事実の解釈はいくらでも変えられる。

事実は変わらない。変えようかない でも、その事実の解釈は後からでもいくらでも変えられる。 新しい認識によって事実には違った解釈が与えられる。 自分が信じたストーリーが、自分にとっての「真実」だ。 これは、考えようによってはとても危うい。つまり「信じたいものを信じる」に他ならない。
2016-02-16 23:01:53
西洋の知性が「疑問」を重んずるのは、このせいじゃないかと思ってる。 自分が信じたいものは、本当に信じて良いのかを疑い検証する。 自分が信じたいものは、本当に信じて良いのかを疑い検証する。 そして、どうやっても疑えないものを土台にして、考えを積み上げていく。
2016-02-16 23:02:42
私はおそらく、印象として不安は、今の私の「土台」が揺らいでるからじゃないかって思ってるんだ。それが何かはわからないけど。私の中で「正しかった」認識が揺らぎ始めて、それ抵抗してる、或いは不安になってる。だから、不安は私の中から湧いてきてるし、なんとかできるのも自分だけ。
2016-02-16 23:04:38
いま、敵が居ない。自分の進むべき道を、自分で見つけないといけない。そしてそれは、とても不安。敵がいるということは、それだけで自分の存在証明になっていた。他人に依存することなく、自分の存在を確かめるのには、「敵」は簡単で便利な存在だ。
2016-02-16 23:06:42
自分の存在を、なんの根拠もなく信じないといけないからね。でも、根拠なんて無いさ。道は幾つかあると思う。自分の存在意義を、例えば子供とかに投影すること。これは一番簡単だけど、ただの問題の先送りのようにも思える。自分は価値がある、となんの根拠もなく信じること。これはこれで結構難しい。
2016-02-16 23:07:45
「自分にはなんの価値も無い(どんな価値があるかわからない)けど、まず存在している」ことを受け入れること。そんな方向もありうる。 だって、居るんだもん(笑) 多分、私はコレを選んだんだと思う。自分の価値なんて、わからない。 でも、居る。
2016-02-16 23:09:07
価値があるかどうかわからないなら、もしちょっとでも何かを残せれば、それは凄いじゃないか。「居ていい」も「良くない」もない。だって、居るんだから。誰にもそんな事を云々する資格はない。 だって、居るんだもの。
2016-02-16 23:09:53
価値があろうがなかろうが、罪深かろうが善行に溢れていようが、なにより「居る」のよ。なら、居るという事を受け容れて、その上でそこにまつわる諸々のことも受け入れるしかないとね。まあ、諦めの境地だと思うよ。一種の。
2016-02-16 23:10:43
私は絶望の淵のその先にはまだ辿り着けてない。だって、不安なのはまだ落ちるところがあると思うからだろう。底まで落ちたら、もう落ちないのだから。
2016-02-16 23:17:37
抜けようのない重力井戸の底、ブラックホールの中はとても穏やかな空間かもしれない。だって、何をしても抜け出せないことがわかっているんだもん(笑)
2016-02-16 23:18:10
いまの私は幸せだ。だから不幸が見つからないことが、不幸なのだ。いつも隣にあった、馴染みの「不幸」がどこにも見当たらない。心配しなくても、そのうちまた来るさ。生きていたら、不幸なんて必ずやってくる。
2016-02-17 01:23:40