丹生谷貴志ツイートまとめ(2016年1月)

丹生谷貴志さんの2016年1月のツイートをまとめました。
人文 ブーレーズ デヴィッド・ボウイ デリダ フーコー 丹生谷貴志
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nibuya @cbfn
旧暦で生きてるので私的にはまだ正月ではないのですが一年の計、といってストイックな性格ではないので、気になるのに拒否感のあるもののその理由がわかるまで包囲するというクドイ性格、まずはハイブロウに!ピアノ曲及びベートーヴェン、幸いポリーニとグールドがあったのでそれを流すことで・・
nibuya @cbfn
まあしかし私の世代のベートーヴェン嫌いの理由なんてはっきりしてるんで、当時の日本に未だ残留したドイツ文系教養主義の残香への嫌悪から来る八つ当たり。ロシア民謡嫌・チェーホフ嫌いは別口の感傷主義の押し付けへの八つ当たり、要はチンケな文化主義への嫌悪のとばっちりで・・・無駄臭いこってす
nibuya @cbfn
ピエール・ブーレーズ・・・『Dmene Musical』のCD BOXを探す・・・。50年代末から60年代、演奏することが「闘い」に「似ていた」頃? ジャズとロックと現代音楽が「並行として闘い」のレゾナンスであった頃の・・・今はアトモスフェアを召喚するという退嬰しかないとして。。
nibuya @cbfn
『Perfect stranger』のブーレーズによる初演にザッパはかなり不満を漏らしているが、多少は照れ隠しもあったかもしれない。アメリカでの『主なき槌』の演奏に楽譜持参で(?)出向いたザッパは演奏から数ヶ所抜けがあることをブーレーズに指摘する。多分これが二人の初対面だった
nibuya @cbfn
絶望の国の幸福な青春とかなんとかいう本があるという噂、まあ、題名から中身が想像つくし、この手の「あるある話風社会学本」は人事部職員やら文科省職員の休日読書、よくて?電通・博報堂の「若者戦略室」あたりの参考図書なんだろうと想像がついてしまうのが鬱陶しい。「考現学」の退屈さ・・・
nibuya @cbfn
「古代ギリシア人は、人間の手から過ぎ去り失われて行ってしまうものは何なのかと問い続けたが、古代ローマ人たちはそれを、すべてを失い続けてしまう人間とは何なのかという問いに変えた」、と、まあ如何にも直感的な曖昧さでマルローは書きつける・・・卓見なのか、さて、印象的ではあるけれども。
nibuya @cbfn
手持ちのヘッドホンが「眼を瞑って聴く」ことを音設計にしているらしいことに今頃気づき、優秀さを認識はするが、実は「眼を瞑って音楽を聴く」ことに完全な拒否感があるので、無意味な発見。「音感情の勢い」に対する生理的拒否があって、だから演奏でもその手のものは名演の誉れがあろうと聴けない。
nibuya @cbfn
真冬のモスクワに数日いたのは昔々で、未だブレジネフの時代、雪曇の中、ドル仕立ての巨大なマーケットが、店内は客もまばらに煌々と明るく、なぜか延々とデヴィッド・ボウイの『スター・マン』が流れていて、それが『2001年宇宙の旅』のラストの謎の部屋の明るさのようだったことだけを覚えている
nibuya @cbfn
・・・不意に、と言っても繰り返される反復に過ぎないのは承知の上で、また再び「私は旅が嫌いだ」という『悲しき熱帯』の冒頭を思い出し・・・旅には外界の変化で自身の変化を偽装するという悪弊がある。変化する「意思」の欠落を外界の変化で置き換える怠惰の退屈さ・・・。
nibuya @cbfn
旅行ガイドブックといえばベデガーが始まりで、日本では『地球の歩き方』ということになるか、昔インドでドイツ人が持っていたのが「サバイバルキット」という分厚い本で、緊急時の対応、砂漠で生き延びる実践知識まで詳細に書いてあったのは感動。無論その本を失くした場合の対処は書いてなかったが。
nibuya @cbfn
・・・ピンチョンの『V.』には何度もベデガーの名が一種の侮蔑をまとって出てくる。この19世紀初頭に現れたガイドブックが植民地主義と新興有閑階級の教養主義・オリエンタリズムの凝固物だから。では『地球を歩く』は如何なる思考歴史の資料として扱わられることになるか、などとぼんやり白想。
nibuya @cbfn
パスカルの賭けで死後の世界は存在すると空想すれば、「向こう」はボウイやらブーレーズやらフーコーやら、結構賑やかだと期待もできるが、彼らを探し出すことは大いなる苦労だろうから、あるいはかの地には霊追跡学なんて学問?があるか、あるいは『黒いオルフェ』の死者書類の事務所しかないか・・・
nibuya @cbfn
