最近、ジャンプ主人公を比較してそれぞれを分析するのが流行ってるみたいなので、僕もやってみますね まずは修とデクから この2人はどちらも「持たざる者」ですが、よく比較されるのは同じ「持たざる者(正確にはデクは過去形ですが)」でも、その行動原理が違うからだと思います #WT考察
2016-02-11 11:30:24@s_g_hrak 各々の行動原理を一言で言い表すなら、"should"と"must"です 修は「僕がそうするべき(should)だと思ったからだ」という『意志』、 デクは「僕がそうしなくちゃいけない(must)からだ」という『使命感』が、 行動原理なのだと思います #WT考察
2016-02-11 11:37:25@s_g_hrak 各々の明確な違いは、 "must"は状況を客観的に見ても、主人公の目標はその主人公が絶対に果たさないといけないものであること、 "should"は主人公の目標が周囲の人間にとっては、別に必ずその主人公が果たさなきゃいけないものではないということです #WT考察
2016-02-11 11:46:58@s_g_hrak OFAを受け継いだデクは、ヒーローになっていつか宿敵であるAFOを倒さなければならない運命にあります デク自身もオールマイトやOFAはそのオールマイトから受け継いだものであることを常に意識してます #WT考察 pic.twitter.com/Ddg2TXoBu0
2016-02-11 11:59:36@s_g_hrak 故に『使命感』のあるデクは"must" それに対して修は、千佳の兄と友達、レプリカを助けるという目的がありますが、 別にボーダーとしては修がその役目を果たさなくてもいいのです #WT考察
2016-02-11 12:03:13@s_g_hrak それどころか、戦力面だけ見れば修が今ボーダーを辞めても大したマイナスにはならない 修が助けに行かなくても、他の隊員に任せておけば千佳の兄や友達やレプリカが戻ってくる可能性だって0ではない それでも修は自分の『意志』で彼らを助けに行くことを決めました #WT考察
2016-02-11 12:08:11@s_g_hrak 修の目標がボーダーにとっては別に「修がそうしなくてはいけないこと」ではなく、 それどころか「弱い」「トリオン量が少ない」という否定が与えられているからこそ、 修の行動原理が「僕がそうするべきだと思ったからだ」ということが浮彫になってるのだと思います #WT考察
2016-02-11 12:13:07@s_g_hrak 修の行動原理が"must"ではなく、"should"であることが最も表れてるのが記者会見でのこの発言です 「責任」という言葉は、『他人』に対して何かなさなくてはいけないと感じたときに生まれる言葉です #WT考察 pic.twitter.com/qKBjxA87OM
2016-02-11 12:20:19@s_g_hrak 修はその「責任」を言われるまでもない、当たり前のことと言い切ります これはつまり、攫われたC級隊員32名を助けることなんて『他人』に言われるまでもないことで 「僕(=『自分』)がそうするべきだと思ったからそうする」という行動原理の表われだと思います #WT考察
2016-02-11 12:28:18@s_g_hrak 故に、自分の行動を『他人』ではなく『自分』の『意志』で決めてることができる修は"should"だと思われます #WT考察
2016-02-11 12:32:45@s_g_hrak とは言え、『他人』からの『使命感』で動くデクが主体性がないということではありません なぜならその『使命感』を彼にもたらす『他人』は、マスコミという有象無象なんかではなく、自らが憧れるオールマイトや守らなくてはいけないと思う人々だからです
2016-02-11 12:35:11@s_g_hrak つまり修は自分の行動を『自分』で決定する一方で、『自分』がそれを必ずしなくてはいけないという『使命感』はあまりないのに対し、 デクは『自分』がヒーローとして助けなくちゃいけないという『使命』を常に意識しているというのが 2人の明確な違いだと思います #WT考察
2016-02-11 12:52:09@s_g_hrak そしてその違いが簡潔・明確に表れているのが、 それぞれのこのセリフだと思います pic.twitter.com/8jtAraLepC
2016-02-11 12:58:46@s_g_hrak そして次はデクと火ノ丸、火ノ丸と日向です まずデクがオールマイトや守らなくちゃいけない『他人』のために行動しているのに対して、 火ノ丸は身長が167cm以下では大相撲には行けないという規定を覆すため、つまり『自分』のために行動しています
2016-02-11 13:07:41@s_g_hrak 2人も「持たざる者」ですが、 つまりデクは「『他人』のために"must"」なのに対し、 火ノ丸は「『自分』のために"must"」なんですね これはヒーロー漫画とスポーツ漫画の違いが表れていると思います
2016-02-11 13:10:16@s_g_hrak そして火ノ丸が特徴的なのは、スポーツ漫画の主人公なのに"must"であることです 普通、スポーツ漫画はハイキューのように、主人公がそのスポーツのどこに楽しさや魅力を見出したか、そのスポーツを好きな理由が爽やかに描かれると思います
2016-02-11 13:22:50@s_g_hrak つまりスポーツ漫画の主人公は日向のように、そのスポーツを「したい」という『欲』や『望み』がより強く、そして丁寧に描かれるので、 それらの感情が行動原理である"want"の印象の方が多いんですね
2016-02-11 13:31:52@s_g_hrak それに対して火ノ丸は、 もちろん彼にも相撲をしたいという『欲』や『望み』はあると思いますが、 それらよりも絶対に高校で結果を残し、大相撲に行くための身長についての規定を変えなくてはいけないという『使命感』の方が描かれているため、"must"の印象が強い
2016-02-11 13:35:40@s_g_hrak このような違いがあるのは、 大相撲に行くためには身長制限があり、火ノ丸相撲は主人公がプロを視野に入れているのに対して、 ハイキューはそもそもプロ云々の話はほとんどなく、学生時代の部活動という青春の面をより強く描いているからだと思います
2016-02-11 13:46:17@s_g_hrak まとめると、 修は「『他人』のために"should"」、 デクは「『他人』のために"must"」、 火ノ丸は「『自分』のために"must"」、 日向は「『自分』のために"want"」がそれぞれの行動原理なのだと思います
2016-02-11 13:49:12@s_g_hrak 作品のテーマや描きたいものによって主人公の行動原理が異なってくるということは本当に面白い創作の性質だと思います 勿論、この分析はあくまで僕個人のものでしかありませんが、 皆さんの主人公の比較にこの分析の手法や内容が役立てば幸いです #WT考察
2016-02-11 13:52:35