『芸術論20講』

2016-02-08 16:03:41
荒木優太 @arishima_takeo

祭りは、第一に、それだけで充足する記号の交換である。そこには絶対の記号がある。記号が記号に応えた瞬間に理解がなりたっている。なにを理解したのか。理解したことを理解したのだ。byアラン『芸術論20講』8講

2016-02-08 16:06:11
荒木優太 @arishima_takeo

「オーギュスト・コントの名言を引けば、古代の経験ゆたかな著者たちは、一人だけで読者に向き合うのではなく、目に見えない称賛者たちの果てしない行列に支えられ守られて読者に向き合ったのだ」(アラン『芸術論20講』9講)。ハイブリッド・ライティングってやつだな。

2016-02-08 16:09:39
荒木優太 @arishima_takeo

冗長さがすべての狂気の法則であるのと対照的に、引き締め、拒否しなければ、というのがすべての思考の法則である。byアラン『芸術論20講』9講

2016-02-08 16:12:31
荒木優太 @arishima_takeo

「涙は悲しみのしるしだが、すでに克服された悲しみのしるしである。しかも、悲しみはだれにとってもすでに克服されたものとしてしか存在しない」(アラン『芸術論20講』9講)。前半は分かるが、後半がよく分からん。悲しみが克服された悲しみなら、それもう悲しみじゃないだろ的な。

2016-02-08 16:15:41
荒木優太 @arishima_takeo

「草刈り人が草を刈る気になるのは、草刈り機がそこにあるからだ。同じく、戸があるから入りたくなる」(アラン『芸術論20講』10講)。おお、アフォーダンスを先取りしてるじゃないか。

2016-02-08 17:16:45
荒木優太 @arishima_takeo

社会の本質的な機能は夜の守りにある。夜こそが都市の女王だ。夜には命令、監視、交代の必要があり、ために軍事組織が作り出され、それはいつまでも変わることがない。部署、見回り、見張り、合言葉が、眠りのまわりを固める。byアラン『芸術論20講』11講

2016-02-08 19:50:35
荒木優太 @arishima_takeo

威厳のある空間なしに思考を形成することができるだろうか。王であることが分からないほどに変装した王を想像してみるだけでよい。窮屈な記号を身にまとった王には、尊敬のまなざしが向けられないし、人が席を譲ることもない。byアラン『芸術論20講』11講

2016-02-08 19:52:43
荒木優太 @arishima_takeo

墓は人間の形にたいする敬愛の念を形にしたものだ。というのも、墓は人間や獣たちの侮辱を防ぎとめるものであり、もっといえば、至る所に愛された者や冒涜された者の残骸を求める、想像力の錯乱を防ぎとめるものだからだ。byアラン『芸術論20講』14講

2016-02-09 09:58:56
荒木優太 @arishima_takeo

@arishima_takeo 「私のお墓の前で泣かないで下さい」に喧嘩売ってる。

2016-02-09 09:59:59
荒木優太 @arishima_takeo

民衆は「わたしたちのようになるな。君のままでいい」と言いつづける。それこそが思想というものだ。byアラン『芸術論20講』16講

2016-02-09 10:01:31
荒木優太 @arishima_takeo

「心理学は魂の歴史学であって、わたしがなりたかったもの、わたしが肯定し構成したものについての感情ではなく、わたしがなりえたかもしれないものにまつわる感情の総体である」(アラン『芸術論20講』18講)。おお、深いな…。

2016-02-09 10:17:57