SFは要は「大山鳴動して鼠一匹」型小説で、この「大山鳴動」を楽しいと思えなければ、大体の場合出てくる最後の鼠が何ともつまらない様相なので、SF嫌いになる。一方、鼠の消息だけを描き続ける型の小説があって、フローベールの「ボヴァリー」やカフカやらナボコフの『断頭台への招待』やら・・・
nibuya @cbfn
デリダの最後に近い講義『死の恐れ』の二巻が届いたのでパラパラ見ていたら、鵜飼哲さんの名がジュネに絡めて出てきた。こんな具合に知人たちに「別れの挨拶」をしていたのかも、と、このマグレブ系の哲学者の「良家の不良少年」を思わせる「義理人情」の動きにちょっと感銘。講義そのものは・・・
郷原佳以 @deja_lu
@cbfn 「死刑」論講義第2巻のことですね。なぜ「死の恐れ」と? 誤解を招きそうです。また、鵜飼先生が言及されたのはジュネに絡めてではなくてルース・ベネディクトの「恥」論に搦めてです(2001年3月21日の第11回講義)。
nibuya @cbfn
・・・デリダの講義そのものはここしばらくデリダを集中読みする余裕がないので斜め斜め読みいかに留める。それはともかく「大山鳴動鼠一匹」は少なくとも「型」として僕は基本的ネガティヴな意味では使っていない。『白鯨』やら『魔の山』やら・・・
nibuya @cbfn
私事。久しぶりに阪神高速で神戸、変則行動を起こすと相変わらず雨ほとんど霙。夕陽の時間だけ陽が開き、何年かぶりに海に下降する夕陽を見る。季節が違うと遠く家島をシルエットにするけれど今日は淡路島に沈む。須磨海岸、満干の少ない内海のため、湘南あたりより海岸近くにまで住宅がある。
nibuya @cbfn
デリダの講義を『死の恐れ』としたのは『死刑』の間違いではないかと指摘sてくださった方がいるそうで(すいません未だ返信の見方を知らないのです)、早見で『peur de la mort]』と記憶違いした僕のポカ、原題は『La peine de mort』=「死刑」です。訂正しときます
nibuya @cbfn
題名は勘違い、御指摘感謝。鵜飼さん文がベネディクトに触れた文なのは承知してますが「類稀なジュネ研究者=鵜飼」にデリダが触れていたということが言いたかっただけのこと。死の挨拶については鵜飼さんに聞いたデリダからの不意の電話話の思い出。 twitter.com/deja_lu/status…
nibuya @cbfn
BMのフロント・サスのいわゆるAアーム式が新機種からなくなって来たのはなぜかと気になり、お店で理由を聞いたらテレスコピック・サスの制御システムの飛躍的な改良でAアームのメリットに匹敵するようになったからという答えらしく、納得しつつも、ウィンカーといいBMの癖が減るのは少し寂しい
nibuya @cbfn
まあ、今乗ってるのを乗りつぶすか、そろそろ「人生最後のバイク」ってなのを考えるかと余計な懊悩でして(!)、今更ハーレーってのも気恥ずかしく、大体あれは普段使いにはちょっと問題のあるバイクだし・・・グッツィは維持が心配、日本車は僕には速度域が高すぎる・・・とか、ですね。無駄な白想。
nibuya @cbfn
グールドが残した文章集の日本版副題に「バッハからブーレーズへ」とあり、これを期待して読むとブーレーズに関しては雑文めいたものしかなく失望する。雑文なのはグールドのせいではなく、それがブーレーズについての「評伝」の書評としてかかれたもので、その評伝自体がどうもクズ本らしいからだ。
nibuya @cbfn
時には貴重な情報もあるから読みはするが、伝記は大方の場合さしてブリリアントでもない者が対象の「名声」にぶら下がって「一発当てよう」としている気配の濃厚なものが多く、そこにクズみたいな精神分析風臭みが振り回されると我慢は限界になる。どうやらグールドが読まされた本もその類だったようだ
nibuya @cbfn
当たり前のことだが、「調べ抜かれた」ものであろうと、重要なのはそれを書く者の思考がいかなる「ガイスト=幽霊」のフォルム=アンフォルムの辺境を生きているかなので、それが貧相なら伝記は読むに苦痛な駄書になる。例えばミラーの『フーコー/情熱と受苦』も「真面目」なだけでひどい本だった・・
nibuya @cbfn
マーラー第八のセシル・B・デミル風性格、というグールドの言い方に微苦笑(「微苦笑』という言い方は確か久米正雄の造語)。ブーレーズ指揮の第八だけベルリン国立歌劇場楽団という「二流」だと一部に不評らしいが、むしろあの少しドサ回り風の音が第八にしっくりしているような気が私はしてたので。
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